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なぜイタよわ?:国力・工業力の低さと、兵器・装備が惨めなほど時代遅れ……

 「なぜイタリア軍は弱かったのか?(なぜイタよわ?)」の再まとめの3回目ですが、今回は「イタリアの国力・工業力の低さと、兵器・装備が惨めなほど時代遅れ」な件について。


 イタリアの工業力の低さについては、動画「なぜイタリア軍は弱かったのか? 前編」でグラフを出していました。


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 ちなみにこの後、日本やドイツはいくらか増産、アメリカは2倍近くまで行くのだけど、イタリアは減少の一途……です。


 この件について、大木毅さんはこのように書いてます。

 1930年代から40年代にかけてのイタリアが、近代化の途上にあり、充分な工業力を持っていなかったことは、あらためて喋々するまでもあるまい。なるほど、第一次世界大戦後のパリ講和会議では、世界五大国の一つともてはやされはした。さりながら、その実態は、1930年代後半になっても、労働者の半数以上が農業に従事しているという数字が示すように(1939年のドイツでは、労働者中、42%が工業労働者で、農業労働者は26%にすぎなかった)、工業化を達成しているとは到底評しがたかったのである。実際、他の第二次大戦に参加した諸国と比べても、イタリアの工業ポテンシャルは、きわめて低かった。
『明断と誤断』P47



 また、ムッソリーニはエチオピア征服に成功しましたが、これがまた、全くお荷物にしかならない植民地であったと……。

 イタリアの植民地は、イタリアの農業や工業の生産品にとって、大きな原料調達先にも、市場にもならなかった。それらはイタリア経済に対していくばくかでも原料を提供するどころか、原料を消費させるだけのしろものであった。
『Iron Hulls, Iron Hearts: Mussolini's Elite Armoured Divisions in North Africa』(Kindle版)位置No.186~190

 イタリア帝国はまた、他にも資源を浪費する要因を抱えていた。その一つ目はエチオピアを完全に制圧しておくためのコストが必要であり、またエチオピアの困窮状態をなんとかすることが急務であったためであった。エチオピアは異なる民族がモザイク状に分布しており、それらのほとんどはお互いに、あるいは中央の権威に対して敵対状態にあり、イタリア軍はエチオピアに対して大規模な守備隊をエリトリアから送り込み、維持しなければならなかった。さらに加えて、イタリアはエチオピアのインフラの改善に取り組まねばならず、まずは舗装道路網の建設が必要であった。その結果、イタリアの植民地に対する出費は1934年には10億リラ以下であったものが、1938には60億リラ以上に達していた。これはイタリア経済にとって耐えがたい出費であり、帝国の新たな植民地は少なくともしばらくの間は、リソース上の重荷でしかなかったのだ。
『Iron Hulls, Iron Hearts: Mussolini's Elite Armoured Divisions in North Africa』(Kindle版)位置No.232~8



 いわゆる「植民地獲得競争」や「帝国主義」の時代に、植民地からの収奪と、植民地を市場とすることによって支配国の側が工業化に成功していったということは確かだと思うのですが、帝国主義時代の最後の頃(日本やイタリアがそれに参加し始めた頃)には、もう「貧しい地域」しか植民地にできるような場所は残っておらず、よしんば軍事的にその植民地化に成功しても、むしろその植民地に資本を大量に投下しなければならなかったのだとか……。この点は日本(大日本帝国)も同様でした。


 この国力・工業力の低さから、兵器・装備が時代遅れなまま更新されないことに……。

 第一次大戦の経験から、王国陸軍は砲兵を重視していたのだが、その装備の刷新は遅々として進まなかった。早くも1929年には、すべての種類にわたって、砲が旧式化しているから - ほとんどが、第一次大戦中に生産されたものだった - 新型に換えなければならないとの要求がなされていたにもかかわらず、イタリア工業界は、それに応えることができなかったのだ。とどのつまり、王国陸軍の砲兵隊は、1938年に発注された砲の一部を1941年から42年にかけて受けとったほかは、第一次大戦の砲を使用し続けなければならなかった。その結果、イギリス軍と対峙した王国陸軍砲兵隊は、著しく不利な勝負を強いられることとなった。王国陸軍の主要重砲である100ミリ榴弾砲と105ミリ加農砲の射程は、イギリス軍の25ポンド砲などに3000メートルほども劣り、容易にアウトレンジされてしまったのだ。
『明断と誤断』P47,8

