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なぜイタよわ?:イタリア人には戦う理由なんてなかったのに! 「弱い」とかそういう問題じゃない!

 『Axis Powers ヘタリア』というマンガ・アニメ作品が出た頃からか、「なぜイタリア軍は弱かったのか?」ということが気になり、2009年にその時入手できた情報を元に、私なりに調べて解説動画を作って投稿してました。








 その後もイタリア軍に関してはかなり興味を持って情報収集してたんですが、ちょっと前に読んだ第二次世界大戦の作戦等の分析本である『大いなる聖戦』で、「なぜイタリア軍は弱かったのか」ということについてその著者なりのある程度の分量のまとめがあったりで、興味が再び大いに湧いてきまして、ちょっとしばらく他の資料も含め情報を漁っておりました。

 で、動画投稿の後でさらに分かってきた(ような気がする)現時点での私なりの「なぜイタよわ?」の「再びのまとめ」をいくつか書いてみたいと思います(たまたまですが、動画投稿からちょうど10年なのですね……)。




 「なぜイタよわ?」の理由はいくつか(いくつも)あるわけですが、その中でも現時点で個人的に大いに力説したいと思っている点が2つあります。

1.イタリア人には戦う理由なんてなかった! むしろ戦いたくない理由の方が多かった! だから戦わなくて当たり前だ!

2.東部戦線で敵や現地民を侮蔑して戦い、虐殺なども行っていたドイツ兵と真逆に、イタリア兵は敵や現地民とすぐ友達になって優しく接していた(そしてイタリア軍の悲惨な退却行時にはソ連兵や現地の人が助けてくれた)。これは特筆大書されていい、イタリア軍兵士達の美点ではないか?(←特にこれが言いたいです)


 『Axis Powers ヘタリア』では「イタリア軍は弱いけど、そこがカワイイ」というような(多分)視点で、またイタリア軍関係の著作をいくつも書かれている吉川 和篤氏は「強いイタリア軍部隊もこんなにいた、だから魅力的だ」というような(多分)視点であるのではないかと思うんですが、私は「イタリア軍兵士は戦うなんてバカらしいと思っていて、敵や現地民とすぐ友達になった、それがすごく魅力的だ」という視点が、世の中に全然知られてない、世の中にぜひともぜひとも知られて欲しい視点じゃないかと思うんですが、どうでしょう。

 兵士達と現地民とが仲良くなって……という話は日本軍でも見ますし、どこの軍でもある程度あったでしょうけども、特に東部戦線ではドイツ軍兵士の行いが非道である(そうするように指令されていたわけですが)のに対して、イタリア軍兵士達のものすごい人懐っこさ、人の良さが対照的であるように感じます。ただもちろん、東部戦線のイタリア軍兵士の中には現地民に犯罪的な行為を働いたものもいたし、リビアでは現地民に対してイタリア軍兵士達がひどいことをしていたらしいというようなこともあるのですが。



 まあともかく、このエントリではまず、1の理由について書きたいと思います。


 最初に、個人的に一番「うおお……なるほど!」と思った『Iron Hulls, Iron Hearts: Mussolini's Elite Armoured Divisions in North Africa』からの文章を引用してみたいんですが、その前段階知識として、「当時のイタリアは国力、軍事力がエチオピア征服やスペイン内乱への参加ですでに疲弊してしまっており、次の戦争の準備は全然整っていなかった」「しかし同盟国ドイツがポーランドやフランスをあっという間に席巻してしまうのを見て、このままではイタリア軍の準備が整って参戦する前に全ヨーロッパがドイツに征服されてしまい、イタリアには何の取り分も回ってこないのではないかという恐怖が湧いてきた」「しかし急いで参戦すればイタリア軍が活躍できないのは当然としても、いくらかの分け前は得られるのではないか、そして分け前だけは得て、すぐに戦争が終われば、大した損害もなく得られるものだけは得られたということになるだろう」……という感覚であった、ということを知っておいてもらえたらと思います。

