FC2ブログ

オストロゴジスク=ロッソシ作戦時のフェーゲライン戦闘団について(付:OCS『Case Blue』『GBII』)

 『On a Knife's Edge』ですが、ついにオストロゴジスク=ロッソシ作戦の箇所に入ってきたのですが、以前書いてましたフェーゲライン戦闘団について未知の話がちょこっと出てきたので興味を持ちました。


 オストロゴジスク=ロッソシ作戦については↓とか。
リトルサターン作戦後の連続攻勢でクルスク突出部を形成したのですね (2017/11/04)

 上記エントリで挙げてましたOCS『Case Blue』『Guderian's Blitzkrieg II』の地図での、オストロゴジスク=ロッソシ作戦の範囲も挙げておきます。

unit9983.jpg

 赤い線が小土星作戦終了時に形成された新たな戦線で、オストロゴジスク=ロッソシ作戦によって緑色の戦線にまでなります。



 フェーゲライン戦闘団について以前書いていたものは↓こちら。
OCSユニットで見るユダヤ人を大量虐殺したフェーゲラインのSS騎兵部隊 (2018/09/11)


unit00316_201907111909207b6.jpg

 ↑OCS『Case Blue』のフェーゲライン戦闘団ユニット(上段が戦闘モード、下段が移動モード)。



 『On a Knife's Edge』の地図にはフェーゲライン戦闘団の配置も載っていました。一部のみ切り取ってみます(「Feg」とあるのがそうです。P223)。

unit9982.jpg




 さて、その記述ですが、フェーゲライン自身についての様々な醜聞的な話の後……(ただし、フェーゲラインの民間人虐殺はヒムラーによってある程度強いられたものであったような記述が興味深かったです)。

 1942年のかなり長い期間【4月~11月】、前線から離れていたフェーゲラインであったが、その年末の冬【12月1日】にSS騎兵のある旅団【とあるが、「フェーゲライン戦闘団」のことか?】の指揮を執るために戻ってきていた。だが彼はすぐにソ連軍の狙撃兵に撃たれて負傷し、そのため彼は1943年初頭の、ドイツB軍集団に対するソ連軍の大攻勢の時期には指揮を執っていなかった。彼の部隊は普段、民間人の大量虐殺を行っていて、ソ連軍との戦いに慣れていなかったのだが、気が付くと戦いの真っただ中にいた。尤も、フェーゲラインの不在が彼の部隊が戦闘を行うのに支障をもたらした……ということはありそうにない。なぜならフェーゲラインは軍事訓練を全く受けておらず、実際の戦闘の経験もあやしげだったからである。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P222


 さらに、1月13日にオストロゴジスク=ロッソシ作戦が始まると……。

 この日【1943年1月14日】が終わるまでに、このSS騎兵部隊【フェーゲライン戦闘団】と第387歩兵師団は包囲されてしまった。いささか予想されたことであったが、フェーゲライン戦闘団の騎兵達は、ハンガリー軍の諸部隊ほども戦闘においては頼りにならず、あっという間に打ち負かされてしまった。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P230



 「ハンガリー軍部隊よりも頼りにならなかった」とは……(^_^; 『Case Blue』ではアクションレーティングが3になってますが、もっと低くても良いのかもですね。


 更に、以前入手していた、オストロゴジスク=ロッソシ作戦についてある程度詳しいはずの『Rollback:The Red Army's Winter Offensive Along the Southwestern Strategic Direction 1942-43』にもフェーゲライン戦闘団について記述がないか索引で見てみたところ、ありました。

 第12戦車軍団は、頑強に守備されているミトロファノフカ【カンテミロフカとロッソシのちょうど中間あたりの町】を西から迂回して、途中その道を退却中の敵部隊を蹴散らしつつ、この日【1月15日】の終わり間際までにその主力でもって南からロッソシの町に到着した。第12戦車軍団の左側面は第106戦車旅団が前衛を務め、Arkhipovka【不明】の方向より側面機動によってロッソシに突入し、その町の西側に退却してきてそこを守備していた「フェーゲライン戦闘団」の部隊と戦闘が始まった。
『Rollback:The Red Army's Winter Offensive Along the Southwestern Strategic Direction 1942-43』P206

 【1月16日?】ロッソシの町を守っていた「フェーゲライン戦闘団」の残余部隊は、東へと退却した。
『Rollback:The Red Army's Winter Offensive Along the Southwestern Strategic Direction 1942-43』P220

 この日【1月18日】、第3戦車軍の右側面の諸部隊は、第18歩兵軍団の第270歩兵師団と共に、おおむね完璧にロッソシの東側の敵部隊を包囲した。イタリア軍の第4アルピーニ師団「クネーンゼ」と第3アルピーニ師団「ジュリア」、ドイツ軍の第385歩兵師団と第387歩兵師団、それに「フェーゲライン戦闘団」の残余が包囲され、その総計は4個師団相当であった。
『Rollback:The Red Army's Winter Offensive Along the Southwestern Strategic Direction 1942-43』P223



 と、ここまでは索引で割と容易に調べられるのですが、この包囲環がいつどうなったかに関する記述を探すのは大変そうなので、パスで……。

 『Rollback』のオストロゴジスク=ロッソシ作戦の地図(P197)には、ロッソシの東側にその包囲環も示されています。印刷が細かすぎて読みにくいのですが、そこだけ切り取ってみます。

unit9981.jpg


 西に退却するのではなく、東にしか退却できなかったあたり、絶望感がかなりあったでしょうが……。


<2019/07/24追加>

 その後『On a Knife's Edge』を読み進めていると、フェーゲラインの騎兵部隊(原文は旅団)の多くがロッソシの北西で包囲されて降伏したという記述がありました。『Rollback』では東とありましたが、バラバラになって退却したものでしょうか。

 ドイツ軍の第387歩兵師団の生き残りは、イタリア軍が膨大な血であがなった峰を越えることができたが、一緒に行動していた第27装甲師団の一部やフェーゲラインSS騎兵旅団の多く、それにこの【第387歩兵?】師団の大集団は、気が付くとLenislichanskyにあったソ連の集団農場内や周辺で、ソ連軍部隊に包囲されてしまっていた。弾丸は尽き、寒さと飢えで、これらのドイツ軍部隊は降伏するより他なかった。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P242,3



 ↓同書P242の地図の一部

unit9972.jpg

 「Len」とあるのがLenislichanskyです。

 この時、ドイツ軍の第24装甲軍団司令官であったJahrという将軍が降伏するより自決を選んだそうです。この将軍は直前に第387歩兵師団長から(軍団長の死亡により)第24装甲軍団長になったばかりでした。そしてJahrの次の第24装甲軍団司令官はイタリア軍兵士が間違えて投げた手榴弾で足を失って数日後に失血死し、1週間弱の間に第24装甲軍団司令官は4人替わったそうです……。

関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

Twitter
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR