OCS『GBII』『CB』:『On a Knife's Edge』による小土星作戦でのイタリア第8軍の崩壊
『On a Knife's Edge』上ではイタリア軍の退却中の、メシュコフ(Meshkov)という村を巡る攻防の話が興味深かったのですが、OCS『Case Blue』では地名が書かれていませんでした。ので、Yahoo!地図などを元に『Case Blue』のマップに周辺の地名ともども書き加えてみました。

イタリア軍は画像上部のドン川沿いに戦線を張っているのですが、小土星作戦によって戦線は崩壊して退却していきます。
CtrlキーとShiftキーを同時押ししながら画像をクリックすると新しいタブ上に画像が開かれますので、このエントリの後半で本の文が引用される時に参照してもらうと良いと思います。
↓参考:『Case Blue』天王星作戦シナリオによる同戦区

イタリア軍の配置に関しては小土星作戦時とそれほど差はないと思われます。
次にOCS『Case Blue』(と『GBII』)でもって、登場する部隊と地図について取り上げてみます。

ソ連軍側でメインで登場するのは、第1親衛軍に所属していた第18戦車軍団と第6親衛狙撃兵軍団(第1および第44親衛狙撃兵師団と、第38および第153狙撃兵師団)です。
画像の上段が第18戦車軍団で、今回ユニットを探していて初めて気付いたのですが、『Case Blue』だけでは小土星作戦はプレイできず、『GBII』が必要なのですね……(まあ他のシナリオでもそういうことはありましたが(^_^;)。濃い茶色のユニットが『GBII』のもので、薄いのが『Case Blue』です(ちなみに『GBII』には第18戦車軍団のユニットとして他に第180戦車旅団、第18自動車化狙撃兵旅団のユニットが入っており、部隊編成の変遷に伴って差し替えられるものと思われます)。AR3はまあ「ふつう」という感じです。
画像下段の左下の1ユニットを除いたのが第6親衛狙撃兵軍団です。同軍団には4つの狙撃兵師団(他国の軍でいうところの歩兵師団)が所属しており、うち2つが親衛狙撃兵師団(AR4!)でしたが、1つは第1親衛! ソ連軍は戦功によって親衛の名(と装備などの優先権)を獲得するシステムですし、「第1親衛」というのであれば最初に親衛の名を獲得したと思われ、気になったので調べてみました。
日本語版Wikipedia「親衛隊 (ソ連・独立国家共同体)」によれば、「この称号はエリニャ【イェルニャ】攻勢の戦功に対して、ソビエト連邦軍最高総司令部の決定で国防人民委員令第308号により、1941年9月に最初に付与された。……第100、127、153、161狙撃師団がそれぞれ、第1、2、3、4親衛狙撃師団へと称号が冠された。」とあり、英語版Wikipedia「100th Rifle Division (Soviet Union)」によれば「第100狙撃兵師団は1941年9月18日、イェルニャ攻勢の直後に、最初の親衛部隊のうちの1つとして、第1親衛狙撃兵師団となった。」と。
イェルニャ攻勢(→英語版Wikipedia「Yelnya Offensive」)について私は良く知らないのですが、しかしこれはOCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のシナリオ7で扱われており、今まで2回プレイしました。『Smolensk:Barbarossa Derailed』にはちゃんと第100狙撃兵師団のユニットがありました(13-3-3)。その活躍の詳細についても気になるところですが、調べるとなると大変そうなので今回はパスで(^_^;
画像の左下のものは第1親衛狙撃兵師団の『GBII』のもので、タイフーン作戦の頃にはまだ13-3-3だったのでしょうが、『Case Blue』では14-4-3になっているわけですね。
次に、イタリア第8軍戦線の部隊↓

パスービオ師団とトリノ師団が「半自動車化歩兵師団」(イタリア軍側の呼称では「自動車化可能歩兵師団」というのが分かりやすそうです)で、移動モードでは自動車(装輪)で12となってます。
下段の「Aosta」というのは「アオスタ候アメデオ皇太子師団」ですが、「ケレーレ(快速)師団」と書かれていることが良くあります。
これらのOCSのイタリア軍ユニットはAR上は割と優秀なのですが、各種資料で当時の詳細を知るにつれ、状況はもっと悪かったという気がします。将来的に小土星作戦シナリオを作る時にルール的に調整するとすれば、イタリア軍(やハンガリー軍)は戦意や物資不足により冬季にはAR-1され、またセットアップ時には周辺にはSPはほとんど置かれないようにするとかが良さげでしょうか。