 【フランス戦への参戦について】ムッソリーニはもはや、イタリア軍は弱体であるからという理由では制止されなかった。なぜなら、彼はそもそもイタリア軍が敢闘することを期待していなかったからである。イタリアの支配層においても反対意見はほとんどなく、ムッソリーニの判断に同意していた。イタリア国民の方は完全に納得していたわけではなかったが、もし軍事的あるいは政治的成功がすぐにもたらされたのであったならば、こちらもムッソリーニの判断に従っていく可能性はあった。
 この戦争に参加する上でのイタリアの基本的原理は明らかに「政治的機会主義」であり、つまりイタリアの支配層全体が、単にその時点での状況から自分達とイタリアがいかに利益を得るかということを考えていたに過ぎなかったのであった。イタリアにとっては不幸なことに、このような機会主義的態度は戦争の進め方にも持ち込まれてしまった。その後のイタリアの数々の宣戦や遠征においても一貫性は欠如しており、重要目標や相手国さえもが、その結果にほとんど考慮が払われることなくころころと変わっていくのであった。このような状態は一般のイタリア国民、なかんずく一般の兵士達の間にこの(否応なく自分たちが巻き込まれる)戦争の目的についての混乱をもたらし、自分達が何のために戦っているのかということについて一貫性のある、あるいは明確な考えを持つことを非常に難しくした。第二次世界大戦中のイタリアの一貫性のない戦争の進め方はこのような混乱をいや増し、明確な動機付けによって戦っていた味方である枢軸国のドイツや日本、あるいはイタリアの主要な敵となった連合国中のイギリスやアメリカとは極めて対照的であった。イタリアの一般兵士達はいつの間にかフランス人、イギリス人、ギリシア人、ソ連人、アメリカ人、あるいはドイツ人と戦うことになったが、そのほとんどにおいてその理由が分からないまま戦わされていたのである。
 ファシスト体制の誇示的なプロパガンダ手法にもかかわらず、多くの場合兵士達を充分に動機付けることはできなかった。長年に渡る好戦的なプロパガンダや、学校における軍事訓練にもかかわらず。
 彼らは特定の戦役においてはすでに存在していた反共産主義や人種主義をうまく活用することにはいくらか成功した【例えば対ソ戦での黒シャツ隊】が、全体の目的の一貫性のなさがこれを徐々に弱らせることにもなった。また彼らは、一般のイタリア人の大多数に対して、いくらかの程度でもこの戦争を正当化することもできなかった。
 明確な国家的目標の欠如のため、ほとんどのイタリア軍兵士達は、信念によってではなく、国家への義理で戦っていたに過ぎなかった。しかも、将校達の多くも自身の栄達にしか興味がなかった。イタリア軍兵士達は、同盟国であるドイツ軍兵士や日本軍兵士と違って敵に対して憎悪を感じていなかったから、国家への義理はもう果たしたとか、敵に数で負けているという時には降伏を躊躇することも少なかったのである。日独の兵士達は敵に対する憎悪を遙かに強く吹き込まれており、それゆえ圧倒的大軍に対してさえ、得るものがほとんどなくても戦ったが、イタリア軍兵士達は少数の例外を除いて、そのように熱狂的に戦うということはほぼなかったのである。
『Iron Hulls, Iron Hearts: Mussolini's Elite Armoured Divisions in North Africa』(Kindle版)位置No.427~445


 つまり「イタリアの参戦というのは、ある意味身の程を知っているからこそ、火事場泥棒だけをするよ! という話であったのであり、1、2箇所で火事場泥棒だけして帰れたのであればイタリア国民も何も文句はなかったのだけど(おい)、そのままあちこちの盛大に火がついた状態の命のかかった現場にお偉方の思いつきだけで次はこっち、次はあっち、さらにそっちと、現場に行っても必要性すらも感じられないのに延々と付き合わされて、(後述しますが)それで利益を得るのはお偉方だけ、ということであれば、なんで戦わなければならないのか、戦争なんてバカらしい、となるのが当たり前」ということかと。

 私も今の仕事は、シフト上の自分の現場が終わった後も応援で他の現場に引き回されることがあるのですが、それが連続で3つも4つもやらされて、その分の給与はありません(お偉方の個人的利益にはなりますけどネ!)とかだったら、やる気なんか維持できるわけない……! 皆さんも、自分が同様の状態だったらどうか考えてみませんか? イタリア兵がすぐに逃げたり降伏したりする気持ちが分かるかも……?

