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OCS『Tunisia II』:連合軍の最後の機動戦のチャンスを潰されたフォンドーク峠の戦いについて

 ちょっと前に当ブログで、OCS『Tunisia II』:アメリカ軍師団を批判した英クロッカー第9軍団司令官 (2019/05/08) というのを書いてました。イギリス第9軍団司令官のクロッカー将軍が、自分の不手際(?)で作戦がうまくいかなかったのを、麾下のアメリカ軍第34歩兵師団のせいにした……という話です。

 その同じ戦いの時に、クロッカー将軍によってイギリスの第26機甲旅団も悲壮な突撃を行わされていたという話が情報集積中に出てきて、興味を持ちました。

 どうしてもこの峠【フォンドーク峠】を突破しよう、と決意した英軍司令官のクロッカー将軍は、"ピプ"ロバーツのひきいる第26機甲旅団に、地雷や対戦車砲による損害を覚悟のうえで、この峠を突破せよと命じたのである。
 攻撃の先頭を切った連隊は、そのむかし先輩たちが、バラクラーバで突撃をおこなった第7および第21槍騎兵連隊であった【クリミア戦争中のバラクラヴァの戦いで、イギリス軍重騎兵は6倍の敵に対して突撃し、4割が戦死しつつも勝利を収めた】。
 本能的に彼らは、なにを要求されているかをかんじとっていた。そして死にむかう直前、中隊長が「さらば! われわれはみんな、やられるだろう」といったことばは、この宿命的で悲痛な戦いの雰囲気を、そのままあらわしていた。
 戦車は、ものすごい損害をだしながら突撃した。そして、予想どおり粉砕されたのであった。

 しかしながら、ロバーツの命令は達成され、日暮れには、ついにこの突破作戦が成功したのであった。
 だが、このときには、すでに枢軸軍を分断する機会はうしなわれ、チュニジアで機動作戦を展開する最後のチャンスは、なくなっていたのである。
『米英機甲部隊』P171,2




 それで色々と手持ちの資料を調べてみますと、さらに興味深いことが分かってきまして、しかも今までも当ブログでここらへんのことについて時々(分かってないままに)触れていたことも判明しました(^_^;


 ↓1943年4月初旬の、3つの連動した作戦の地図

unit00574.jpg


 時期的にはカセリーヌ峠の戦いから1ヵ月半後くらいで、マレト陣地(画像の下の方の陣地帯)をモントゴメリーが抜いた直後くらいからの話です。3月6日以来パットンが指揮するようになっていたアメリカ第2軍団は3月18日にエル・ゲタールを占領。パットンはそのまま海岸線まで東進して後退する枢軸軍部隊の退路を塞ぐ作戦の許可を求めましたが、上官であるイギリス軍のアレクサンダー将軍は(恐らく米軍の弱さを考えに入れて)「冒険的に過ぎる」として、枢軸軍の補給線を脅かすだけの限定的な行動だけを許します。その後3月23日のエル・ゲタールの戦いでアメリカ第2軍団がドイツ第10装甲師団の反撃を撃退して、アメリカ兵士の意気は上がりました。

 その南東ではワジ・アカリトの枢軸軍防衛線を突破しようとするモントゴメリーの攻撃が4月6日に開始され、一方、フォンドーク峠では、アレクサンダーの命令により、ワジ・アカリトの防衛線にいる枢軸軍部隊を北のチュニスの方へと撤退させずに袋の鼠にしてしまうために、カローアンを抜いていくという作戦が発動されます。先ほどの引用の前の部分はこうなっていました。

 チュニジアで、連合軍戦車部隊が、本格的な機動戦を演じる機会をえたのは、たった一回だけだった。それは4月のはじめに、枢軸軍が、チュニジアの橋頭堡で最後の決戦をいどもうと、アカリトとマクナシー【エル・ゲタールの北東方向にある峠】から後退を開始したときにおとずれた。
 枢軸軍のうごきを察知したイギリス軍は、第6機甲師団がフォンドーク峠を突破して、ケールアン【カローアン】で敵の進路の中央をおさえたのである【とありますが、「おさえようとしたのである」が正しいのでしょう】。このため、フォン・アルニムがひきいるドイツ軍の機動兵力は、分断される危機におちいった。もし、これができていたならば、連合軍のチュニスおよびビゼルト占領は、ほとんど抵抗をうけずにできたであろう。
 しかし、峠を突破せよというアレキサンダー将軍の命令伝達がおくれたことと、攻撃部隊が準備に大わらわだったため、攻撃の実施にあたってもまずさが目だった。峠の南方を占領することになっていた米軍歩兵部隊【くだんの第34歩兵師団】は、指揮官の指導力が欠けたため、ほとんど前進できなかった。また、北方の要衝を確保することになっていた英軍歩兵部隊【第128歩兵旅団】は、はっきりしない命令を誤解して、最後の重要な丘を占領しなかったのである。
『米英機甲部隊』P171


