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OCS『DAK-II』:枢軸軍の軍団司令部について

 前回に引き続いて、北アフリカ戦における枢軸軍の司令部についてです。

前回→OCS『DAK-II』:英連邦軍の軍団司令部について (2019/01/23)


 ↓OCS『DAK-II』の枢軸軍の軍団司令部ユニット

unit00409.jpgunit00410.jpg

 ドイツ軍には「DAK(ドイツ・アフリカ軍団:Deutsches Afrikakorps)」の司令部しかありません。が、北アフリカのドイツ軍はずっと「ドイツ・アフリカ軍団」という名称・組織だったわけではなく、例えば「アフリカ装甲軍」などの名称・組織等に何度も格上げ?され、そのうちの中に「ドイツ・アフリカ軍団」が所属していたりしました。

 そこらへん、日本語版Wikipedia「ドイツアフリカ軍団」にまとめられているのですが、この項目においては脚注2にある通り「注意:すべてのアフリカ派遣軍部隊がアフリカ軍団に所属することは一度もなかった。 いくつかのドイツ軍部隊はアフリカ装甲軍の予備部隊であったり、一時的にイタリア軍、あるいはイタリア軍団に配属されていた。」ということに則って、最初の頃は「在リビア・ドイツ軍部隊(German Troops in Libya)」の中に「ドイツ・アフリカ軍団」があったということのようです。

 一方、山崎雅弘さんによるこんな記述も見つけました。

 この時点【ロンメルが初めて北アフリカに上陸する1941年2月12日の直前】では、ロンメルに付与された役職名は「在リビア・ドイツ軍部隊司令官」というもので、数日後には「ドイツ・アフリカ軍団(DAK:Deutsches Afrikakorps)」という、戦史に大きな名を残すことになる組織の軍団長へと変更されたが、ロンメル自身はどちらかというと前者の呼称を気に入っていたという
『ロンメル戦記』P196


 ↑は役職名のことなので、組織上のこととはまた違うでしょうから、Wikipediaの解釈とは齟齬は生じないとみていいでしょうか。


 ただ、前記の日本語版Wikipedia「ドイツアフリカ軍団」と、書き方の似ている英語版Wikipedia「Panzer Army Africa」(こちらの項目名は「アフリカ装甲軍」)を見比べてみると、後半の戦闘序列に色々と異なる点があって、どう考えたらいいのやら……(^_^;



 イタリア軍の軍団司令部については英語での資料に乏しく、イタリア語では例えばイタリア語版Wikipeida「XXI Corpo d'armata (Regio Esercito)」などで見られるようですが、イタリア語からのGoogle翻訳ともなると煩雑なのでやめておきます(^_^;


 手持ちの資料で戦闘序列を書き出してみるにとどめます。



1940年9月13日(イタリア軍によるエジプト侵攻作戦時)
  第20軍団(在トリポリ)

  第21軍団
  第22軍団
  第23軍団
  リビア集団(LibOp)

 『DAK-II』のシナリオから。第20軍団司令部はトリポリボックスに置かれているので、エジプト国境にはいなかったということなのでしょうね。リビア集団については次項で。この時やコンパス作戦の時のエジプト・リビア国境のイタリア軍は第10軍というくくりだったと思われるのですが、ちょっと調べたもののいまいち確実なことが分からないので今回はパスで。




1940年12月9日(コンパス作戦時)
  第10軍団(在トリポリ)

  第20軍団(デルナの西にあるGiovanni Bertaに)
  リビア集団
  第21軍団
  第22軍団(トブルクに)
  第23軍団

 オスプレイの『Operation Compass 1940』と『DAK-II』にもコンパス作戦キャンペーンシナリオから。9月の時と比べると、第20軍団が東進しており、トリポリに新たに?第10軍団が置かれています。それからリビア集団と書いてあるのが『DAK-II』の「LibOp(Libyan Operation Group)」に当たるものでしょう。

 「リビア集団」ですが、この本には「Gruppo divisioni libiche(Libyan Group)」と書かれており、第1リビア師団、第2リビア師団、マレッティグループ、黒シャツ師団「1月3日」などが所属していたようです(リビア師団についてはOCSユニットで見る「リビア人部隊」と「サハリアーノ大隊」 (2017/03/29) 、黒シャツ師団についてはOCSのユニットで見る黒シャツ隊 (2017/01/31) をご覧下さい)。

 このリビア集団の司令官はガリーナ将軍という人で、この人の言動については↓で触れていました。









 その後だいぶすっ飛ばしまして、1941年6月15~17日にバトルアクス作戦がありまして、8月15日に「アフリカ装甲集団」が組織されることになり、その司令官にロンメルが、そしてその下に所属することになった「アフリカ軍団」の司令官にはクリューヴェルが就任しました。そしてその後1942年1月30日に「アフリカ装甲軍」に改組されます。

