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イタリア兵に優しくするソ連兵や現地住民?(ハンガリー兵も殺しはしない。でもドイツ兵は殺す)

 直前のエントリで書きました、イタリア軍アルピーニ軍団の包囲環突破に関して引用してました『On a Knife's Edge』の文の直後に、イタリア兵に優しくしてくれるソ連兵や現地住民の話が書かれていました。

 この戦いの真っ最中にさえ、そこには驚くべき思いやりの光景が見られた。アルピーニ兵の一人の軍曹が、何か食料が見つけられないかと考えて一軒の丸太小屋に入っていき、ある部屋に入ると、重武装のソ連軍兵士達がテーブルのまわりに座って食事をしている最中なのに出会って驚愕した。恐怖で動けないでいる彼に、その丸太小屋の住人である婦人が牛乳と食べ物を出してくれた。黙ったまま、彼は自分のライフル銃を肩にかけてその食事をいただいた。食べ終わると彼はお皿を婦人に返して礼を言うと、こちらをじっと見つめていたソ連軍兵士達を残してその場を去った。43
 この戦いの直後には、一人のイタリア軍中尉がある丸太小屋で、5人のソ連軍兵士が一つのテーブルを囲んで待ち、一人の婦人が彼らのために食事を作っている途中なのを見つけた。ソ連軍兵士達はそのイタリア軍中尉ににっこりと笑いかけ、一つ空いていた椅子を指差した。婦人は中尉にもソ連軍兵士達と同様に食事を出してもてなしてくれた。ソ連軍兵士達は食べ終わると眠るためにストーブの隣に横たわり、中尉にも加わるように奨めた。翌朝、彼らは中尉を起こすと西を指差し、ニコニコ顔でイタリア軍の退却路まで案内し、手を振って送ってくれたのだった。44
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P247


 小さく「43」「44」とあるのは註で、原典が書いてありました。

43:M. Rigoni Stern, Il Sergente Nella Neve:Ricordi Della Ritirata di Russia(Einaudi, Turin, 2014), p.88
44:G. Bedeschi, Centomila Gavette di Chiaccio(Mursia, Milan, 2011), p.393

 「Il Sergente Nella Neve:Ricordi Della Ritirata di Russia」というのは、機械翻訳にかけてみると、「雪の中の軍曹:ロシアでの退却の思い出」……って、その本持ってないっけ? と思って本棚を見てみたら、ありました(^_^;


unit9938.jpg






 ↓の時に注文して読んでいました。

東部戦線イタリア軍アルピーニ軍団撤退戦に関する和訳本が2冊ありました (2017/06/13)


 当該の記述を探してみると、ありました。

 ダンダ中尉の部下の兵士を加えても、われわれはせいぜい20人である。ここで、われわれだけで何をすればよいのだろう? 弾薬ももうほとんど尽きている。中隊長との連絡も途絶えている。だから、指令がない。せめて弾薬があったら! しかも、私は空腹であり、太陽は西に沈もうとしている。私が柵を越えると、一発の銃弾がかたわらをかすめて飛び去った。ロシア兵たちはわれわれに目を据えているのだ。私はつっ走り、一軒の家の戸口をたたき、中に入る。
 中には、数人のロシア兵がいた。捕虜だろうか? 違う。全員武器を持っている。帽子には赤い星がついている! 私は手に小銃を握ったまま、呆然として立ちつくす。ロシア兵たちは食卓を囲んで食事をしている。大きい容器から木のスプーンで食べ物をすくっていたが、そのスプーンを宙に浮かしたまま、私を見つめる。「食べる物をください」と私はロシア語で言った。そこには女たちもいる。その中の一人が小皿を一枚取り、容器からしゃもじで牛乳と粟の粥をすくい、それを私に差し出す。私は一歩前に出て、小銃を背に担い、皿を受け取って食べ始める。もはや時間は存在しない。ロシア兵たちは私を見守っている。女たちも私を見守っている。子供たちも私を見守っている。誰もが息を止めている。私の手のスプーンが皿に触れる音がするだけだ。そして、私が一口一口食べる音だけが。「ありがとう(スパシーバ)」と、私は食べ終えると言う。すると、さっきの女は私の両手から、空になった皿を受け取り、あっさりとひと言、「どういたしまして(パジャールスタ)」と答える。ロシア兵たちは、出て行こうとする私を、身じろぎもせずに見送る。戸口の小部屋に、蜜蜂の巣箱がある。スープをすくってくれた女が、扉を開けてくれようとするかのように、いっしょに戸口まで出てくる。私は、身振り手真似で、仲間たちのために蜜蜂の巣をひとつもらいたいと訴える。女はそれを私に渡す。私は外へ出る。
『雪の中の軍曹』P159,160


