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西部戦線:米軍のパッチ将軍について、ちょい調べ(付:OCS『Beyond the Rhine』)

 OCS『Beyond the Rhine』を舞台として出てくる軍司令官ですが、第7軍のパッチ将軍について、英語版Wikipediaで見ていたらある程度キャラクター的な逸話があったのでそれと、『パットン対ロンメル』から書き出してみようと思います。


Alexander Patch portrait

 ↑パッチ将軍(Wikipediaから)


 まずは略歴的なもの。

パッチ、アレクサンダー·マッカレル(米、陸軍大将Patch, General Alexander McCarrell)1889-1945
アメリカ参戦前の1941年、 ノースカロライナのクロフト駐屯地で、歩兵補充センターの指揮をとる。1942年春、南太平洋ニューカレドニアにおけるフランス軍の防衛を支援するため派遣され、同地の任務部隊の司令官に任命される。1943年初頭、 アメリカ軍の指揮官として、麾下の部隊にガダルカナル戦初の主な陸上戦勝利をもたらす。1944年3月、 アメリカ第7軍の司令官となり、 8月15日フランス進攻の一部(ドラグーン作戦部隊) として、 カンヌ、 ツーロン間に上陸。第7軍は着実に戦ってローヌ河谷を前進し、冬にはアルザス地方を、 1945年3月15日にはザール地方を占領する。ドイツG軍集団は退却し、パッチは3月26日ラインを渡河。その後南ドイツへ一気に突入して、 ドイツが国家堡塁にたてこもるのを阻止した。1945年5月5日、バルク将軍麾下G軍集団の正式降伏を受理。
『第2次大戦事典②兵器・人名』P339



 ドラグーン作戦に関して言えば、昔々、Hexasim社の『Liberty Roads』を枢軸軍側でプレイする機会があった時、ドラグーン作戦なんてものの存在を知らなかったこともあって南フランスから上陸されてするすると前進されてしまい、「あっちゃー!」と思った記憶があるのですが、しかし当時のドイツにはそれに対する備えは元々なかったのでしょうか? ↓こんな風にも書かれていました。

 しかしパットンが第七軍を率いてマルセイユ地方の浜辺に上陸していたらどんな展開になったか、われわれは考えずにはいられない。以前にディヴァースとパットンが会ったときも、協力し合えないような雰囲気はまったくなかった。性分という点でいえば、パットンとフランス第1軍司令官のジャン・ド・ラットル・ド・タシニーはよく合った。攻撃的で冒険家的なところがそっくりだったのだ。パットンはこの祖国へ帰ろうとするフランス人が背負っていた、感情と態度両面での複合的な重荷に大いに共感していたが、これはディヴァースや、太平洋から異動してきたアレクサンダー・パッチにはよくわからない部分だった。ちなみにパッチは、最終的に第7軍を指揮して、抵抗するドイツ軍と戦いながらロワール渓谷まで進撃していった。ドイツ軍は、このふたりのアメリカ将軍のゆっくりとした進撃ペースにも太刀打ちできなかったのである。パットンが中心になってこの「お気楽な作戦」を推進していたら、どうしただろうか。だがこの疑問は永遠に答えが出なかった。
『パットン対ロンメル』P311


 パッチがアメリカ第7軍司令官、タシニーがフランス第1軍司令官で、その2つを麾下に持つのがディヴァース将軍の第6軍集団……というくくりですね。英語版Wikipedia「Seventh United States Army」によると第7軍が第6軍集団麾下に入ったのは9月15日だそうで、また第7軍には3つのアメリカ師団と、5つのフランス師団、それに第1空挺任務部隊があったそうです。


 英語版Wikipedia「Alexander Patch」にはこう書かれていました。

 パッチ第7軍に麾下に入った第6軍団司令官であったトラスコット少将は、彼のことをこう書いている。「私は彼の極めて素晴らしい高潔さ、勇敢で有能な指揮官ぶり、そして戦友としての無欲さに触れ、彼を尊敬するようになった。」


 うーむ、すごい誉められようです!


unit00537.jpg

 ↑トラスコット将軍の第6軍団司令部(『Beyond the Rhine』から)


 余談ではありますが、トラスコットも有名な指揮官らしく、過去にアメリカ第3歩兵師団長ルシアン・トラスコット (2016/11/14) というエントリを書いたりしました。あとトラスコットは、(『Beyond the Rhine』で扱う期間・場所中に起こった事件である)日系2世部隊第442戦闘団連隊を「失われた大隊(テキサス大隊)」救出のために(故意に?)犠牲にしたも思われるダールキスト第36歩兵師団長(彼はまた、部下や日系2世兵から「無能」と思われていた)の直属の上官にあたります。トラスコットはダールキストを、この救出前か、救出後かに、その能力に疑問符が付くことから解任を検討したものの、やめておいた……という話があったらしく、もしそれが救出前の話だったならば、解任しておいてくれれば良かったものを……と個人的に思わずにいられません(T_T)


 その「失われた大隊」救出は10月25~30日の出来事なのですが、Wikipediaによるとその直前にパッチ将軍は従軍していた息子を、その若干北の地域で失っていたそうです。

 パッチの息子アクサンダー・M・パッチ3世は、1944年10月22日に北東フランスのムルト・エ・モーゼル県で第79歩兵師団の第315歩兵連隊歩兵中隊長としての軍務中に戦死し、パッチ将軍は身内の悲劇に見舞われたのだった。



unit00538.jpg

 ↑第79歩兵師団(『Beyond the Rhine』から)




 また、翌年3月のいよいよライン川渡河がなるかという頃に、こういうことがあったそうです。

 アイゼンハワーが第7軍の司令官に、彼の戦区にパットンが「越境追撃」をくわだてることで、何か問題があるかと尋ねると、アレクサンダー・パッチは答えた。「われわれはみな同じ軍の者です」。彼はマルセイユからの長い道のりの間に息子を亡くしていた。それがひとりの男の価値観や考え方を変えたのかもしれない。
『パットン対ロンメル』P381



 パッチ将軍は、太平洋戦域で指揮を執っていた頃から健康を害しており、第二次世界大戦終結の年のうちに亡くなりました。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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