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OCS新作『Hungarian Rhapsody』注文開始&ハンガリー第2軍はソ連軍の攻勢を予期していたのか?

 ツイッターでも書いていましたが、MultiManPublishingのウェブサイトで、ハンガリーでの戦い(ブダペスト包囲戦)を扱うOCSの新作『Hungarian Rhapsody』の注文が開始されてます。

Hungarian Rhapsody-OCS

 ただ、私は注文情報を入力してボタンを押しても次の画面に進まない状態で、うーん、どうしたものか……。

 上記ウェブサイトでマップの一部とカウンターシートのデータが見られます。シナリオが15本も入っており、うち5つがマップ1枚でプレイ可能なのは、「広いマップを広げられるスペースがないから、小さいマップでプレイできるシナリオを増やして欲しい」という意見を取り入れたからだそうです。


 ハンガリーでの戦いについて私は何も知りませんで、ハンガリー軍についても良く分かってないのですが、『On a Knife's Edge』を読んでいると、(天王星作戦でのルーマニア軍、小土星作戦でのイタリア軍に続いて)いよいよ撃滅されることになるオストロゴジスク=ロッソシ作戦直前のハンガリー第2軍の様子について書かれていて興味を持ったので、そこらへんまとめてみたいと思います。


 ↓『Guderian's Blitzkrieg II』+『Case Blue』の火星&天王星作戦キャンペーンセットアップ時のハンガリー第2軍戦区

unit9977.jpg

 1943年1月13日からのオストロゴジスク=ロッソシ作戦でこの地域のハンガリー第2軍は包囲され撃滅されることになるのですが、おおまかな配置は火星&天王星作戦の時(1942年11月)とそれほど変わってないと思われます。

 ハンガリー軍のユニットは青っぽいやつとジャーマングレーっぽいやつ(ドイツ軍はもっと薄い灰色)なのですが、これは青っぽいやつが『Case Blue』のユニットで、ジャーマングレーっぽいやつは『Guderian's Blitzkrieg II』のユニットだと思います。


 まずは、スターリングラード包囲戦の頃のハンガリー軍の状況について。

 イタリア軍、ルーマニア軍、ハンガリー軍の士気は、パルチザンが前線に向かう隊列に類を見ない襲撃をしかけてくるので、いずれも揺らいでいた。やがて、死傷者がほとんど出なくてさえソ連軍の空襲によって士気は低下した。さらに地上では「スターリン・オルガン」から発射されるカチューシャ・ロケット弾に攻撃されて、同盟軍部隊はいったい自分たちはここで何をしているのかと悩みはじめる。
 ソ連機はハンガリー語、イタリア語、ルーマニア語で書かれたビラをまいた。同盟国兵士に、ドイツのために無駄死にするなと訴えたビラである。このプロパガンダは少数民族に最も効き目があった。ハンガリー軍に徴兵されたセルビア人やルテニア人はすぐにも脱走しかねなかった。「ハンガリー人でない者をどうして信用できようか」とバログ伍長の日記にある。赤軍情報部がモスクワに報告したところによると、多数の小集団が前線到達前に協力して脱走する計画を立てた。彼らは赤軍が攻撃してくると暫壕に隠れ、降服する時期を待ったという。
 別の連隊から脱走したルテニア人はNKVDに尋間され、大部分の戦友が「暫壕の中にうずくまって、 毎日無事でいられますようにと神に」祈っていると話した。「みんな戦いたくないのに、 怖いから脱走しません。ロシア兵はドイツ兵を拷問にかけて殺すという上官の話を信じているからです」
 同盟国軍の最大の問題は混乱であった。前線部隊は味方の同盟軍に絶えず砲撃された。「神よ、どうかこの戦いが短くてすみますように。誰もが僕らに爆弾を落とし、砲撃してきます」とバログ伍長。一週間もしないうちに、彼はまた次のように書く。「ああ、神さま。この恐ろしい戦争をとめてください。これ以上続けば僕らの神経はぼろぼろになる……僕らはもう楽しい日曜日を故郷で過ごすことはないのだろうか。 故郷の人は僕らのことを覚えているだろうか」
 士気の低下がはなはだしかったので、ブダペストに不安が広がるのを恐れたハンガリーの軍部は内地宛に手紙を書くのを禁じた。次の攻撃の前に、兵士たちは「できるかぎり上等の食事 - 板チョコ、缶詰食品、ラード、砂糖、グーラシュ(ビーフシチューに似たハンガリー料理)」で激励された。しかしほとんどの者があとで激しい腹痛を起こした。「ここにいる兵士はそういう食べ物に慣れていない」からだった。
『スターリングラード 運命の攻囲戦』P250~252