 『On a Knife's Edge』の記述だと「恐怖で口もきけないイタリア兵に、婦人が(優しくも)食べ物を出してくれた」かのように思えましたが、実際には「食べ物をください」と自分で言っているし、その場にいた人はみんな凍り付いているし、しかも帰りがけには蜂蜜の巣までもらっています。これは「イタリア兵に優しくしてくれた例」ではなくて、むしろ「びっくりして皆が止まっている中、イタリア兵がもらえるものだけはもらって帰った」という例のようにも思えます(^_^;


 『雪の中の軍曹』で私が蛍光ペンで線などを引いていた箇所をパラパラと見ていると、他にもソ連の住民の住む農家に入っていって……という例が何回もあり、そしてどちらかというと住民は恐怖に怯えていたりするので、「ソ連の住民はイタリア兵には優しくしてくれた(ことが多くあった)」説に対する反証(反対の証拠)にもなりそうです。反証はぜひ集めておかねばとも思いますので、一回同書の中からそれ関係の記述を抜き書きしてみようと思います。



 もう一つの「Centomila Gavette di Chiaccio」というのは機械翻訳しても良く分からなかったのですが、↓がそうで、著者が従軍したアルバニア戦線から、ロシアからの退却までを書いた本だということのようです。



 こちらの記述はまったく完全に「ソ連兵がイタリア兵に優しくしてくれた」例のように見えますが、『雪の中の軍曹』→『On a Knife's Edge』への時にかなり印象が異なる書き方になっていたのを考えると、『On a Knife's Edge』の記述をそのまま信用して良いのかどうか……(^_^;

 この本の英訳本があれば良いのですが、ちょっと探してみたもののよく分かりませんでした。しかしKindle本なので機械翻訳にかけようとすれば楽にできると思いますから、今ぱっと買いはしないものの、Amazonの「欲しいものリスト」には入れておきました。




 その後『On a Knife's Edge』を読み進めていたら、こんな話も書いてありました。

 ソ連軍の手に落ちた彼ら【ハンガリー軍とイタリア軍の兵士達】のほとんどは、病気か寒さで死んだが、すぐに処刑された者も多かった。だが、この時生き残った者達は、ソ連軍兵士達が国籍によって違った扱いをしていたと証言している。一人のアルピーニ兵が、捕虜の集団の持ち物を検査する2人のソ連軍兵士を見ていた。

 彼らは2人で捕虜の所にやってくると、捕虜のコートやジャケットの中を検査し、時計や指輪などの持ち物をすべて取り上げると、次に国籍を確かめるのだった。捕虜がドイツ兵であった場合には、銃剣で刺すか、至近距離から銃で撃ち殺した。だがイタリア兵かハンガリー兵の場合には、命は助けられた。48
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P248



 註による原典はこうなってました。

48:C. Vicentini and P. Resta, Rapporto sui Prigionieri di Guerra Italiani in Russia(UNIRR, Milan, 2005), p.45

 「RAPPORTO SUI PRIGIONIERI DI GUERRA ITALIANI IN RUSSIA」は「ロシアのイタリア戦争捕虜に関する報告」だそうです。

 検索してみると、一部のページを抜粋したらしきpdfがネット上にありました(ちゃんとした本の方は、イタリアAmazonでなら買えるようですが、日本Amazonでは買えないようです)。

RAPPORTO SUI PRIGIONIERI DI GUERRA ITALIANI IN RUSSIA

 当該のp.45はpdfの10ページ目にあり、その中央辺りの(pag.405)の部分の2つ目のセンテンスが、『On a Knife's Edge』における引用部分でした。イラストが結構入っていたので、それらを見るだけでも価値はあるかもです。

 この記述だと、お互いに絶滅戦争をしていた(→大木毅さんの『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を参照)ドイツ兵に対してはソ連兵は一片の憐れみも持たなかったということなのでしょうが、イタリア兵とハンガリー兵に対しては、「持ち物は全部もらうけど、殺すまではしなくていいや」と思っていた(もちろん、この2人のソ連兵の例に過ぎないわけですが)ということでしょうか。




 ただ、この例も別に「イタリア兵には優しく」というよりは、「ドイツ兵は殺す。ドイツ同盟諸国軍兵にはまあそこまでではない」という例に過ぎないと見るべきでしょうねぇ……。


 一方で、(1942年以降で)「ドイツ兵とソ連兵が仲良くした例」とか「ドイツ兵に現地住民が優しくしてくれた例」っていう話はないのでしょうか? それが希有な例でたとえば0.1%しかないとして、イタリア兵に対して優しくした例がもしかして全体の5%程度しかなかったとしたら「ソ連兵や現地住民はイタリア兵には優しくしてくれたんだよ~!」と声を大にして言うほどのことではない、ということにもなりそうな気がします。まあパーセンテージとかは分からないでしょうけどもね~。

 ともあれ、今後も情報収集はしていきたいと思います。

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 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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