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GJ69号:近藤さんのOCSスモレンスク記事&イタリア山岳軍団は50日間敢闘したのか?

 GJ69号が届きました。付録ゲームは「南方作戦1941~進撃の帝国陸海軍~」です。

 この69号にはGJ/コマンドの両誌でOCS記事を積極的に書いて下さっている近藤友樹さんが『Smolensk:Barbarossa Derailed』の紹介記事を書いておられます。細かい文字で2ページにわたる分析的なもので、読み応えもあるのでぜひお読み下さい(*^_^*)

 近藤さんは同記事の中で「OCS初心者は『Smolensk:Barbarossa Derailed』のソ連軍を担当すべきではない」と書いておられるのですが、私は先日のコマンドの記事で「初心者はソ連軍を担当した方がよいだろう」と書いてまして、そこらへんの意見の相違も興味深いところです(色々な見方があると思います)。

 あ、ところでこれをついでに先日のコマンド記事について訂正をしておきますと、OCSの新作となる『Third Winter』が扱う時期を「1944~45年」と書いていたのは、「1943~44年」の大間違いでした(T_T) 大変申し訳なく……。お詫びして訂正させていただきます。




 それからGJ69号では、古谷晋作さんの連載「第二次大戦 各国軍隊部隊編成研究シリーズ」でイタリア軍の山岳師団(アルピーニ師団)について取り上げられています(参考→イタリア陸軍のアルピーニ師団と山岳歩兵師団の区別など (2017/04/07) )。

 同記事で話題になっているのが、東部戦線に派遣されていた3つのアルピーニ師団、

第2アルピーニ師団「トリデンティーナ」
第3アルピーニ師団「ジュリア」
第4アルピーニ師団「クネーンゼ」

 で構成されたアルピーニ軍団(同記事では「山岳軍団」)で、こう書かれています。

 特に注目される戦闘は、1942年12月11日【多くの資料では16日】に開始された「小土星」作戦からの一連の戦闘で、伊第35自動車化歩兵軍団と伊第2歩兵軍団が後退する中、山岳師団3個で編成された伊山岳軍団は後退せず、防衛線を守りきっている。
 その後、後退しなかったため包囲された山岳軍団は、1月15日には脱出作戦を開始、2月1日、兵力を4分の1にまで激減させながらも包囲を突破し友軍戦線にたどり着いている。
 ……
 つまり、山岳師団は、後方補給が困難な山岳地帯での戦闘に対応するため、軽装備火力と強力な後方支援・補給機能をもった部隊なのである。
 しかし、火力装備が一般の歩兵師団よりも劣るならば、1942年から1943年にかけての東部戦線で山岳師団が見せた粘り強い敢闘の説明は少なくとも編成上からは説明できない。この時期、山岳師団はドイツ軍から対戦車装備の貸与を受けていたという資料も存在するが、あるいはドイツ軍から対戦車装備の増強を受けていたかもしれない。
 ……
 はっきりしたことは、謎のままである。
GJ69号P74



 この「謎」の件は後述するように、恐らく単純明快な理由がある(と思う)のですが、実は私もまったく同様のある意味「勘違い」を以前しており、その勘違い甚だしいままに『なぜイタリア軍は弱かったのか?』という動画の中で「これらの山岳師団はこの時50日間にわたってソ連軍の猛攻に耐えたが……」と書いてしまってました。この件も今となってはかなりの間違いであったということで、お詫びして訂正させていただきたいと思います(; ;)ホロホロ


 ↓そのシーン

unit00380.jpg


 ↓その動画へのリンク(YouTube上のものは削除されてしまったので、ニコニコ動画上でしか見られません(>_<))






 さて、謎解きなんですが、↓の画像を見て下さい。

unit00381.jpg

 OCS『Enemy at the Gates』のリトルサターン作戦のセットアップのイタリア軍戦線なんですが、くだんのアルピーニ軍団は赤い実線で囲んだ3つの山岳師団マークのユニットです。ARが4で、結構優秀だという評価です。

 で、12月16日に始まったリトルサターン作戦は主攻勢軸は真ん中あたりに示しました赤い矢印で、ソ連軍は主攻勢軸の側面を守るために側面も確保をしていったのですが、その範囲を赤い破線で示しました。……そう、つまり、アルピーニ軍団はリトルサターン作戦においてそもそも攻撃を受けていないのです! ただ、画像の真ん中にいたジュリア師団が元いた位置から南に移動し、戦線を支えるようにされ、その後継続的にソ連軍と戦闘はおこなっています。