 「装甲集団→装甲軍」と言えば、バルバロッサ作戦の時に第1~4装甲集団が存在しており、これらがタイフーン作戦の途中で順次「装甲軍」に改組され、それまでは独自の段列を持たなかったのが自身の段列を持つようになりました。試しにそれぞれの「装甲集団→装甲軍」の期間がいつだっかを日本語版や英語版のWikipediaで調べてみますと……。

第1装甲集団 1941/05→1941/10/06
第2装甲集団 1940/11→1941/10/05
第3装甲集団 1940/11/16→1942/01/01
第4装甲集団 1941/02/15→1942/01/01
アフリカ装甲集団 1941/08/→1942/01/30

 タイミング的にはまあまあ似通った、第1~4装甲集団よりはちょっと遅れて、という感じですね~



 「アフリカ装甲集団」である時に起こったクルセイダー作戦時の戦闘序列

1941年11月18日(クルセイダー作戦時)
  第20軍団(在トリポリ)

北アフリカ駐留軍総司令官(伊:バスティコ)
  アフリカ装甲集団(独:ロンメル)
    ドイツ・アフリカ軍団(独:クリューヴェル)
    第21軍団(伊:ナヴァリーニ)
  機動軍団(伊:ガンバラ)

 バスティコ将軍の地位は、オスプレイの『Operation Crusader 1941』によると「Commander-in-Chief North Africa」となってまして、もしかすると在トリポリの第20軍団も彼の統轄下にあったのかもしれません。ロンメルより上の彼の地位は結構名目的なものだったらしいですが、まあ名目が大事だったのです(^_^;

 アフリカ装甲集団の下にイタリア軍の第21軍団(パヴィア、ボローニャ、ブレシア、トレント自動車化歩兵師団が所属していた)が入っており、ロンメルの指揮下にあったことが分かります。

 一方で、アリエテ戦車師団とトリエステ自動車化歩兵師団を擁する機動軍団はロンメルの指揮下にありませんでした。この機動軍団が『DAK-II』のCAM-Corpo d'armata di manovra(Corps of Maneuver)に当たるものですが、『Rommel's North Africa Campaign』では「Army Corps of Manuever」、『Operation Crusader 1941』では「Italian XX Corpo d'Armata【つまり第20軍団】」と書かれています。とりあえずイタリア語版Wikipeida「Corpo d'Armata Manovra」をちらっと見てみたのですが、そこらへんの差異に関することは分からず……。

 この機動軍団の司令官がイタリア軍のガンバラ(ガムバラ)将軍で、クルセイダー作戦の後半でドイツ軍が危機的状態になった時にクリューヴェル将軍が無線で何度も「ガムバラはどこか?」と救援を求めたのに来なかった……というのが『砂漠の狐』の一章になっています(→イタリア軍のガムバラ将軍はロンメルに協力するようになって解任された? (2017/07/10) )。

 ついでに、クルセイダー作戦の時にこの機動軍団を支援していた組織として、「機動軍団偵察戦闘団(RECAM:Raggruppamento Esplorante del Corpo d'Armata di Manovra - Reconnaissance Group of the Mobile Army Corps)」というのがありました。細かい部隊が所属していましたが、その中には「青年ファシスト連隊」もありました。それぞれのユニットがOCSユニットで見る「青年ファシスト」師団 (2017/03/26) )に貼ってあります。





1942年5月26日(ガザラの戦い時)
北アフリカ駐留軍総司令官(伊:バスティコ)
  アフリカ装甲軍(独:ロンメル)
    ドイツ・アフリカ軍団(独:ネーリング)
    第10軍団(伊:ジョーダ)
    第20軍団(伊:バルダッサーレ)
    第21軍団(伊:ナヴァリーニ)

 第10軍団が再編されたようです。この時には、リットリオ戦車師団やボローニャ歩兵師団はバスティコの直轄として保持されていました。

 第20軍団は、英語版Wikipediaなんかでは「第20自動車化軍団(Italian XX Motorized Corps)」と記載されています。実際、その麾下にはアリエテ戦車師団、トリエステ自動車化歩兵師団がありました(これは先述の機動軍団と同じですから、機動軍団が第20自動車化軍団になったとか、そういうこと?)。




 次の「ドイツ・イタリア装甲軍」への改称(再編)ですが、英語版Wikipedia「Panzer Army Africa」によると「第二次エル・アラメインの戦いに敗北した後の長い退却の期間中の1942年10月に」とあります。

1942年10月(第二次エル・アラメイン戦後)
ドイツ・イタリア装甲軍
  第10軍団
  第20軍団
  第21軍団



 ところで私は、

7/1~11 第一次エル・アラメインの戦い
8/30~9/3 第二次エル・アラメインの戦い
10/23~11/5 第三次エル・アラメインの戦い

 だと思っていたのですが、日本語版Wikipedia「エル・アラメインの戦い」によると私が第二次と思っていたものは「アラム・ハルファの戦い」であって、第三次と思っていたものが第二次なのですね? うーん、そこらへん、自分の中でどこでそうなったのか……。またちょっと調べて用語を確定しないと……?


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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