さて、『On a Knife's Edge』による記述なのですが、『From the Don to the Dnepr』の記述でもって周辺事情を埋めていった方が理解しやすそうなのでそうしてみます。まずはソ連軍視点から。
第35親衛狙撃兵師団が西への脱出路をブロックしている間に、第6親衛狙撃兵軍団の部隊が第18戦車軍団の数個旅団と協力してドン川の南のMedovoに向かってその途上にいるドイツ軍とイタリア軍の部隊を一掃した。Bakharovの第18戦車軍団はVervekovkaでのドイツ軍の抵抗を粉砕してBogucharka川を渡り、12月19日の終わりまでにMeshkov(そのすぐ北西がMikhailovskii)を攻め落として、ドン川沿いに配置されていたイタリア軍部隊の西への退却路を切断した。ドイツ軍の第298歩兵師団の諸部隊がMeshkovの南で抵抗を示し、イタリア軍部隊はこの重要な町から第18戦車軍団を引き剥がそうと繰り返し攻撃をおこなったが、すべてが無駄に終わった。第18戦車軍団は12月21日に第1、および第44親衛狙撃兵師団がその守備を引き受けるまでMeshkovに留まった。
『From the Don to the Dnepr: Soviet Offensive Operations, December 1942 - August 1943』P62
戦車軍団と機械化軍団同士の連携が難しかっただけでなく、それらの部隊は狙撃兵師団が支援可能な範囲から離れて活動していたのだった。それゆえ、12月19日から21日にかけての第18戦車軍団はMeshkovを抜きながらも、敵部隊はその後方を通過していき、それどころか2日間の間、支援部隊である諸狙撃兵師団から第18戦車軍団は事実上孤立していたのだった。
『From the Don to the Dnepr: Soviet Offensive Operations, December 1942 - August 1943』P79
次に『On a Knife's Edge』による記述です。
これらの【第1親衛軍所属の】機甲戦力を支援するための歩兵戦力も頻繁に、脱出しようとするイタリア軍やドイツ軍の戦闘グループとの戦いを続けていた。このような状況が12月26日まで続き、大量の捕虜が出て、わずかな抵抗拠点は踏みつぶされたものの - ミレロヴォはその顕著な例外であったが - 他の敗残兵達は比較的安全に脱出に成功した。12月19日のメシュコフ【Meshkov】の占領は、多くのドン川沿いのイタリア軍部隊の脱出ルートを脅かし、その後数日にわたってイタリア軍とドイツ軍の様々な規模の部隊がこの村を再占領しようとした - 彼らはそれに失敗したものの、ロシア軍の第18戦車軍団を、この村の防衛を引き継ぐ歩兵部隊が到着した2日後まで拘束することになった。……
イタリア軍のパスービオ半自動車化師団は、12月19日にメシュコフへの退却の命令を受け取るまで善戦していた。ロシア軍の第18戦車軍団がすでにメシュコフにいることを知らなかったイタリア兵達は、自分達のディーゼル車が、冬季用の添加剤がなくて燃料が凍ってしまうことに気付いた。ほんの少しのガソリン車が行ってしまった後は、残りの兵士達は徒歩で歩かねばならなかった。……
パスービオ師団の兵士達は極寒の状況の中で悪戦苦闘しつつ、ドイツ軍の第298歩兵師団の兵士達や、あるいはトリノ、ラヴェンナ、快速師団、それに2つのムッソリーニの「黒シャツ隊」(おおまかに言って戦前ドイツのSAと同様の民兵組織)からの兵士たちと合流した。兵士達の隊列は徐々に無秩序になっていき、またドイツ軍兵士達は同盟国イタリア軍の兵士達をほとんど助けようとしなかった。それは一つには、今の戦線崩壊がイタリア軍の弱さが原因であると彼らが非難していたことにあった。だが、Cortiが記しているように、彼の師団の兵士達は対戦車砲も重機関銃もほとんど持っておらず、彼らの軽機関銃は冬季には使い物にならなくなることは有名であった。ドイツ軍は武器、糧食、燃料を同盟国に供与することを拒否していたことがイタリア軍兵士らを失望させ、広く反感を持たれてしまっていた。