 東部戦線の多くの場所と同様、1942年の後半はずっとスターリングラード戦にリソースが優先的に割り振られていて、補給は非常に少なかった。ドイツ軍は、ルーマニア軍やイタリア軍と同様にハンガリー軍にも対戦車兵器を供与すると約束していたがそれはほとんど守られず、また約束を守ったとしてもほとんど訓練を受けていないハンガリー軍の新兵達には、それを扱うことなどできなかった。そしてこの年の後半には、食糧の供給でさえ場当たり的なものになっていった。ハンガリー軍の第1機甲師団は、ルーマニア軍のそれと同様、主として時代遅れの38(t)戦車と、ほんのわずかのⅢ号戦車とⅣ号戦車を装備していた。ドン川沿いに配置されたハンガリー軍歩兵部隊のほとんどは「軽」師団と呼ばれ2個連隊しか持っていなかったが、向かい合っているソ連軍歩兵師団は3個連隊で編成されていた。つまりは、ハンガリー軍の戦力は最低限度のものでしかなく、ましてや過酷な東部戦線においておやであった。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P221




 さて、タイトルに書いた「ハンガリー第2軍はソ連軍の攻勢を予期していたのか?」ですが、ルーマニア軍とイタリア軍がこの2ヵ月の間にすでにソ連軍にやられて崩壊していたのに、ハンガリー軍は「ソ連軍がハンガリー軍戦区に攻勢をかけてくる可能性は低い」と考えていた……という話があります。

 例えばこのような記述。

 ……師団としての戦闘力は事実上、ドイツ軍歩兵師団の半分程度に過ぎなかった。
 前線兵士の練度と士気は、ルーマニア軍やイタリア軍よりは高かったものの、各歩兵師団が装備する対戦車砲は時代遅れの37ミリ砲だけで、T-34をはじめとする強力なソ連戦車に対抗できる兵器は装備していなかった。
 しかも、ハンガリー軍の上層部は対ソ戦への参戦に際して、従軍将兵を懐柔するために、戦場周辺での「戦利品」の徴発行為を推奨するような態度をとったため、前線での軍紀は乱れ、兵士の戦意も次第に低下していった。
 組織内部の規律の緩みは、下級組織だけでなくハンガリー第2軍の司令部においても見られ、12月中旬に発生したイタリア第8軍の崩壊を目の辺りにしても、彼らは次が自分たちの番だとは考えていなかった。
 同年12月末、ハンガリー軍の参謀総長フェレンク・ソンバテルイ大将が第2軍に命令文を送付し、イタリア軍と同様の敵攻勢に直面した場合の行動指針について指示したが、第2軍の参謀長チボル・コヴァツ少将が43年1月7日に本国へと送付した報告書の内容は、次のようなものだった。
「現状においては、敵がハンガリー軍の戦区に対して新たな大規模攻勢を開始する可能性はきわめて低いと考えられる」
 ソ連軍がハンガリー第2軍の戦区で大攻勢を開始したのは、その6日後のことだった。この予期せぬ攻勢により、同軍に所属する9個師団は為す術もなく各個撃破され、わずか2週間の戦闘で、17万8000人のハンガリー兵が失われたのである。

