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イタリア軍兵士が退却中に現地農家に入った際の状況パターンを『雪の中の軍曹』から抜粋

 ↓で書いていました、イタリア軍兵士が退却中に現地農家に入った際の状況パターンを『雪の中の軍曹』から抜粋してみました。

イタリア兵に優しくするソ連兵や現地住民?(ハンガリー兵も殺しはしない。でもドイツ兵は殺す) (2019/09/01)


 『雪の中の軍曹』についてですが、1942年末辺りから記述が始まるのですが、1943年1月13日からのオストロゴジスク=ロッソシ作戦が始まるまではドン川沿いの拠点から移動(退却)している訳ではないので、退却が始まってから、現地の農家(丸太小屋=イズバ)に入った時の話を抜粋してみます。また、村に入っても農家は戸口が閉まったままだったり、農家にはすでにイタリア兵などが満杯で入れなかったりでそもそも入れなかったことも多かったようです。あるいは、農家の中に入れても中に住民がいないというようなこともあり、その場合家の中を探して食べ物を見つけたり、家畜小屋に残されていた動物を殺して食べたりということもあったようですが、それらは「対現地住民のパターン」ではないと見なして、抜粋対象とはしませんでした。

 あと、今回イタリア語版Wikipeida「Mario Rigoni Stern」で確認したところ、著者マーリオ・リゴーニ・ステルンは唯一崩壊を免れたトリデンティーナ師団のヴェストーネ大隊所属だということでした。


 ↓OCS『Case Blue』におけるアルピーニ軍団の構成師団とヴィチェンツァ師団。

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 それから農家に入る時の全般的な話として、こういう記述がありました。

