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ブラッドレー将軍は、パットンを嫌いだった?(付:OCSによる軍団司令部ユニット)

 先日来、『パットン対ロンメル』や『猛将パットン』を読んでいたのですが、その中で「ブラッドレー将軍はパットンのことが嫌いだった」という話が何回か出てきてました。


General Omar Bradley, General Dwight Eisenhower, and General George Patton, all graduates of West Point, survey war damage in Bastogne, Belgium. 1944-1945

 ↑左からブラッドレー、アイゼンハワー、パットン(Wikipediaから)



 しかし私は以前読んだ複数の本(うち一冊は多分『萌えよ! 戦車学校』)で、「ブラッドレーは(色々と難のある)パットンを助けた」とあったような気がしていたので、意外でもあり、「へぇ~」と思いましたが、でも助けることと嫌うこととは矛盾しないということかもしれません。

 ↓ブラッドレー将軍については過去に何回か取り上げてました。

OCS『Sicily II』の臨時軍団司令部って? (2016/10/27)
モントゴメリーに進撃路を譲らされたブラッドレーは激怒したのか? (2016/10/28)
オマー・ブラッドレー将軍について (2016/11/06)




 以下時系列順に、OCSの軍団司令部ユニットも挙げつつ。
(軍団より1つ上の規模は「軍」、その上が「軍集団」ですが、OCSには軍団より上の司令部ユニットは基本的に出てこないので。例外として『Guderian's Blitzkrieg II』の第2、3、4装甲集団(タイフーン作戦中に装甲軍へと改編)ユニットがありますが……もしかして他にもある?)




 ↓OCS『Tunisia II』のアメリカ第2軍団司令部ユニット。

unit00562.jpg

 『Tunisia II』に出てくるアメリカ軍の軍団司令部ユニットはこれ1つだけです。第2軍団司令官は、当初(1942年11月)はフリーデンドール将軍だったのですが色々とダメな行動が多かった中でカセリーヌ峠の戦い(1943年2月19日~2月25日)でボロ負けして、更迭と匂わせないようにされつつ軍団司令官がパットンに交代されます(3月6日から)。その時に第2軍団の副司令官となったのがブラッドレーでした。パットンは士気ががた落ちとなっていた第2軍団を、規律を厳しく守らせるなどで短期間で立て直し、3月23日のエル・ゲタールの戦いではドイツ第10装甲師団の反撃を撃退。しかし結局わずか40日間指揮しただけで、4月15日に第2軍団司令官の職はブラッドレーに引き継がれ、5月13日に枢軸国軍が降伏するまでブラッドレーがうまく指揮を続けました(と、こちらも30日間も指揮しなかったわけですが)。


 この頃のこととして……。

 アイゼンハワーのオブザーバーとして第2軍団に配属され、チュニジアにやってきたばかりのオマル・ブラッドリー少将には、パットンが、数年前から作り物の悪役を演じているように思えた。つまり、個人的な場面では教養ある紳士でありながら、軍団の前では冒瀆的な言葉を吐く悪党のふりをするのである。ブラッドリーはこれを「言葉で圧倒する」と呼んだ。
『パットン対ロンメル』P285


 しかしどうも、この頃はまだ、ブラッドレーはパットンを「嫌い」とまでは思っていなかった?




 チュニジア戦の次におこなわれたのがシチリア戦で、ブラッドレーは引き続き第2軍団司令官であり、パットンはその上のアメリカ第7軍の司令官となりました。

 ↓OCS『Sicily II』に出てくるアメリカ軍の軍団司令部ユニット。

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 「Prov」とあるのは「臨時軍団司令部」で、正規のものではないです。

 シチリア戦の最序盤に関しては前掲の過去のエントリに書いていて、そこではまだブラッドレーはパットンを嫌っているという感じでもないのですが、序盤の(『Sicily II』シナリオ1:シチリア島西部で描かれる)パレルモ攻略までは非常にうまくいったと思われるパットンの指揮が、その後シチリア島東部の戦いになるとうまくいかなくなり、そこでブラッドレーはパットンの性格や指揮を嫌うようになったものでしょうか? パットンは、敵戦線が薄い時に敵を避けて急進撃するのはうまいけども、それができないようながっぷり四つに組むような戦いは非常に不得手であったらしく、そこらへんも影響している?

 のちにパットンの上官となったオマー・ブラッドレー将軍 - 名家の出身ではなく、ひかえめな行動と質素な中流家庭の習慣をもっていた - は、パットンの本質、つまり民主主義のなかに育った独裁者の姿を見ぬいていた。かれは、かつてパットンの独断的なやり方にハラをたてたときのことを、つぎのように書いている。
「パットンは利口で抜け目ないショーマンだが、戦闘中の兵士の心理をつかめない男だ。司令車をつらねて悪趣味にゴテゴテと正装した幕僚をつれて移動し、司令車には大きな星のマークや司令部のマークを飾りつけている。こうすれば兵士がヘイコラすると考えているらしいが、とんでもない話だ。反対に、こんな司令車のまきあげていったホコリの中を、トボトボ行進する兵士の怒りをかうだけである」
『猛将パットン』P26