『第二次大戦欧州戦史シリーズ24 スターリングラード攻防戦』P166,7



 しかし、『Death on the Don』によると、それは「願望」だった、という書き方になっています。

 これ【東部戦線の潮目が変わり始めたこと】は、ハンガリー軍にとって想定された事態ではなかった。
 1943年1月7日になってさえも、【ハンガリー第2軍司令官】Jányの参謀長であるGyula Kovacs中将がブダペストへ、ソ連軍による大攻勢はまずありそうにないから安心するようにという連絡を送っていた。
 ハンガリー軍の全般的状況から考えてみると、これは確実な証拠によるものというよりは、ぜひともそうであって欲しいという願望によるものだった。ハンガリー軍は、すでに崩壊してしまっていた他の2つの枢軸同盟軍と較べてもより一層ひどい状況にあり、同じようにあらゆる欠乏状態にあった。余りにも長い戦線に兵士の数は足りず、訓練度は普通程度であったが指揮官のレベルは低く、装備は不足しており、特に対戦車砲はまったく足りなかった(注:比較的装備の良かったハンガリー軍の第1機甲師団でさえも対戦車中隊を1個しか持たず、しかもそれは時代遅れの50mm砲を4門持っているだけで、他には全く役に立たない20mm対戦車ライフルがいくつかあるだけであった)。ハンガリー軍がドン川沿いに築いていた野戦陣地は非常に簡単なものに過ぎず、主として木を並べた塹壕と、いくらかの鉄条網付きのたこつぼだけでできていた。充分な深さの防御用地雷原を構築するには地雷が足りず、またもちろんのことだが、防御陣地をカバーできるだけの砲もなく、やむを得ず主要な場所の前に直接地雷をひとかたまりにして設置し、このマジャール人【ハンガリー人】達はなんとかいくらかでも防御効果をあげられないかと苦心していたのだった。
 兵士達は着古した夏期用の軍服で寒さに震え、現地民や不幸なソ連軍捕虜から買うか、交換するか、あるいは盗むことのできた服をありったけ着込んでいた。何着もの服にくるまれた彼らの動きはまるで太った老人のようであり、肌にはシラミが湧いて、病気が燎原の火の如く広がっていた。届く糧食はずっと全く同じものでカロリーも低く、生きるだけでギリギリの水準であり、そして他に食べられるものは何もなかった。兵士達の身体は寒さの中で脂肪が消費され尽くされ、若い兵士達でさえも以前の姿からは想像もできない幽霊のような状態になってしまっていた。
 ハンガリー軍は「軽師団」と呼ばれる2個連隊の歩兵師団へと再編成を行っていたが、これも助けにはならなかった。実際の所、この再編によって使用できる師団数は増えたが、兵士の数は増えたわけではなく、このドン川沿いの9個の「新たな」師団の各々の防衛線は、以前のものより弱体化していたのである。
『Death on the Don: The Destruction of Germany's Allies on the Eastern Front, 1941-1944』P196,7



 ところが、『On a Knife's Edge』では、ハンガリー軍全体でもソ連軍の攻撃予定があることは掴んでいたが、その規模は小さいと上級将校の幾人かが考えていて、しかしながらハンガリー第2軍司令官と兵士達は「そのような幻想を抱いていなかった」としています。

