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イタリア軍のアルピーニ軍団は「3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した」?(付:OCS『GBII』『Case Blue』)

 以前、東部戦線のイタリア軍のアルピーニ軍団の、小土星作戦(以降)における戦いが「敢闘」と呼べるものだったのか(いやどうもそうではない)ということに関して書いたエントリがありました↓。

GJ69号:近藤さんのOCSスモレンスク記事&イタリア山岳軍団は50日間敢闘したのか? (2018/12/01)


 ただこのエントリを書いた後でも、私は↓の引用の(オストロゴジスク=ロッソシ作戦の時には)「3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した」という部分に関しては、アルピーニ軍団は褒められるべき戦いをしていたのだろう……と思い込んでいました。

 ……1月14日には遂にドン河戦線の左翼でも新たな反攻作戦が始まった【オストロゴジスク=ロッソシ作戦】。
 ドン河を越えて迫り来る赤軍を迎えたイタリア山岳軍は、圧倒的な戦力差の中で3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した。3個山岳師団と残存部隊は零下30度の中で退却戦を続けながら友軍陣地を目指し、26日にはニコライエフカで『トリデンティーナ』山岳師団の一部と独伊両軍残存部隊は敵の包囲網を突破することに成功したが、『ユリア』と『クネーンゼ』山岳師団と『ヴィチェンツァ』歩兵師団はヴァルイキの後方100kmで撃破された。
『イタリア軍入門』P69,70




 ↓OCS『Guderian's Blitzkrieg II』『Case Blue』による同戦区。

unit9958.jpg

 セットアップは天王星&火星作戦の時のもので、その時点ではヴィチェンツァ師団(Vicenza。保安師団で、二線級の部隊だった)ははるか後方にいたのですが、オストロゴジスク=ロッソシ作戦時には画像の位置まで来ていたので動かしてあります。あと、ドイツ軍の第24装甲軍団司令部ユニットはハンガリー軍第7軍団司令部とスタックしていたのですが、分かりやすくするためにちょっと移動させました。このエントリの最後の方で、画像の下の方にあるカンテミロフカという村の名前が出てきますが、オストロゴジスク=ロッソシ作戦の時にはこの村はソ連軍に占領されています。


 ところが『On a Knife's Edge』を読んでいると、どうもその印象は間違っていた(ただし『イタリア軍入門』の記述が間違っているわけではない……)ような気がしてきまして、そこらへんのことを書きたいと思います。


 まずは事前の情報として、オストロゴジスク=ロッソシ作戦は北部のハンガリー軍(+ドイツ軍)戦区に対してまず攻勢が開始され、南部のイタリア軍アルピーニ軍団の戦区へのソ連軍の攻撃は数日遅れで始まったということがあります。そして……

 ドイツ軍第26歩兵師団とハンガリー軍第1機甲師団によって試みられた反撃はすぐに停止させられて大反攻を受け、混乱がいや増す中でこのドイツ軍歩兵部隊は退却し、隣接するイタリア軍のアルピーニ軍団の側面が無防備となってしまった。アルピーニ軍団の司令官であったガブリエーレ・ナッシ中将は、ソ連軍の攻勢に関する正確な情報を得ようとして無駄なあがきを続けていた。上級司令部から送られてきた情報は、いくつかの地点で敵が突破したというものでしかなく、しかもその推定規模はまったく過少なものであった。ナッシ率いるアルピーニ軍団は東部戦線に残されていた最後のイタリア軍の大規模部隊であり、ナッシは小土星作戦でやられてしまった他のイタリア軍部隊の二の舞を避けようとあらゆる努力を払っていた。それがうまくいくためには時期を逃さず、正確な情報が得られるということが不可欠であった。だがナッシはこの時、現実とは食い違った報告に頼るしかなかったのだった。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P232

