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OCS『Smolensk』『Guderian's Blitzkrieg II』ユニットで見るドイツ軍第221保安師団

 メルカリで購入した『ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い』を読んでいたんですが、その中に、東部戦線に参加したドイツ軍の第221保安師団についてある程度詳しく書いてありました。





 ↓左が『Smolensk:Barbarossa Derailed』、右が『Guderian's Blitzkrieg II』の第221治安師団

unit00377_20190615195511378.jpg


 この第221保安師団の中に配属されていた秩序警察第309大隊や、その他の保安師団についてはOCSユニットで見る?バルバロッサ作戦で各軍集団に3個ずつ配備された後方任務用の警備師団等 (2018/11/28)で触れていました。


 とりあえず時系列順の説明になるように、まずは英語版Wikipedia「221st Security Division (Wehrmacht)」から。

 この師団は1941年6月に編成された。ドイツ軍の部隊と共に、秩序警察の第309大隊(唯一の自動車化された部隊であった)が含まれていた。この部隊はゴメル周辺で、3ヵ月間前線で、6ヶ月間後方の保安任務に従事した。その任務は、通信と補給ラインの保安、経済的搾取、それにドイツ軍の後方地域におけるパルチザンとの戦いなどであった。


 私は保安師団は、後期にバグラチオン作戦などで蹂躙されたような頃を除けば、ずっと後方任務に就いていたのかと思っていたのですが、1941~2年の時点ですでに前線で戦ったりもしていたのですね? だとすればOCSでユニット化され(そしてプレイヤーが前線に投入す)るのも当然か……。


 次に、1942年3月のことについて。

 1942年3月に、この師団はスモレンスクの東のYelnya-Dorogobuzh地域で大規模なナチの保安戦闘作戦に着手した。“盗賊がはびこる”とされた地域におけるこの対パルチザン作戦でおこなわれたのは、村々の破壊、家畜の押収、ドイツ本国で働かせるための労働力の強制徴用、そして働くことのできない年齢の者達を殺すことであった。その戦術には、ドイツ軍の支配下にない村々に重火器で砲撃することも含まれており、その結果大量の民間人の犠牲者が出た。司令官ヨハン・プフルグバイルは麾下の部隊に「この作戦の目的は、敵を追いはらうことではなく、敵を根絶することである」と指示した。この作戦中、部隊は278名のドイツ兵が戦死したと記録し、一方806名の敵が戦死し、120名の囚人が処刑のためにドイツ軍の秘密野戦警察に引き渡されたと報告している。押収されたのはわずか200丁の武器(ライフル銃、機関銃、ピストル等)であった。


 1942年3月というとソ連軍の冬期反攻が一応まだ続いていた頃で、『Guderian's Blitzkrieg II』で扱われる期間中に当たります。そこで同ゲームで「Yelnya-Dorogobuzh地域」を見てみますと……。

unit00592.jpg

 ↑楕円で囲ったあたりがその作戦地域なのかと思われます……。


 さて、『ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い』における第221保安師団に関する記述なのですが、1942年4月のこととしてこう書かれています(文脈の必要上、その前の文も引用します)。

 さらにドイツの保安部隊は、いたずらに厳しい措置を講じれば住民がかえってパルチザン化すると知っていたし、民間人への無差別攻撃を「行き過ぎだ」と考える後方地域の陸軍司令官もロシアにはいた。1942年4月に中央ロシアで対パルチザン作戦を担当した国防軍のある保安師団【第221保安師団】では次のような指示が出されている - 「民間人を虐待すれば、翌日にはパルチザンとなり銃を持って目の前に現れるかもしれないということを、全兵士に理解させておく必要がある」。しかし司令官プフルグバイルはその同じ月、同じ保安師団に、「部隊が戦う目的は、敵を退却させることではなく、絶滅させることにある」と述べている。
 ……
 パルチザンに参加する人々が増加し、活動が激化するにつれ、ドイツの保安部隊がとる対策は厳しくなった。彼らは、比較的少数で訓練もろくに受けていない人間が広大な領域の莫大な数の人々を思いどおりに支配するには厳重な措置が必要だと信じていたのだ(106)。
『ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い』P167


 で、この原注(106)にはこう書かれています。

 ベン・シェファードはある保安隊(第221)に注目している。これは1942年夏の時点でほとんど訓練を受けておらず装備も貧弱でありながら、「7000をはるかに下回る戦闘力で3万キロ四方、2560の村と130万人以上の住民」への対処を任された。1942年9月には、2対1でパルチザンに劣勢だった。以下を参照。Shepherd, 'The Continuum of Brutality', p.72
『ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い』P306,7


 「3万キロ四方」というのは「√30000」、つまり「173km×173km」ということらしいのですが、これを1ヘクス=約8kmのOCSに換算すると、「22ヘクス×22ヘクス」ということになります。先ほど挙げていたマップを数えてみると「25ヘクス×17ヘクス」だったのですが、これを計算すると「2万7200キロ四方」ということになり、つまりこのマップより少し広い範囲を、第221保安師団だけで対処しなければならなかった……ということになりましょうか。


 OCS『Guderian's Blitzkrieg II』のプレイ中には、これら保安師団は例えばスモレンスクなどに置かれていて、スモレンスクほど重要な都市であれば守備隊を置いていた方がさすがに安心なので保安師団を置きっぱなしにしておくのですが(前線に出す人もいるでしょうが)、史実ではそういうことが行われていたということも、一つの知識として知っておくことも重要であるように思われます……。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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