 それと、イタリアは歴史上長く分裂状態であったこともあり、町とか州とかの狭い範囲の郷土愛はすごくあるのだけど、「イタリア国民」というような国民意識は今でも非常に薄いそうで、それこそ「国家への義理」というのは大したことのない重みしかなかったのだろうと思います。



 ムッソリーニ政権のお偉方が無能で腐敗の極みにあったことに関しては、たとえばこのような記述もありました。

 イタリア兵たちの中心的な参照点【イタリア兵が価値を置く、価値があると考えるもの】は国家でも国民でもなく、軍隊でもなかった。その理由は……ファシズムによって腐敗や縁故主義が極限まで蔓延していたからである。……
 したがってイタリア兵は、自分たちの戦いに何らかの意味を与えることができなかった。……
 ……
 上層指導部、そして国家はあまりに腐敗し無能だと思われているために、連合国以上に敵だと見なされているのである。つまり兵士たちの視点からすれば、決して自分の利益を体現することのないこの体制のために犠牲になることは、まったくもって「馬鹿」なことであったのだろう。
『兵士というもの』P323~326

 大変興味深いことに、戦術部隊レベルでは、無秩序なイタリア軍上級司令部や政府、装備の不足や低い性能、それにこの「貧乏人の戦争」(イタリア人から見れば、ドイツ軍は億万長者の戦争をしていると思われていた)に強制的にかり出されていることに対する、復讐の気持ちが存在していた。
『Rommel's North Africa Campaign』P105,6


 つまり、むしろイタリア軍兵士達の心情上の敵は、イタリア国内のファシスト政権のお偉方だったのです。

 世の中の「イタリア軍=弱い」という図式の中では、「イタリア軍兵士にも、ドイツ兵や日本兵やイギリス兵やソ連兵やアメリカ兵と同様に、同程度に、戦う理由があったハズ」という暗黙の前提があると思います。その前提があるから笑い話や「カワイイ」という感覚になり、また「強い部隊もいた」ということにしてもその前提の強度を大して下げずに述べられていることが多いのではないかと思うのですが、このエントリで私が声を大にして言いたいのは、「イタリア軍兵士には、ドイツ兵や日本兵やイギリス兵やソ連兵やアメリカ兵と同様、同程度の戦う理由なんかなかった! むしろ戦いたくもない理由の方が強烈にあった! だから戦わないのが当たり前だ!」と思う、ということです。

 被侵略側は強烈な「戦う理由」を持つのが普通ですし(アメリカ人にしても、ヨーロッパに対しては被侵略側とは言えないまでも、枢軸国というくくりで言えば「真珠湾を忘れるな」と思っていたわけで)、侵略側でも当時のドイツ国民はヴェルサイユ条約やポーランドや共産ソ連に対して強烈な敵愾心を持っていたでしょうし、日本もアメリカに対して強烈な被害者意識を持っていました。ところが当時のイタリア国民は、同じカトリック国であるポーランドや、昔からの友邦国である英米や、南イタリアからの移民が多くいたアメリカに親近感を感じる人が多くいる一方で、ドイツに対しては親しみよりは「第一次世界大戦でひどい目に会わされた」とか「現在のヒトラー政権はイタリアを尊重せず勝手なことばかりしている」とかで「むしろ嫌い」という感覚だったらしいのです。また、共産主義ソ連に対しては、イタリアの上層部(王族や資本家)は敵愾心を持っていたのですが、当時工業がまだ盛んでなく農業ばかりだったイタリア各地から来た一般兵達はウクライナなどの現地農民と感覚が近く、すぐに友達になれたそうです。