 で、冒頭の、第26機甲旅団の自殺的突撃につながるわけですが、このフォンドーク峠~カローアンのラインより南のエル・ゲタールやアカリト防御線にいた枢軸軍部隊は、第10装甲師団、第21装甲師団、第90軽師団、第164軽師団、ツェンタウロ戦車師団、青年ファシスト師団、トリエステ自動車化歩兵師団、ピストイア歩兵師団、スペツィア歩兵師団などにおよび(それぞれかなり損耗していたはずですが)、それらを取り逃がすか捕まえるかは本当に1日2日の差であったようなので、かなり重要な戦いであったのだなぁ……と。


 OCS『Tunisia II』における第26機甲旅団ユニットですが、1つのユニットではなく、第6機甲師団を構成するユニットのうちの複数個で第26機甲旅団……ということのようです。

 ↓OCS『Tunisia II』の第6機甲師団

unit00575.jpg

 第26機甲旅団は『第2次大戦 イギリス機甲部隊』P64によると、その基幹戦力が、

16/5L……第16/5ザ・クイーンズ・ロイヤル槍騎兵連隊
17/21L……第17/21槍騎兵連隊
2Lo……第2ロシアンズ国境騎馬連隊
10 Rfl……プリンス・コンソートズ・オウン小銃旅団連隊第10大隊(歩兵)

 であったようです。

 『Campaign for North Africa』P146によると、他にこのフォンドーク峠での攻勢には、少なくとも

1Derby……第1ダービーシャー義勇兵連隊?
51RTR……第51王立戦車連隊

 それに、イギリス第46歩兵師団の第128歩兵旅団と、アメリカ軍の第34歩兵師団が参加したようです(他にこまごまと追加や抜けたりや、あと1st Infantry [Guards] Brigadeというのが書いてあるのですが、良く分かりません)。

unit00583.jpg




 対してこの峠を守備する枢軸軍側は、『チュニジアの闘い:1942~43[下]』P24によると、

第999師団の第961連隊
第334歩兵師団の第334快速大隊(自転車)
第190偵察大隊(第190装甲大隊のユニットならあるので並べておきましたが、これとは違う?)
アラブの義勇兵大隊(アラブ人部隊のユニットが1個入っているので並べておきましたが、このうちの一部とかかも)

 などだったそうです。

unit00584.jpg


 この最初の第999師団というのは、いわゆる「懲罰師団」というやつで、以前OCS『Tunisia II』で「第999懲罰師団」が活躍した場所 (2017/04/02) で取り上げた2箇所の内の1つが、このフォンドーク峠でした。

 そのエントリを書いた時には、どう重要な戦いとかかも全然分かってなかったんですが、今回分かってきてみると、すごい重要な戦いで奮戦したわけで、そりゃあ特筆大書されるはずだと、得心しました(^_^;

 『Campaign for North Africa』によると、第961連隊は連合軍の情報部の見立てでは「囚人から成る部隊であり、部隊の質は低い」とされていたのに、驚くほど良く戦った……のだとか。



 また同書には第34歩兵師団とクロッカー将軍との確執?についてもいくらか書いてあり、それによると(P146~148)、アメリカ第34歩兵師団長であったライダー将軍は、クロッカー将軍による配置では同師団が側面から砲撃を受けてしまう可能性があると考え、この攻撃計画を良く思っていなかった。クロッカー将軍やその幕僚らの見立てでは攻撃は容易に成功すると思われていたのだが、4月8日からの第128歩兵旅団や第34歩兵師団の攻撃は失敗。ぐずぐずしていてはワジ・アカリトにいた枢軸軍部隊を取り逃がすと考えたアレクサンダー将軍はクロッカー将軍に対して、第34歩兵師団による攻撃失敗はそのままに、機甲部隊による突破を命令。で、大損害を出しながら10日に突破には成功したものの、イタリア軍部隊は8~9日の夜の間に、DAKは9~10日の夜の間に、すでにカローアンを通過して脱出に成功していた……。

 クロッカー将軍はアメリカ第34歩兵師団を非難し、後方に送ってイギリス軍の監督のもとで再訓練させることを提案。一方、第34歩兵師団長であるライダー将軍の方は、同師団による攻撃の失敗は、師団が側面から砲撃を受けるような場所に配置したクロッカー将軍の過失のせいであると主張しました。この非難の応酬はアイゼンハワーとアレクサンダーによって急いで黙らせられることになり、第34歩兵師団は激しい夜間訓練といくらかの指揮官の交代により、すぐに戦闘への投入に値すると見られるようになったとか。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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