 農家(イズバ)に入るときのイタリア軍の兵士は、ドイツ兵のようにはしない。扉をあけると、なんのためらいもなく敷居をまたぐ。
『雪の中の軍曹』P133


 ドイツ兵の場合はどうするのか書いていないのですが、察するにドイツ兵は用心深く行動するということなのでしょうね。



 以下、本の中の記述順で、現地住民の対応と話がずれる部分は省略していきます。

 ついに私は、農家(イズバ)の戸口をノックした。だが、ある戸口ではろくに返事がなかったし、ある戸口は開かなかった。……私はひとり路上に立ち、周囲を見まわした。と、老人がひとり私に近寄ってきて、家が何軒か並んでいる先の、野菜畑の中に土が小高く盛られているところを指さした。その塚からは煙突が突き出ていて、煙突からは煙が出ている。老人は私に、あそこへ行って、中へ入れという仕草をしてみせた。あの塚は防空壕だ。地面の高さの位置に、ガラスを嵌めた小さい窓が二つついている。私は土の中間に掘られた段々を伝って降り、戸口をノックしてみた。それから、そっと扉を押してみた。だが、扉は内側から閉まっている。誰かが開けに出てきた。それはイタリア兵だった。「ここには、もう三人入っているよ」とイタリア兵は言った。「ロシア人家族の家だがね」そう言って、彼は扉を閉めた。私は扉をたたいた。「入れてくれ。ちょっと休みたいんだ。ちょっと眠りたいだけなんだ。長居はしない」と私は外から言った。だが、扉は閉じられたままだ。私は扉をたたいた。扉がふたたび開かれ、ロシア女が顔をのぞかせて、入れという仕草をした。中は暖かかった。あの拠点の暫壕の奥のように、あるいは馬小屋のように。違いは、このロシア女と三人の子供、それにイタリアの逃亡兵三人がいることだった。しかし、逃亡兵のうち、今は一人がいるだけだ。二人は外へ出ているらしい。居残ったその一人は私をいやな目で見た。ロシア女が私に手を貸して外套を脱がせてくれた。女が、まるで涙を流さんばかりの憐れみにあふれた目で私を見つめたところからすると、私はよほどへたばりきった表情をしていたに違いない。……そして、上着のポケットから雪の混じったコーヒーをひとつかみ取り出し、飯盒の蓋の中に入れて、銃剣の柄でそれを細かに砕いた。ロシア女は笑い、逃亡兵は黙りこくったまま私を見据えていた。ロシア女は湯を沸かす用意をし、クッションによりかかっていた子供たちを起き上がらせた。それから、そのクッションを取って棚のようなところの上に載せ、その上に毛布を広げた。私の毛布は、乾かすために火のそばに広げてくれた。そして、私に、棚に上がって眠るようにという仕草をした。私は両脚をぶら下げたまま棚に腰を預け、やっとのことで、「ありがとう(スパシーバ)」と言った。女が、そして子供たちさえもほほえんだ。逃亡兵はあいかわらず黙りこくって私を見守っていた。私は背嚢から、アドリアーノ【著者の戦友】からもらったママレードを出し、ほかには何もないので、それを食べた。子供たちにも分けようとしたが、女はそれを拒んで、「食べなさい」とほほえみながら低い声で私に言った。お湯が沸くと、コーヒーをいれてくれた。温かいものを喉に通すのは、本当に久しぶりだった。……
 ロシアの農婦に起こされたときは、もう遅かった。彼女は私を三十分寝過ごさせてしまったのだ。慌てて私は毛布を背嚢にゆわえつけ、手榴弾をポケットに入れ、鉄かぶとを頭に載せた。私が外へ出ようとしたときに、農婦は温かい牛乳の入ったカップを私に差し出した。夏のアルプスの牧場で飲むようなあの牛乳、あるいは一月頃の夕食にポレンタといっしょに飲む牛乳。ケースに入った乾パンでもない。凍ったスープでもない。カチカチになった丸パンでもない。寒気でガラスのようになったぶどう酒でもない。牛乳なのだ。それはもうロシアの戦場ではない。牛乳の匂いのする雌牛であり、樅の木立に囲まれた花の咲く牧場であり、女たちが編み物をし、老人たちがパイプをくゆらす一月の夕暮れの温かい料理である。私の両手の中の牛乳のカップは湯気を立てていた。湯気は鼻の孔から体の中に入り、血に混じる。私は飲み干す。そして、空になったカップを農婦に返し、「ありがとう」と言う。
 そのあと、私は脱走兵三人の方を振り返って言った。「行かないのか?」「いったい、どこへ行くんだね? ロシア軍に包囲されちまっているのに。それに、ここはあったかいし」と三人の中の一人が答えた。「なるほど。だが、私は行く。じゃ、失礼する」そう言って私は外へ出た。
『雪の中の軍曹』P79~83


 この例は割と「イタリア兵に優しい」話のように思えますが、「イタリア兵だから優しくした」かどうかは分からないところです(以下のすべての例に言えることですが)。脱走兵はその後いったいどうしたのか、興味のあるところですが……。



 次の例ですが、上官である中尉(中隊長?)が理性を失っているのか、割と無茶を言う中での出来事です。

 中尉がいちばん近くの農家(イズバ)の中に入った。普通よりも貧しげな農家(イズバ)ばかりで、ちっぽけで、見るからに寒々としている。中へ入った中尉は、短銃を握ったまますぐに出てきた。そして、そばへ走ってこいと私に向かって叫ぶ。私は手榴弾を一つ握りしめて走り寄り、その農家(イズバ)に入る。中には女二人と子供たちがいる。 中尉はこの連中を縛ろうとする。中尉は理性を失っているのだと私は思う。女たちも子供たちも事態を理解していて、怯えた目つきでわれわれをじっと見つめている。やがて、泣きながら、私に向けてロシア語で話しかける。この女たちと子供たちはなんという声をしているのだろう! それは全人類の悲しみのようでもあり、希望のようでもあった。また、あらゆる悪に対する抗議のようでもあった。私は中尉の腕を取り、いっしょに外へ出た。中尉はあいかわらず短銃を握ったまま、別の農家(イズバ)に入った。私もあとに続いた。
 そこには、ヴィチェンツァ師団の脱走兵たちがいた。彼らは、兵器を持っておらず、なかば凍え、すっかり怯えきって食卓の下にうずくまっている。鉄製のべッドには、 老人が一人いる。中尉が私に、「パルチザンだ、 殺してしまえ!」と叫ぶ。哀れな老人は、不安げな息を吐き、ベッドががたがた鳴るほど震えながら私をじっと見つめている。「こいつを縛れ、もし殺したくないのなら」と中尉は私にふたたび怒鳴る。アントネッリが入ってきて、この情景をすべて見た。中尉は片隅にある紐の切れはしをわれわれに指さした。まったく狂っている。私はゆっくりと身をかがめ、その紐を手に取った。アントネッリが老人の毛布を制ぎ取ったので、私は近寄った。 まったくの老人だ! しかも哀れな中風病みらしい。私は紐を投げ棄て、中尉に言った。「とんでもないパルチザンです。中風病みですよ」中尉は黙ったまま農家(イズバ)を出た。まだ理性のかけらは残っているらしい。食卓の下には、ヴィチェンツァの脱走兵たちが怯えきった哀れな表情であいかわらずうずくまっている。私はいっしょに行こうと彼らを促す。「私らは駄目です、私らは駄目です」と言って彼らは動かない。私はこの哀れな連中はそのままにすることにして、アントネッリといっしょに外へ出る。
 機関銃が置かれた場所の下、文字通り地下で、ぼそぼそと話す人声が聞こえる。上げ蓋がある。ロシア人が冬の間、食糧を蓄えておく穴蔵、一種の貯蔵庫が下にあるのだ。上げ蓋を上げてみる。と、下に見えたのは、点(とも)されたひとつの灯りと、身を寄せ合ってうずくまっている女や子供たちの姿だ。彼らは一人ひとり小さい階段を昇って上にあがり、両手を挙げた。私は思わずほほえみそうになる。だが、子供たちは泣いている。いったい、何人いるのだろう? 果てしなく、 ぞろぞろとあがってくる。アントネッリが笑って言った。「下には蟻塚があるらしい!」私はこの連中を数軒の農家に移らせる。彼らはほっとしたようにそこへ走ってゆく。われらの中尉がこのことにまるで気づかなかったのは、彼らにとって幸いだった。少しすると、小さい男の子がふかしたての熱いじゃがいもをわれわれのところへ持ってきた。
『雪の中の軍曹』P118~120


 この例では、「殺されるのかもしれない」という恐怖の中での現地住民の様子が見られます。最後の例では、命が助かると知って、ふかしたてのじゃがいもを持ってきてくれるというなんだか心温まる話になります。


 私は一軒の農家に走りこんだ。中には女が三人いた。三人ともごく若くて、私がそこへ入った意図を忘れさせようとして、私に向けてほほえんでみせた。牛乳があったので、それを少し飲んだ。箱があり、その中には、ジャムが三缶と、乾パンとバターが入っていた。全部イタリア製の品で、おそらく放棄された軍の倉庫から手に入れたものだろう。三人の娘は、私を取り巻き、今にも泣きだしそうな口調で、哀願めいた言葉をロ走っていた。私の方は、そこにあるのがロシア軍ではなくイタリア軍の品で、したがって私がそれを咎めることもできるのであり、それに私も仲間の兵士たちも空腹なのだということを娘たちに説明しようと骨を折った。しかし、娘たちは、私を見つめながら、泣かんばかりの口調で哀願をくり返した。けっきょく私は、ジャム一缶とバター一包みをそこへ残した。そして、乾パンを齧りながら、残りの品物を抱えてそこを出た。娘たちは地面に目を伏せたまま、「ありがとう(スパシーバ)」と言った。
『雪の中の軍曹』P134,5


 現地住民がイタリア軍の補給品を自分達のものにしていた例ではあるのですが、まず最初に「牛乳があったので、それを少し飲んだ。」と(正直にも)あるように、何か食糧があれば結局のところぱっと飲み食いしたという印象を受けるので、著者の方が倫理的に上だという印象は受けない感じがします(^_^;


 ……戸口があけ放しになっている一軒の農家を見かけ、中に入ってみる。入ったときに、屍体をまたいだことに気づかなかった。麦わらの上に横たえられたロシア人の男の屍体だ。何か食べるものはないかと、家の中を見まわす。私より先にここに入りこんだ者があるらしい。床には、蓋をあけたままの小箱、洗濯物、レースなどが散らばり、収納庫を兼ねた木の腰掛けの蓋が開いたままになっている。私は小箱の中をかきまわしたが、ふと見ると、片隅に人影があり、目を凝らすと、女たちと子供たちがかたまって泣いているのだ。両手で頭を抱え、肩を震わせながら、激しくすすり泣いている。このとき私は、戸ロ近くで死んでいる男に気づき、近くの床が血で赤く染まっているのを見た。このときに覚えた気持を語ることはできない。私にとっては恥ずかしさと無残さであり、彼らにとって、また私にとって耐えがたい苦痛だった。私は罪人のような気持になり、外へ飛び出した。
『雪の中の軍曹』P147


 この例は、著者より先に入ったイタリア兵?が男を殺したのかもしれませんね……。


 集落の入り口近くの一軒の農家(イズバ)に負傷兵を預けた。そこにはロシア婦人が一人いたので、彼らの世話を頼んだ。そのほか、負傷兵の世話係として、モレスキの分隊のドッティをそこに残した。アントネッリ、それに重機関銃といっしょに、私は別の農家(イズバ)に入った。兵器を据えるには願ってもない場所だった。私の小隊の兵士が一人、弾薬箱を抱えていっしょに入った。私は銃床で窓を壊し、刺繍を施されたテーブルクロスが掛けられた食卓を中へ運びこんだ。食卓の上に機関銃を据え、窓から撃つ。ロシア兵たちは、裏手百メートルほどのところにいる。彼らの不意を襲ったが、われわれとしても弾薬を節約しなければならない。われわれが銃撃を行なっている間に、この家の子供たちが泣き喚きながら母親のスカートに取りすがる。だが、母親の方は沈着ながら必死である。無言のまま、われわれを見つめている。
 小休止の間に、私は一台のベッドの脇から男の長靴が突き出たのを見た。毛布をはぐと、男の顔が現われた。背の高い、やせこけた老人で、罠にはまった狼のように怯えた表情で周囲を見まわす。アントネッリが笑い、老人の尻を蹴るそぶりをして、母親と子供たちがいる場所へ老人を移らせる。
『雪の中の軍曹』P157,8


 「負傷兵を預けた」とありますが恐らく無理矢理でしょうし、その次に入った農家はいきなり窓を割られて銃撃(戦争)を始められているわけですから……。この後すぐに彼らはこの農家を出て、別の農家の角のところに重機関銃を据えてソ連軍を撃ち始め、「われわれがしばらく撃つうちに、ロシア軍のほうでもわれわれの位置を確かめたらしく、対戦車砲の一発は、われわれの農家(イズバ)の一角をアントネッリの頭上すれすれに吹き飛ばした。」という状況になります。この農家の住民のことは書かれておらず、住民はすでに避難していたのかもしれませんが、「自分の家がいきなり戦場になる」とはこういうことなのでしょうね。


 その次のページから書かれているのが、前掲エントリでも引用した「びっくりして皆が止まっている中、イタリア兵がもらえるものだけはもらって帰った」と私には思えた例なのですが、実はその後に著者は「あの農家の中では……一種の和合が生まれていたのだ」として、自分の思いを書いています。それを含めて再掲します。