 いつものようにソ連軍は攻勢準備を偽装していたものの、ハンガリー軍は攻撃が近づきつつあることを感じていた。だが、幾人かの上級指揮官がその攻撃規模を小さく見積もっていたことが、破滅をもたらすことになる。1942年末における予兆について、第3軍団司令官であったGyörgy Rakovsky少将は書いている。「予期していたのは、あくまで局部的なソ連軍の攻撃だった……私の印象では、その攻撃は我々だけで何とか対処できそうなものだったのだ。」
 Rakovskyの見解がどのようなものであったにせよ、ハンガリーの第2軍司令官であったVitéz Jányと、前線の兵士達は、そのような幻想を抱いてはいなかった。対戦車砲もなく、彼らは無力であった。皮肉なことであるが、ドイツ軍が大量に保持していたソ連軍の鹵獲76mm砲をルーマニア軍やイタリア軍、ハンガリー軍に回せば、はるかに素晴らしい防衛線を築けたであろうし、ドイツのみならず同盟諸国の技術で、76mm砲用の砲弾を生産できるようにすることも決して不可能ではなかったろう。だがヒトラーはロシアで鹵獲した兵器を同盟諸国軍に使用させることも、ましてや引き渡すことには全く気が進まなかった。というのは、ともかくもソ連軍はもう崩壊寸前であるとヒトラーが - および、これは覚えておくべきことだが、かなり長い間ハルダーも - 信じていた時期に、これらドイツの同盟諸国軍はドン川沿いに配置されたわけであるが、このような状況においては、いつか敵になるかもしれない国の防御力を改善させるために資材を提供することに熱心になれないのは、不思議なことではなかった。
 ハンガリー軍兵士達の士気は低かったが、スターリングラードが破局的な状況になっている今、枢軸軍全体への信頼感も激しく低下していた。ソ連軍はもちろんこの事に気付いていた。ソ連軍の第25近衛歩兵師団の副連隊長であったNikolai Grigorievich Shtykovの元に、来たるべき攻勢準備中に部下達が捕虜を連れてきた。

 私のところに来た書類と、捕虜となったハンガリー軍兵士達の供述書によって我々は、彼らの多くが、他国の犯罪的な戦争に自分達が加担させられているのだと気づき始めている、ということを知った。彼らの全員が、故郷へ帰りたがっていた。我々の師団との戦いで戦死した第1オートバイ旅団の兵士Istvan Bolachekの日記の中に、そのことが雄弁に書かれていた。ここに抜粋引用する。
「昨日の戦いで僕は奇跡的に生き残った。中佐殿と数人の大尉が戦死した。士気は低い。寒くて凍えそうだ。聖母様、我々が故郷へ帰れますよう、お助け下さい。」
 ハンガリー軍の第20歩兵師団のある兵士は我が軍の偵察部隊の捕虜となったが、尋問の際に彼が述べたのは、自分は捕まらないようにすることも出来たのだがそうしなかった、なぜなら、自分の為にならないホルティ政権の利益を守る為に戦いたくなかったからだ、と。

 新たな増援として、戦闘経験のない新兵達がこのハンガリー軍の戦線に、ソ連軍によるオストロゴジスク=ロッソシ作戦の開始のわずか数日前に到着した。これらの新兵達は東部戦線に送られる前に基本的な訓練を受けただけであり、こんな巡り合わせでなければ、更なる訓練を受けつつ状況に慣れていくために戦線を交代していくことになっただろう。だが、彼らは気が付くと戦いの真っただ中にいた。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P226



 「予期」の問題に関して、これらを見比べて素人判断するとすれば、一番複雑な書き方になっている『On a Knife's Edge』が一番ありそうだという気はします。ただ、「ソ連軍の攻撃はあるだろうが規模は小さいだろう」という見立てに関しては証拠が挙げられてますが、ハンガリー第2軍司令官と兵士達が「幻想を抱いていなかった」件については何の証拠も挙げられてないのが残念です。



 あと、ハンガリー軍がオストロゴジスク=ロッソシ作戦の戦い中にどのようであったかなんですが、↓の文だけ収集済みだったのでそれを。

 イタリア軍の南翼にいた第24装甲軍団の退却ということに加えて、北翼のハンガリー軍も後退したという知らせが【イタリア軍に】入った。だが、これは完全に正しいとは言えない情報であった。多くのハンガリー軍部隊は蹂躙され、後退してはいたが、依然として元の位置にしがみついている部隊もいたからである。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P233,4





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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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