 イタリア人全体の、戦争への気乗りのしなさや士気の低さについて、『大いなる聖戦』ではこのように書かれています。

 【ムッソリーニ政権が上辺だけを飾り無能であったこと、イタリア軍の士官レベルで見られた弱点、兵器・装備が惨めなほど時代遅れ、という】このような構造上及び物質面での弱点をさらに悪化させていたのが士気の低さであった。それは【前記の】三つの要素に起因するものではあるものの、いずれにせよ、1940年当時イタリアでは国民全般が戦争に対して無関心な態度を示すという結果となって顕れることとなる。イタリアの民衆は、ムッソリーニが宜戦布告を発表した当初こそ愛国心を爆発させて応えたものの、戦争をすること自体には熱意を示さず、取り分け、イタリアにとって古くからの敵であったハプスブルク帝国の衣鉢を継ぐオーストリアを併合したドイツの側に立ち、旧来からの友邦(である英米)を敵として参戦することは気の進まないことであった。実際、イタリア人の多くは戦争そのもの、そして参戦の時機に戸惑いの意を隠さず、イタリア南部からの米国移民が多かった当時の実情のため、1941年12月になって米国が敵国のリストに新たに名を連ねた時には、それを喜ぶ者などほとんどいなかったのである。次に、1940年当時ムッソリーニが政権を掌握してから20年近くになっていたにもかかわらず、ファシズムがイタリア社会に確固とした根をおろすことがなかったことが挙げられる。これは、ドイツのナチズムと異なり、イタリアのファシズムが実際には思想的基盤を持たず、民衆へのアピールに欠けるもので、単にムッソリーニの狡猾さと機会主義的姿勢を推し進めるための隠れ蓑に過ぎなかったためである。このため、イタリアの一般大衆はドゥーチェとファシズムのために命を的にして戦うような心情は有していなかった。そして第三に指摘できるのは、1940年に参戦する以前からイタリアがほぼ確実に、本当の意味での厭戦気運に取り遷かれていたことである。イタリアが1935年以来推し進めていた戦争と対外積極政策の中で、イタリア国民は相当程度の犠牲を払うことを求められており、他のいかなる国とも同様に、6年間も戦い続けることなど耐えられるものではなかった。そして、キレナイカや東アフリカに駐留していた伊軍将兵は、ムッゾリーニが開戦以前にロにしていたことを字義通りに受け止めていたようである。即ち、アフリカにおける植民地獲得競争でイタリアが得たのは砂漠だけであったとムッソリーニは1939年以前に頻(しき)りに不平を述べており、自国の植民地が価値のないものであるとの内意を込めた指導者の発言を耳にしていた伊軍が、その地を守るため最後の一兵まで戦うよう鼓舞されることなどほとんどあり得なかったのである。伊軍の一般兵士にとって、アビシニア【エチオピア】防衛のために命を投げ出す謂れなどなく、このような実情であったため、英軍がアディスアベバ【エチオピアの首都】を1941年4月6日に無血占領したことは何等驚くに値することではなかった。
『大いなる聖戦 上』P232~4



 逆に言えば、一般民衆をして命を賭して戦うような心情に持っていけていた当時のドイツと日本は、ある意味すごいのかもしれまんが……?


 あと思うに、当時のイタリア軍(兵)と同様の「侵略側なのに、戦う理由がない、戦いたくない。だから戦いになってもすぐ逃げるし、降伏する(短時日での火事場泥棒だけならOKだけど。そして上役が憎い。敵とすぐ友達になれる)」というようなキャラクターやシチュエーションが多分、世の中にぱっと思いつかないようなものであることも、当時のイタリア軍兵士達の「戦う意志」についてイメージしにくいようになってしまう理由なのかも。

 有名なものでそういうキャラクターっています……?


 個人的に「……あっ!」と思いついたのが、最近ハマった『悪魔のメムメムちゃん』という作品の主人公メムメムは、悪魔で人間の欲望を刺激して魂を取らなければならないのですが、ポテンシャル的に全然向いてなくてまったくうまくいかず、侵略側なのにすぐ諦める、すぐ調子に乗る、という辺りはイタリア軍と似てるかも……?

 ↓こちらからある程度無料で読めます。
[0話]悪魔のメムメムちゃん



 最後に、今回の資料について挙げておきます。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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