実際、ドイツ軍とイタリア軍との間の関係は、様々な理由で最初からやや険悪なものであった。すでに述べていたように、イタリア兵達はドイツ軍兵士による市民達や捕虜達に対する扱いに恐怖心を抱いていたし、わずか一世代前の父の時代のイタリア人とドイツ人は第一次世界大戦で敵同士であったことは忘れられていなかった。イタリア海軍の戦艦のうちの1隻であるヴィットリオ・ヴェネトは、ドイツの同盟国であったオーストリア・ハンガリーに対して最終的に勝利を収めた戦いの名前を冠していたのである。ドイツ軍側も、イタリア軍側に東部戦線で最新兵器、特に対戦車砲を供与するつもりであるという約束を守るつもりなどなかった。また、ドイツ軍はイタリア軍を、戦争に参加するつもりも戦うつもりもない弱兵と見なしていた。だが、何度でも指摘しておくが、イタリア軍部隊は彼らの旧式の兵器で可能な限り、ドイツ軍と同様に激しく戦ったのである。おおかたの場合、ドイツ軍兵士達は彼らの同盟国兵士達の弱さをけなして憂さ晴らしをしていたのであった。
悪戦苦闘してメシュコフへと進むうちに彼らは、その町がすでにロシア軍の手に落ちていることに気付き、列をなす兵士達は他の脱出路を見つけようと西へと進路を変えていった。彼らの隊列は敗北にともなうがらくたで雑然としていた - 破壊された車両、死んだ、あるいは死にかけの馬や兵士達、それにあらゆる種類の放棄された武器など。アルブゾフ【Arbuzov】の村の周辺の谷で、彼らはまだ使用可能であったわずかな建物の中やまわりに集まったが、そのほとんどはドイツ軍兵士に乗っ取られてしまい、イタリア軍兵士達はその外の極寒の中で休息せざるを得なかった。将校達はあらゆる場所に現れるロシア軍兵士に対する防御地点を確保するためになんとかして兵士達を集めて再編しようとしたが、何もかもが凍り付く寒さの中、疲れ切っている上に長い間何も食べていない兵士達は、配置されたその場所で息を引き取ってしまうのだった。ドイツ軍とイタリア軍の兵士達は12月23~24日にかけて何とか防御線を拡張したが混乱の中で戦闘が起こって、両軍に損害が出た。
……
その村【アルブゾフ?】から撃退されるも建物群を包囲したロシア軍は、その敗残兵達の集団に砲撃を開始し、最初は支離滅裂なやり方でであったものが段々と激しさを増していった。死傷者は増大し続け、特に平地に寝かされていた無力な負傷者達は砲弾の直撃を受けた。時折、ドイツ軍の航空機が頭上に現れて包囲された兵士達に補給物資を投下していったが、仮にイタリア兵達が先にその補給缶になんとかたどり着いたとしても、ドイツ兵達はイタリア兵とそれらを分け合うことを拒否した。噂では - 実質内容のないものであったが - ドイツ軍の装甲部隊が彼らを助けに来るといい、また他にも、包囲環を拡大する時にドイツ軍がすべてのロシア兵捕虜を殺したというのが本当であったことが判明した、という噂が流れていた。一方、Cortiが会った一人のイタリア軍敗残兵が言うには、自分はロシア軍に捕まった5,000名のイタリア軍部隊の内の一人であったが、監視兵達が突然捕虜達に発砲し、彼らのほとんどが殺されたのだという。
……
どちらの陣営も無慈悲であったが、後に詳述するように、多くの場合ロシア兵はイタリア兵捕虜を、ドイツ兵よりもはるかに丁重に扱ったのだった。
『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』P186-190
割と「イタリア兵とドイツ兵の仲の悪さ」に紙幅があてられているのが印象的です。「ロシア兵はイタリア兵捕虜を、ドイツ兵よりもはるかに丁重に扱った」件について後に詳述されるそうで、そこらへん大変興味あります(多分、『Sacrifice on the Steppe』でもそういう話が後半に出てくるのだろうと思います)。
『On a Knife's Edge』で印象的であったメシュコフを巡る戦闘ですが、他の資料(『Sacrifice on the Steppe』や『Endgame at Stalingrad: December 1942 - Feburary 1943』)の索引でも探してみたのですがほとんど名前が出てこず、意外でした。元史料の差異によるもの?
『Regio Esercito:The Italian Royal Army in Mussolini's Wars, 1935-1943』(→東部戦線同盟軍洋書とイタリア軍洋書を入手しました (2017/12/07) )には索引がなくてぱっと調べられないのですが、ある程度以上の記述があって、連隊規模の小さい独立部隊のようなものに関する記述もあるようで俄然興味の湧くところなので、小土星作戦に関する箇所はこれから全訳してみようかと思います。
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