 ダンダ中尉の部下の兵士を加えても、われわれはせいぜい20人である。ここで、われわれだけで何をすればよいのだろう? 弾薬ももうほとんど尽きている。中隊長との連絡も途絶えている。だから、指令がない。せめて弾薬があったら! しかも、私は空腹であり、太陽は西に沈もうとしている。私が柵を越えると、一発の銃弾がかたわらをかすめて飛び去った。ロシア兵たちはわれわれに目を据えているのだ。私はつっ走り、一軒の家の戸口をたたき、中に入る。
 中には、数人のロシア兵がいた。捕虜だろうか? 違う。全員武器を持っている。帽子には赤い星がついている! 私は手に小銃を握ったまま、呆然として立ちつくす。ロシア兵たちは食卓を囲んで食事をしている。大きい容器から木のスプーンで食べ物をすくっていたが、そのスプーンを宙に浮かしたまま、私を見つめる。「食べる物をください」と私はロシア語で言った。そこには女たちもいる。その中の一人が小皿を一枚取り、容器からしゃもじで牛乳と粟の粥をすくい、それを私に差し出す。私は一歩前に出て、小銃を背に担い、皿を受け取って食べ始める。もはや時間は存在しない。ロシア兵たちは私を見守っている。女たちも私を見守っている。子供たちも私を見守っている。誰もが息を止めている。私の手のスプーンが皿に触れる音がするだけだ。そして、私が一口一口食べる音だけが。「ありがとう(スパシーバ)」と、私は食べ終えると言う。すると、さっきの女は私の両手から、空になった皿を受け取り、あっさりとひと言、「どういたしまして(パジャールスタ)」と答える。ロシア兵たちは、出て行こうとする私を、身じろぎもせずに見送る。戸口の小部屋に、蜜蜂の巣箱がある。スープをすくってくれた女が、扉を開けてくれようとするかのように、いっしょに戸口まで出てくる。私は、身振り手真似で、仲間たちのために蜜蜂の巣をひとつもらいたいと訴える。女はそれを私に渡す。私は外へ出る。
 この出来事の次第はこんなふうだった。今になって考えてみて、この出来事を少しも異常だとは思わない。かつて人間同士の間にあったはずのあの自然さに通ずる自然なことだったと思う。最初の驚きのあとには、私の挙動はすべて自然だった。なんの恐れも覚えなかったし、身を守ろうという思いも攻撃しようとの気持もまったくなかった。しごく単純なことだったのだ。ロシア兵たちも私と同じだったのだ、と思う。あの農家の中では、私とロシア兵たち、女たち、子供たちとの間に、停戦とは違う一種の和合が生まれていたのだ。森のけものたちが互いに抱きあう敬意のようなものを遥かに越える何かがあったのだ。一度だけ例外的に、あの場の状況が、人間ちに人間の在りようを教えたのだ。今、あの兵士たち、あの女たち、あの子供たちはどこでどうしていることだろう。彼らが戦禍を免れたことを私は願う。生きている限り、あの場に居合わせた者たちのことを、そして互いにどう振舞ったかを、それぞれ思い出すこともあるだろう。とくに、子供たちのこと。ああいうことが一度あったからには、同じことがまた起こることもあるだろう。他の無数の人間たちにそういうことが起こり、それがひとつの習慣、ひとつの生きかたになるかもしれない、と私は言いたい。
『雪の中の軍曹』P159~161


 訳者あとがきにはこうあります。

 この潰走の途上で、イタリア軍部隊の兵士たちは力尽きて“雪の中”でつぎつぎに倒れてゆく (『雪の中の軍曹』の“雪の中”はそういう意味に解して頂きたい)。そのありさまが、感傷を極度に排して抑制のきいた簡潔な文体で描き出される。だが、これは軍隊の敗走の記録ではあっても、戦争の文学ではない。苛烈な戦闘の場面も、むしろ背景として語られる。語り手たる「私」の関心は、あくまでも、極限状況下に置かれた人間の上に向けられている。しかもその人間とは、仲間であるイタリア軍兵士だけではなく、ドイツ軍兵士、あるいはソヴィエト軍兵士でもあり、さらには、戦場となった大雪原の一隅に、息をひそめるようにして生きているロシア人農婦やその家族でもある。中でも典型的なエピソードは、本文159ページ中段から161ページにかけて描かれたあの場面である。ここに描かれているのは、敵・味方あるいは国家などという構図を超えた、人間対人間の関わりである。
『雪の中の軍曹』P190


 著者や訳者は、この時の農家(イズバ)での出来事をすごく肯定的に捉えているようです。私も『On a Knife's Edge』での記述を見た時には肯定的に感じたのですが、『雪の中の軍曹』の記述を見るとあまり肯定的には見えなくなってしまいました(^_^;(そこらへんのことは前掲のエントリに書いてあります) 私の目が曇っているのか……どうなんでしょ?(ただ、著者の記述が、著者にとってマイナスに受け取られる可能性のあることでも赤裸々に真っ正直に書かれているのだろうな、という印象は受けます)


 この後の記述は退却の後半で、兵士達の凍傷などがひどくなっていきます。

 ある晩、一軒の農家(イズバ)で、自分の大隊の兵士たちとめぐり合った。彼らは私だとわかってくれた。一人は両脚を凍傷にやられていた。翌朝出発するときに見ると、彼の脚は壊疽にかかって黒ずんでいた。彼は泣いていた。もう皆といっしょに歩くことはできなかったし、彼を乗せる橇も見つからなかった。そこの農家(イズバ)の女たちに預けるほかなかった。彼は泣いていた。女たちも泣いていた。「さよなら、リゴーニ【著者の名前】」と彼は言った。「チャオ、軍曹」
『雪の中の軍曹』P173