 8月の第一週のおわりになっても、パットンの部隊は一歩も前進できず、日ごとに莫大な損害をかさねていた。さらに部下の指揮官のなかには、ブラッドレーのように、パットンの指揮ぶりを批判するものもおり、パットンの命令を忠実に実行しない傾向さえでてきた。
 そこでパットンは、やむなく第1師団長アレン将軍と副師団長ルーズベルト准将とを更迭した。じつのところ、かれは、第3歩兵師団長トラスコットと、その上官のブラッドレー軍団長がメッシナへの進撃命令を無視しているのではないか、とも疑っていた。両将軍とも、パットンの攻略方法に反対していたからであった。
『猛将パットン』P49

 また同時に、ブラッドリーのパットン嫌いも次第に明らかになっていった。ブラッドリーは貧しい父親を持ち、母親はアルコールを毛嫌いしていた。それまで目立たない軍隊生活を送り、階級による虚飾を嫌っていたブラッドリーは、パットンにとってはもう呼吸と同じくらい自然なことだった華々しい演出にうんざりしていた。さらにシチリア侵攻作戦の初期に、パットンはブラッドリーの軍団に、時に干渉ともいえるほど細かい指示を出しており、これが事をさらに荒立てた。ブラッドリーはこの上司を、行動にせよ作戦計画にせよ考える能力がない、いわば名誉欲の強い「浅薄な将軍」と考えるようになった。
 どこの軍隊でも司令部は、そこに属する司令官をネタにしたゴシップや中傷的な話の温床だ。シチリア侵攻作戦の終わり頃には、ブラッドリーの第2軍団は反パットンのエピソードが語られる中心地になっていた。たとえば、看護士が夕食に招かれて、第7軍の司令官なぞ気取った成り上がり者だとしゃべりあうこともあった。

『パットン対ロンメル』P302






 その後、ノルマンディー上陸作戦を迎えるにあたってそのアメリカ軍総司令官にはブラッドレーが選ばれ、そこらへん興味深いのでまた書くつもりなのですが、そこの選定に関する記述のところで……。

 となると、候補は三人、クラークとパットン、ブラッドリーだった。クラークはサレルノの戦い以降、指揮権争いから脱落していた。記録を見ると、チュニジアやシチリア島でのブラッドリーの統率力や指揮能力が、明らかにパットンと同等またはそれ以上であったとは言いがたい。ある部分意図的だろうが、彼は何事もパットンの逆を行っていた。パットンがやることを見ると、ブラッドリーにはすべて逆のことが思い浮かんだ。派手さに対する因習重視、大胆不敵に対する安定性、そして極めつけが、騎兵隊に対する歩兵隊(1943年にはまだ重要な存在だった)という対照性だった。
『パットン対ロンメル』P309





 ノルマンディー上陸作戦時には、ブラッドレーは上陸部隊を構成するアメリカ第1軍の司令官、パットンは後続のアメリカ第3軍の司令官でしたが……

 【1943年】12月、アイゼンハワーはマーシャルとオーバーロード作戦の上級将校の人事について話し合った。その中で彼は何度も繰り返し、パットンは自分の軍司令官のひとりとして選んだのだと強調した。ブラッドリーには上陸の指揮を、パットンにはその後続部隊の指揮をさせるというのだ。だが、ふたつ目の軍が展開して軍集団[2個以上の軍から成る]を編成することになったら、その軍集団【アメリカ第12軍集団】の指揮はブラッドリーがとる。「いかなる場合も、パットンを軍司令官以上に上げるつもりはない」とアイゼンハワーは断言した。これにより、パットンは常に、より堅実なブラッドリーの下につくことになる。
『パットン対ロンメル』P310




 ノルマンディーの上陸作戦自体はある程度以上うまくいき、それはブラッドレーの計画立案能力や管理能力の高さを証明するものでありましたが、その後の進撃はなかなかうまくいきませんでした。イギリスにいて投入されていないパットンはイライラするものの。

 パットンは、いかに戦況が気にくわなくても、手をだすことはできなかった。かれにできることは、ただちに第3軍を戦場に投入するよう、ブラッドレーにつよく要請するぐらいしかなかった。しかし、ブラッドレーにすれば, パットンに自説の正しさを証明させる機会を、あわててあたえようという気はまったくなかった。
 ブラッドレーは、パットンが自分の部下として勤務することを好まなかったし、シチリア以後の地位の逆転は不愉快であり、そのうえパットンは、経験、年齢、そして正規任命の階級でも上であった。
 戦後、ブラッドレーは正直に告白している。「パットンは指揮官として、わたくしの好きなタイプではなかったし、また、かれがわたくしの地位の逆転をあまんじてうけた事実についても、わたくしは用心をおこたらなかった。パットンを指揮下におけば、かれのはげしい気性をなだめすかすのに、多大な時間をさかねばなるまいと恐れたのである
『猛将パットン』P64





 しかし7月25~31日のコブラ作戦の終結後、8月1日からパットンの第3軍がブルターニュ半島全域を制圧するために投入されることになります。ところが、パットンは側面をまったく気にせずに部隊を急速に進撃させました。