 第24装甲軍団司令部の事実上の壊滅により、重大な影響が出始めた。イタリア軍部隊はすでに退却し始めていると信じて、【第24装甲軍団司令官であった】Jahrは麾下の残りの部隊に西への退却を命じた。当初この撤退はB軍集団司令部から禁じられたものの、1月15日夜には許可されてドイツ軍部隊は撤退を始め - そして彼らはイタリア軍はすでに西への撤退を始めていると考えていたので、自分達の退却についてイタリア軍に伝えようという考えに至らなかった。そしてまだ退却を始めていなかったイタリア軍側はそれを皮肉にも、ドイツ軍が自分達の撤退をカバーさせるためにイタリア軍を残そうとしているのだと確信することになってしまった。イタリア第8軍司令官のイータロ・ガリボルディ将軍は実際、撤退の許可をB軍集団のヴァイクス将軍に求めていたのだが、アルピーニ軍団の司令部ではナッシが - ソ連軍の攻勢規模は大したものではないとの情報に基いて - 局地的な反撃を麾下の部隊に命じていたのである。しかしそれはほとんど成功せず、しかも結果的に彼らは第24装甲軍団のドイツ軍部隊との連絡を失ってしまった。1月15日の夜になってナッシはアルピニ軍団が置き去りにされつつあることに気付き、撤退の開始を命令したのであった。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P233



 この書き方からすると、アルピーニ軍団は「3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した」という文から受ける肯定的な印象よりは、「上級司令部のソ連軍攻勢に関する過小な見積もりと、側面のドイツ軍が自身の撤退を隣のアルピーニ軍団に伝えなかったことなどの情報の混乱のため、攻勢の矢面に立たされていたわけではなかったアルピーニ軍団はその場に踏みとどまって反撃をもおこなったが、それは大して成功せず、結局ソ連軍の攻勢開始3日目になって、自分達が置き去りにされつつあることに気付いて撤退した」というような、割と色々と否定的な印象を受けました(^_^;

 尤も、『イタリア軍入門』の記述が間違っているとまでは言えないですし、個人的には「少なくとも3日間はアルピーニ軍団は頑張ったらしい」という肯定的な思いがあったので、それがどうもそういうわけでもなかったらしいと知ってだいぶショックではありました(>_<)



 試しに『Death on the Don』の方も確かめてみたら、以下のように書いてありました。

 マジャール人【ハンガリー軍】が攻勢を受けて後退を始めて戦線の連続性が失われていったため、ソ連軍が戦線の隙間に入り込み、包囲された部隊が【ハンガリー】第2軍の撤退に取り残される恐れがでてきた。特に危険だったのがイタリア軍のアルピーニ軍団とヴィツェンツァ師団であり、なぜならば彼らは自分達の以前の補給拠点であった南方のカンテミロフカからの攻撃を受けつつあったからである。【ハンガリー軍の】第7軍団【ハンガリー第2軍のうち、最も南にいた軍団。北から第3、第4、第7軍団がいた】が混乱しつつ退却したため、彼らイタリア軍部隊のの側面ががら空きとなり、孤立してしまう危険が迫りつつあった。
 ところが、アルピーニ軍団の司令官であったガブリエーレ・ナッシは、B軍集団司令官のフォン・ヴァイクス直々の命令で、現在地点から動いてはならないとの厳命を受けていたのである。

 軍集団からの命令なしにドン川の線を離れることは、絶対的に禁止されている。この命令に違反した場合、私はその責任を貴官に求めることになろう。

 アルピーニ軍団はその場にとどまり続け、そして包囲されたのである。
『Death on the Don: The Destruction of Germany's Allies on the Eastern Front, 1941-1944』P203

 ハンガリー軍が大慌てで退却し、隣接する第24軍団のドイツ軍部隊がボロボロになり、ソ連軍が遥か後方にも、あらゆる方角にも進出してからようやく、1月17日の午前11時、【イタリア軍の】第8軍司令部から、現在地より退却し西方への突破を試みることの許可をアルピーニ軍団は受け取った。その命令書の最後にはこう書かれていた。「神のご加護がありますように」
『Death on the Don: The Destruction of Germany's Allies on the Eastern Front, 1941-1944』P206


 こちらには情報の問題は全然書いてなく、ただ「退却してはならない」という命令があったということだけが書かれています。また、『On a Knife's Edge』では15日夜にナッシ将軍(アルピーニ軍団司令官)が撤退を命令したことになっていますが、『Death on the Don』では17日午前11時に第8軍司令部(ガリボルディ将軍)から撤退の許可が来たという書き方になっています(B軍集団から許可が出たのかどうかは、両者とも全然分からないですね)。


 しかし『Death on the Don』においても、アルピーニ軍団のこの3日間(5日間?)に関して肯定的には評価できないような気がします(T_T)  個人的には、オストロゴジスク=ロッソシ作戦の時にアルピーニ軍団が「3日間頑張った(らしい)」という話を心の支えにして生きてきた(おい)ところがあったのですが……。

 まあやはり、色々とある程度詳しい資料を見てみないとダメということでもありましょうかね~。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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