 「チャオ」ってこういう時にも言うのかと思って調べてみると、「親しい人に「こんにちは」「さようなら」の意味で使う。」のだそうで、知りませんでした。「さようなら」のイタリア語も調べると、「Arrivederci(アリヴェデルチ)」は『ジョジョの奇妙な冒険』で有名でもありますが、「私たちがまた会う時に」という意味なので再会が前提の言葉だそうで、会う可能性がない時は「Addio(アッディオ)」、再び会うかどうか分からない時には「Buongiorno(ボンジョールノ:これも「こんにちは」の意味でもある)」を使うらしいです。この時は「Addio(アッディオ)」の方を使ったのでしょうか。フランス語でも、通常「またね」という意味で使用される「Au Revoir(オ・ルヴォアール)」と、永遠に会わない「さらば」みたいな意味で使用される「Adieu(アデュー)」があり、イタリア語とフランス語は近い親戚なので形が似てますね。

 それはともかく、この例の場合、現地住民の女性達も泣いていたということなので、イタリア兵に同情していたのでしょう。ただ、その時はそうとしても、壊疽で歩けないイタリア兵をその後ずっと彼女らは養い続けたのかどうか……? それは非常に大変だとも思うのですが……。うーむ……。


 別のある晩、とある農家(イズバ)に入ってみると、そこには軍医中尉がいて、ウクライナ人の護衛(村人の一人で、腕に白い腕章を巻き、占領軍に仕えていた)を従えていた。そのウクライナ人は、粟と牛乳の粥(かゆ)を作り、それを皿によそって私に出した。それはとてもうまかった。
『雪の中の軍曹』P176


 この例ではウクライナ人がイタリア軍に仕えています。自発的な意志からなのか、(なかば)強いられてのものか等、分かりませんが……。

 ある日、われわれはある村を通りかかった。まだ日は高く、一軒の農家(イズバ)で女たちが窓ガラスをたたき、入ってこいとわれわれに合図を送っている。「入ろうか?」と連れが聞く。「入ってみよう」と私は答える。その農家(イズバ)は立派で、窓には刺繍を施されたカーテンが垂れ、紙の花で飾られた聖像画(イコン)も見える。すべてが清潔で暖かげだ。女たちはわれわれのために鶏を二羽茄でてくれ、スープを出してくれ、茄でたじゃがいもを添えた肉も給仕してくれた。食事のあと、眠る場所もしつらえてくれた。タ方近く、エードロ【イタリア北部、スイス国境に近い山村】出身の下士官たちも入ってくる。彼らにラウルの消息を尋ねる。というのも、軍帽の飾り房から彼らがラウルの大隊の者だとわかるからだ。「彼は死んだ。ニコラエフカで戦死した。戦車にまたがって突撃し、下へ飛び降りるときに撃たれた」と彼らは答える。それを聞いて私は黙りこむ。
『雪の中の軍曹』P178,9


 これは明確に、原住民がイタリア兵に自発的に優しくした例と言えるでしょう。この原住民は、最初の例の方の貧しい農家とは違い、豊かな暮らしをしているようでもあります。ただ、相手がイタリア兵だから優しくしたのかどうかは分からないところです。

 「ドイツ兵が相手でも優しくしたのかどうか?」の件ですが、『戦争は女の顔をしていない』のコミカライズの第2話で、ソ連軍の輸送列車が停止中に、ソ連軍の女性軍医達や、ソ連軍兵士達がドイツ兵(「ダンケ(ドイツ語でありがとう)」と言っているので特定できる)に食べ物をあげるシーンが出てくることに気付きました。現地住民どころではない、ソ連軍兵士がです。絶滅戦争を戦っていたとはいえ、現地住民やソ連軍兵士がドイツ兵に対して優しくした例は皆無ではないということは言えそうです。

 1942年以降のソ連の現地住民やソ連兵が(窮状の)ドイツ兵に優しくした例は興味のあるところなので、知っている方は教えていただければ大変嬉しいです。



 さて、『雪の中の軍曹』の中に出てきた「現地農家に入った際の状況パターン」は以上で全部です(読後の蛍光ペンを目印とした目視検索によるので、見落としはあるかもしれません)。また別の本で見つけることがあればブログに抽出していこうと思います。





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Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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