 その状態のまま1943年になりましたが、1月13日に画像の青い矢印で示したオストロゴジスク=ロッソシ作戦が始まり、これで完全に包囲状態となったアルピーニ軍団は(恐らく)3日間とどまったものの撤退命令が出され、退却していくことになりました。


 参考に、こちらのエントリの画像や説明などもどうぞ。

小土星作戦の計画詳細と『EatG』プレイとの差 (2016/10/13)
リトルサターン作戦後の連続攻勢でクルスク突出部を形成したのですね (2017/11/04)



 ここらへんのことを知ったのは恐らく『Sacrifice on the Steppe』によってで、読むのが途中で止まってしまっているんですが、ぜひ続きも読みたいと思っています(でも『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』でオストロゴジスク=ロッソシ作戦等の概説を読んでから)。



 で、じゃあなんで私にしても、古谷さんにしても、同じ様な勘違いをしたのかに関してなんですが……。恐らくまず間違いなく、『イタリア軍入門』の記述によるものだと思います(少なくとも私は)。

 『イタリア軍入門』にはこう書かれています。

 “マルイ・サトゥルン”(小土星)と名付けられたこの新たな反攻作戦は12月11日【多くの資料では16日】に始まり……多くの部隊は連隊旗を焼却して独自の判断で退却を始め、一部はドネツ河まで敗走していたのだった。
 しかし、ドン河のイタリア軍陣地左翼の3個山岳(アルピーニ)師団は、年が明けても未だハンガリー第2軍と共に戦線に踏み留まり、『ヴィチェンツァ』歩兵師団とその他の残余部隊、さらにドイツ軍2個師団から新設された第24軍団の増援を受けて、果敢にソ連軍の攻撃を防いで戦線を支えていた。ドイツ軍最高司令部の官報でも数日間に2度に渡って『ユリア』山岳師団の防衛戦の功績を称え、ラジオモスクワもこれを確認している。しかし、1943年1月10日にはスターリングラードのドイツ第6軍へのソ連軍による包囲殲滅作戦“コリツォー”(鉄輪)が発動され、1月14日には遂にドン河戦線の左翼でも新たな反攻作戦が始まった【これがオストロゴジスク=ロッソシ作戦】。
 ドン河を越えて迫り来る赤軍を迎えたイタリア山岳軍は、圧倒的な戦力差の中で3日間の激戦を粘り強くしのいだ後、遂に撤退命令を出した。3個山岳師団と残存部隊は零下30度の中で退却戦を続けながら友軍陣地を目指し、26日にはニコライエフカで『トリデンティーナ』山岳師団の一部と独伊両軍残存部隊は敵の包囲網を突破することに成功したが、『ユリア』と『クネーンゼ』山岳師団と『ヴィチェンツァ』歩兵師団はヴァルイキの後方100kmで撃破された。
『イタリア軍入門』P68~70



 「ハンガリー第2軍と共に戦線に踏み留まり」という表現ですが、ハンガリー第2軍も(イタリア軍よりもさらに弱兵ながら)リトルサターン作戦においては攻撃対象(あるいは包囲対象)になっておらず、攻撃対象でなかったイタリア軍アルピーニ軍団と共に「戦線に踏み留ま」っていたのは、ある意味当たり前と言えば当たり前です(^_^; ジュリア師団は南下して実際に戦闘して戦線を支える役割にまわっていたので、その功績を称えられることはあったのでしょう。

 しかしこの書き方から、私が(そして恐らく古谷さんも)「アルピーニ(山岳)軍団は激しい攻撃を受けたにもかかわらず、果敢に戦線を支えていたんだ! しかも12月11日から、1月14日、あるいはニコライエフカで包囲網を突破したという1月26日まで!」と思ったのは無理からぬことであったのではなかろうか……と推察します。私が「50日間」と書いていたのは、「12月11日から1月26日まで」を計算して、だいたい50日間くらいとしたのではないかと(何か資料から計算して書いた、ということだけは覚えているので)。

 『イタリア軍入門』にしても別に嘘を書いているわけではなかったと思うのですが、読む方が詳しいことを知らないため、事実とはかなり違う方向に思い込んでしまうこともある……ということなのではないかと思いました。


 ただ、リトルサターン作戦からオストロゴジスク=ロッソシ作戦の間のアルピーニ軍団の様子については、私はまだ『On a Knife's Edge: The Ukraine, November 1942 - March 1943』においても『Sacrifice on the Steppe』においても読むところまでいっていないので、今回書いた「そもそもソ連軍の攻撃対象でなかった」説よりはよほど、何かの戦闘を、トリデンティーナ師団にしろクネーンゼ師団にしろ、していた可能性もあるかもです。そこらへん、非常に興味を持っているので、本を読み進めていきたいと思っています。


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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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