 ……実際にはこのイタリア軍の状態は、現代戦において要求される水準から遠く隔たっていた。
 グラジアニ将軍の指揮するこの軍は、セヌッシとかネガスといった、現地土民の反乱分子と戦う植民地戦争向きの軍隊にすぎず、その戦車・装甲車は軽量でエンジンの馬力も弱く、行動半径も小さいものであった。砲兵が持っている火砲の大部分は第一次世界大戦当時のもので、射程も短かった。対戦車砲および高射砲の装備数はきわめて少なく、その小銃や機関銃でさえも旧式のものか、または現代戦の要求に応じえない程度のものであった。
『ドキュメント ロンメル戦記』P122

 旧式の装備と慢性的な補給不足のため、イタリア軍は「貧者の戦争」を強いられた - 十分な支援部隊、通信部隊に恵まれたことはなかったのである。自動車化されている筈の部隊でも、トラック不足は顕著で、例えばトレント師団などは、書類上でのみの自動車化部隊だった。
 野砲の殆どは、射程約7000メートルの第一次大戦でも使われた旧式砲だった。イタリア製対戦車兵器は貧弱だったため、ドイツ軍から88ミリ砲を購入し、機甲師団と自動車化師団に配備した。それ以外の部隊、特に歩兵師団は、対戦車能力は無に等しかった。
 機動部隊にしたところで、装備は不十分だった。当時アフリカに送られた225輌の戦車全てが、旧式だった。1930年代に設計されたそれらの戦車は、敵対戦車砲に対してはあまりに装甲が薄く、そして敵戦車の装甲を貫徹するには、あまりに砲の威力が小さかったのである。それ以上に問題だったのは、機械的信頼性の低さである。砂漠という厳しい環境が、その問題を助長させた。1936年のエチオピア戦争では、軽装備の敵には有効だったかも知れないが、1942年に彼らが遭遇した連合軍戦車には、全く歯が立たなかったのである。
『コマンドマガジン Vol.15』質と量の戦いP27



 詳しく見ると、戦車に関しては1930年代に相当数が揃えられたものの、それは豆タンクのCV33で、その後各国の戦車が強力になってきて更新が必要だと思われるようになっても「数をいっぱい揃えてしまったので、もったいない」という理由で更新ができなかったのだとか……。



 これに加えて指摘すべきは、伊軍が1941年以降使用することとなった兵器・装備が惨めなほど時代遅れなものであったことで、その原因の筆頭としてあげるべきが、イタリアが確固とした産業基盤を有していなかったことである。イタリアは1930年代の前半から中頃にかけて他国に先駆けてその装備を一新したものの、1930年代後半になって世界全般での兵器の質の向上が目覚しかったがために、イタリアが1940年の時点で使用していた兵器は他国のものと較べると押しなべて時代遅れとなっていた。これには、イタリアが自軍の装備を一新するだけの財政力と開発力を欠いていたことも作用していた。
『大いなる聖戦 上』P232




 また、スペイン内乱に兵器を送って失ってしまったことや、あるいは北アフリカの緒戦においてイギリス軍に大敗北してしまった時に非常に多くの兵器・装備を失ってしまっており、そしてその損失をイタリアの工業力ではもはや挽回できなかったということが大きかったらしいです。

 彼らはまた、相当量の軍事兵器を、スペイン内戦に送った為に失ってしまっていた。
『Iron Hulls, Iron Hearts: Mussolini's Elite Armoured Divisions in North Africa』(Kindle版)位置No.256

 【ベダ・フォムの戦いまでに】イタリア軍は130,000名の捕虜を出し、180両の中戦車と200両以上のL3軽戦車を失い、1200門の大砲や迫撃砲を損失した。
 さらに、イタリア空軍も重大な損失を被っていた。この戦略的な物資の損耗は見過ごされるべきではない。なぜなら、その貧弱な工業生産能力のために、イタリア軍は損失を埋め合わせはできたかもしれないが、その後決して優勢を獲得することはできなかったからである。イタリアにいる多くのイタリア軍師団は装備を充足されることもなく、また装備も満足のいくものではなかった。ましてや前線から離れた守備隊においておや。
『Rommel's North Africa Campaign』P32



 「なぜイタよわ?」の第1回にあったように、イタリア軍が貧乏国の戦争をしているのに対して、ドイツ軍が億万長者の戦争をしていると見えたのも分からないでもないですね……。

 尤も、日本軍も貧乏国の戦争をしており、ドイツ軍に乗っかろうとしたわけですが、ドイツ軍が「あいつらは物量頼みの戦争しかしていない」と泣き言を言ったアメリカ軍相手に日本は戦ったわけですから、うーん……。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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