 ↓OCS『Beyond the Rhine』のユニットによる、8月1日時点での第3軍配下の軍団司令部ユニット。

unit00563.jpg

 パットンが側面防衛を心配しなくても、第8軍団長ミドルトンと、総司令官ブラッドレーは心配していた。ブラッドレーは、ブルターニュ半島の諸港めざして進軍せよ、と命令はしたが、同時に、ブルターニュ半島のつけ根の部分には、強力な部隊を配置するよう厳命していた。
 この予防措置は、東からのドイツ軍の攻撃を阻止するには、絶対に必要だった。ブラッドレーは、ドイツ軍陣営にもぐりこんでいるスパイからの通報で、敵の反撃(いわゆる“モルタンの反撃”)が8月の第一週に、連合軍の前線のどこかに、かけられるのを予測していたのである。
 したがって、ブラッドレーが8月2日にミドルトンの司令部に立ちより、そこでミドルトンが自軍の状況をひじょうにあやぶんでいるのを知り、堪忍袋の緒をきったのも無理はなかった。
 ミドルトンは、ブラッドレー軍集団司令官の指示にしたがい、第8軍団を配備したが、パットンは第8軍団の実権をにぎってしまって、ミドルトンの命令をとりけしてしまった。ミドルトンは、第8軍団の左翼と背後が無防備で、ますます敵の脅威にさらされてきているのに、つよい不安をいだいていた。(しかも、かれの第8軍団の後尾は、まだせまいアブランシュ回廊にのこっていた)「わが第8軍団のながくのびきった隊列と背後のドイツ第7軍主力との中間地帯には、わが軍の戦力はなにもないのです」
 眼鏡をかけた肥満体のこの将軍は、地図にむかって自分の言い分を正確にブラッドレー軍集団司令官に説明し、苦境をうったえた。「背後に、これほど強力な敵をかかえたまま、ランヌやブレストに急行するのは無謀です。もし敵がアブランシュをぬき、海岸線に到達でもすれば、わが軍は退路をたたれ、8万の将兵は半島内部に孤立してしまいます」
 ブラッドレーのカンシャク玉が破裂した。「なんとバカなまねを! パットンは戦略より、ブレストをおとして新聞のトップ記事になることばかりに熱中してる。あしたブレストをとろうが、10日後にとろうが、わしはどちらでもよいのだ。半島を遮断してしまえばいずれはとれる。だが、側面を無防備にするとは、言語道断だ! あれほど、半島側面をかためるように命令しておいたのに」
 ブラッドレーその日の午後おそく、は,ハットンの司令所にのりつけた。パットンはちょうど前線巡回からかえったところで、ブラッドレーによれば “表情はこわばり、ホコリにまみれていた”。ブラッドレーはいらいらしてたずねた。
「いったい、ミドルトンのあけっぴろげた左翼はどうするつもりだね。たったいま、第79師団を急派したところだ。わしは軍司令官をとびこして、直接軍団に命令するのはきらいなんだが」
 パットンははずかしそうな笑いをうかべて、かつての部下の肩に腕をまわした。
「よくやってくれた、ブラッド。おれもそうせにゃいかんと思ってたとこなんだ。だが、そうしてもらえばじゅうぶんだ。さてと、ちょっと戦況を説明しておこう」
『猛将パットン』P69,72



 最後のパットンのセリフが非常にうまい具合にごまかしているように思えて、面白いのですが(^_^;

 
 OCSのプレイでは、「側面を気にしないでプレイ」ということまではなかなかないとは思うのですが、一方で、「側面が危ういことに気づかないでプレイ」とか、「攻撃正面に戦力を集中したいがために結果的に側面が薄くなってそこを敵に突かれる」というようなことはしょっちゅう起こります(爆)。

 パットンは本当に「側面なんか気にするな」と思っていたようで、そこらへん、ワニミさんが最近常々、「グデーリアンやロンメル(やパットン)が、側面なんか気にするな、なんていうのは彼らが常人ではないからで、我々のような一般人は怖くて怖くて、側面を放っておくなんてできない!」と仰っていることに、本当にパットンは当てはまるような気がしますね……。

 OCSの複数人プレイでは、一応「最上級司令官」を設けて、その下に「下位司令官」を置いてプレイしていくようにしているのですが、最上級司令官が「側面に気を付けろよ~」と言っているのに下位司令官が側面をがら空きにして突っ走っていたらと思うと、ブラッドレーの心労も分かるような気がします(^_^;


 ブルターニュ半島での戦い以後でブラッドレーがパットンを嫌っている、あるいは怒っているというのは、細かくて情報集積していないものを除けば見つけてないです。


 あと、ブラッドレーが英軍のモントゴメリーを嫌いというか、複雑な感情を持っていたり、あるいは妬んでいた……というような記述も数点収集していたのですが、しかしモントゴメリーはすごく嫌われそうな性格なような気もするので、別に特筆するようなことでもないですかね(おい)。っていうか、それ言うならパットンもそういう感がありますが、まあ、「あのブラッドレーですら」、パットンを、あるいはモントゴメリーを嫌っていた、というあたりが特筆すべきということでしょうか。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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