FC2ブログ

OCS『Guderian's Blitzkrieg II』第707歩兵師団によるユダヤ人大量殺害

 ハインツ・シュミット『ロンメル将軍』と『兵士というもの』を買いました (2018/09/21)で書いてました『兵士というもの』を読んでいましたら、ドイツ軍の第707歩兵師団による民間人殺害という話が出てきました。

 【SSでなく国防軍の中に】確信的な反ユダヤ主義者を見つけることも容易である。たとえば、1941年にソ連でおよそ19,000名の民間人を殺害した、悪名高い第707歩兵師団長グスタフ・フライヘル・フォン・フォン・マウヘンハイムのように。国防軍部隊、とくにエリート部隊が犯した数多くの犯罪についても、これを立証することができる。たとえば、数多くの捕虜を射殺し民間人を殺害した第1山岳師団、もしくは第4装甲師団を思い浮かべるだけでいい。
『兵士というもの』P355



 この第707歩兵師団をOCSゲームで探してみたところ、『Guderian's Blitzkrieg II』と『Case Blue』にありました(↓上が『Guderian's Blitzkrieg II』のもの、下が『Case Blue』のもの)。

unit00340.jpg

unit00343.jpg


 普通のドイツ軍歩兵師団は20-4-3で4ステップである一方、第707歩兵師団は人員数が少ないのか15-4-3です。ただ、『Guderian's Blitzkrieg II』では4ステップとなっていますが、そうするとAR4の分遣連隊である4-4-3を出す際に、分遣連隊3つで4+4+4=12戦力プラス、1ステップ残った第707歩兵師団が15÷4=3.75が四捨五入されて4で、計16戦力あるというおかしなことに……。『Case Blue』では3ステップで、こちらの方がより良いのだろうと思います。

 またその他の歩兵師団で最も師団名の数字が多いのは『Guderian's Blitzkrieg II』で383、『Case Blue』で389で、707というのはえらく数字が飛んだ、結構特別な師団なのかという印象を受けます。


 以下、英語版Wikipedia「707th Infantry Division (Wehrmacht)」から。

 第707保安師団としても知られる第707歩兵師団は、第二次世界大戦におけるドイツ軍の師団である。1941年5月に編成され、1944年6月にソ連軍によって壊滅させられた。この部隊は主としてソ連におけるドイツ軍占領下の地域で後方保安師団として使用され、数千人の民間ユダヤ人の殺害を含む、大規模な戦争犯罪にかかわった。

経緯
 第707歩兵師団は1941年5月2日にミュンヘンで編成され、続けて同地で訓練に取りかかった。歴史家のベン・H・シェファードによれば、この部隊は戦時中にドイツ軍によって編成された「第15次の極端に低水準の師団」であり、その人員は「老齢で、訓練不足かつ装備不足であった」。第707歩兵師団はまた、標準的なドイツ軍歩兵師団よりもかなり小規模であり、5,000名の兵士しか擁していなかった。この師団の当初の将校達は、1943年2月まで師団長を務めたグスタフ・フォン・ベクトルスハイム【マウヘンハイムのこと】少将を除けば全員が予備役将校であった。師団の兵士達のほとんどは30歳以上であり、将校達は概してさらに年上であった。フォン・ベクトルスハイム少将や師団将校達はナチスに深く傾倒していた。
 1941年8月に第707歩兵師団は、東部戦線に送られ、中央軍集団の前線後方のソ連占領地区の保安任務に就いた。1941年10月、師団の兵士達はミンスクでレジスタンスの公開処刑をおこない、その中には17歳のMasha Bruskinaも含まれていた【ミンスクの女性ユダヤ人レジスタンスの一員で、赤軍の負傷者をケアするために設立されたミンスク工科大学の病院で看護婦としてボランティアをし、兵士の世話に加えて、民間人の衣服と偽の身分証明書を密輸して病院に逃げ出すのを助けていたが、患者の密告により第707歩兵師団に逮捕された】第707歩兵師団と派遣されていた秩序警察部隊は1941年10月から11月にかけてベラルーシで10,000名以上を殺害し、そのほとんどがユダヤ人であった。この師団の将校や下士官兵のほとんどは積極的にこの殺害に加わっていたが、殺害を拒否した少数の者達も軽い刑罰しか受けなかった。この行動はベクトルスハイムによって始められたものであり、彼は明確にユダヤ人の「絶滅」と「駆除」を要求する命令を出していた。他のドイツ軍部隊も同様の処刑を実行している。
 第707歩兵師団は1941年の残りの期間と、1942年、1943年とソ連のドイツ軍占領地域における保安任務を継続した。1942年の春から初夏にかけて、この師団は「バンベルク作戦」と呼ばれる対パルチザン作戦を実行し、4,000名以上のソ連市民(そのほとんどは農民であった)を殺害した。シェファードは「その作戦で他のドイツ軍の保安師団も多数の民間人を処刑したが、第707歩兵師団の殺害数が最も多かった」と書いている。歴史家のジェフ・ラザフォードも同様の比較検討をおこない、第707歩兵師団を「悪名高い」としている。
 1944年1月からは第707歩兵師団は前線で守備任務に使用された。6月23日のソ連軍のバグラチオン攻勢の開始時には、中央軍集団の予備の一部とされていた。6月末にはこの師団はバブルイスクの近くでソ連軍に包囲されて壊滅した。1944年8月3日に正式に解体された。




 東部戦線におけるドイツ軍の民間人殺害については私は、イタリア軍のアルピニ軍団について書かれた『Sacrifice on the Steppe』の記述で初めて大きな印象を受けました(→東部戦線のナチス・ドイツ軍兵士の蛮行や残虐性について (2017/07/17) )。それ以前にも「そういうことがあった」ということ自体は読んでいたかもしれないのですが、具体的な記述で衝撃を受けたのだと思います

 その後、『ブラッドランド』や『兵士というもの』を読んでいて、以前には全然意識していなかったこれらドイツ軍の民間人殺害について、だいぶ頭に入ってきた感じはしています。(→最近買った本『ブラッドランド』『枢軸の絆』『世界史を動かした脳の病気』など (2018/05/30) OCSユニットで見るユダヤ人を大量虐殺したフェーゲラインのSS騎兵部隊 (2018/09/11)


 『兵士というもの』には、第1山岳歩兵師団と第4装甲師団の民間人殺害について触れられていますが、その英語版Wikipediaを見てみたら、確かにその件について触れられていました。一応今回は第707歩兵師団についてのみにしておきますが……。ユニット的には、第1山岳歩兵師団は『Case Blue』に、第4装甲師団は『Guderian's Blitzkrieg II』に入っていました。

英語版Wikipedia「1st Mountain Division (Wehrmacht)」
英語版Wikipedia「4th Panzer Division (Wehrmacht)」

unit00341.jpg

unit00342.jpg



関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

Twitter
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR