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OCSユニットで見るユダヤ人を大量虐殺したフェーゲラインのSS騎兵部隊

 『ブラッドランド(上)』を読んでましたら(→最近買った本『ブラッドランド』『枢軸の絆』『世界史を動かした脳の病気』など (2018/05/30) )、P311に「親衛騎兵旅団がユダヤ人の処刑をおこなっていた」というような記述があって、OCS上でそこらへんのユニットがあったりするのか気になって見てみました。

 このSS騎兵旅団によるユダヤ人処刑にはヘルマン・フェーゲラインというSS将校がかかわっていたらしく、その関係での記述や部隊名がいくらか見つかるのですが、OCSの方ではそれらSS騎兵部隊のユニットが入っている『Guderian's Blitzkrieg II』『Case Blue』の扱う期間が1941年10月~1943年5月という縛りがあります(それより前の時期を扱う『Smolensk:Barbarossa Derailed』にはSS騎兵部隊は入ってません)。ので、時系列を優先させて記述し、ユニットが登場するようになったらそれも含めて書いていこうと思います。


 まずヘルマン・フェーゲラインに関してなんですが、父親の関係で乗馬とナチ党に関係が深く、高い乗馬技術でベルリンオリンピックに貢献し、「特にヒムラーには気にいられていたが、周囲から出世欲が強く、自分のことしか考えていないと陰口を叩かれるようになっていた。親衛隊騎馬隊には貴族階級の者が多かったが、フェーゲラインはいわば「成り上がり」だったための陰口ともいえる。」だそうです(日本版Wikipedia「ヘルマン・フェーゲライン」から)。


Bundesarchiv Bild 101III-Bueschel-056-21A, Russland, Hermann Fegelein

 ↑ヘルマン・フェーゲライン(Wikipediaから)


 以下、主に記述が一番詳しかった英語版Wikipedia「Hermann Fegelein」、それと『ブラッドライン(上)』『武装SS全史Ⅰ&Ⅱ』『Axis Cavalry in World War II』を参照して記述します(色々資料を見てると、日本版Wikipediaの記述は部隊名や時期に関してちょこちょこ誤っているような気がします)。

 まずポーランド戦後の1939年12月7日にフェーゲライン指揮のSSトーテンコップフ騎兵連隊は、カンピノスの森で1,700人の大量虐殺をおこなっています。
 1941年2月21日にSSトーテンコップフ騎兵連隊は第1SS騎兵連隊に改称されましたが、3月21日に2つに分割されて第1、および第2SS騎兵連隊と呼ばれることになりました。

 で、この第1と第2SS騎兵連隊は7月31日に合わせて「SS騎兵旅団」と呼ばれることになったようなんですが、『GBII』には恐らくこれが第1と第2SS騎兵連隊の形で登場します(OCS上では1942年4月5日に撤収し、同12日に拡張されたSS騎兵師団となって再登場します)。

unit00315.jpg

 ↑上段が戦闘モード、下段が移動モードです。


 
 ↓は『ブラッドランド』から。

 女性と子供の殺害には心理的な抵抗があるものだ。ヒムラーはこれを必ず取りのぞくよう取り計らった。特別行動部隊がおおむねユダヤ人男性だけを殺していたころでさえ、ヒムラーは親衛隊の軍事組織である武装親衛隊の部隊を送って、女性と子供もふくめてコミュニティの住民全員を殺害させていた。1941年7月17日、ヒトラーは占領地域の「鎮圧」をヒムラーに命じた。2日後、ヒムラーはウクライナとベラルーシのあいだにある湿地帯、ポリーシャ親衛隊騎兵旅団を派遣し、ユダヤ人の男性を撃ち殺して女性を沼へ追いこむよう直接命令を下した。彼はゲリラ戦にでものぞむような言葉で指示を出した。
『ブラッドランド(上)』P311


 ここで「親衛隊騎兵旅団」と書かれていて、この時にはまだ旅団ではないはずなんですが、この後旅団になってる8月1日の時にも「騎兵旅団」という記述が出てくるため、そこらへん分かりやすくしたのではないかと推測します。

 で、このSS騎兵が派遣された7月19日にはその指揮官としてエーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキーという人が任命されたらしいのですが、英語版Wikipediaによると8月5日にはこのSS騎兵旅団の指揮官としてフェーゲラインが任命されたそうです。

 とすると、↓の8月1日の発言はツェレウスキーの発言であるということになりそうですが、そうでなくてフェーゲラインの発言である可能性もあるような気もします。

 だが8月1日には、騎兵旅団の指揮官がこう明言するようになっていた。「ユダヤ人の男はひとり残らず抹殺せよ。村の家族もひとつ残らず消し去るのだ」と。武装親衛隊はすぐにヒムラーの意図を理解し、彼のメッセージを広める手助けをした。8月13日までにユダヤ人の男性、女性、子供、合わせて1万3788人が殺害された。
『ブラッドランド(上)』P311



 ホロコーストでユダヤ人コミュニティ全体を掃討し始めたのは、このフェーゲラインの部隊が初めてだったそうです。また、ある歴史家はこの時に実際に殺されたユダヤ人の数は23,700名に近いと推定しているとか……。


 ユダヤ人を殺害する理由については、『ブラッドランド(上)』の次のような記述が「なるほどなぁ……」と思いました。

 ……時がたつにつれ、このような軍の将校たちさえ、たいていがユダヤ人の殺害は必要だと思うようになった。その理由は、ヒムラーとヒトラーが信じていたように、1941年の夏でもまだ戦争に勝つ見込みがあったからではない。あっけなく負けてしまいそうだったからだ。
『ブラッドランド(上)』P323

 大量殺人は勝利の象徴ではなく、勝利に代わるものだったのだ。1941年7月末ごろからは、電撃勝利が構想だけに終わり、実現できなかったためにユダヤ人が殺された。同じ年の12月からは、反独同盟が力を増したのを受け、ユダヤ人はユダヤ人であるからという理由で殺害されることになった。ヒトラーはさらに激しい感情をさがし出し、いっそう暴力的な目標を公言した。ドイツが窮地に陥ったことを承知していた指導部は、それを受け入れた。
『ブラッドランド(上)』P335

 いかなる勝利をおさめることも不可能となったこのとき、ドイツ人はユダヤ人の殺害こそが勝利であると考えたのだ。イギリス、アメリカ、ソ連はドイツの敵であり、ユダヤ人もドイツの敵である、だからこれら三つの国はユダヤ人の影響下にある、という誤った論法がまかり通っていた。……ユダヤ人を殺害することは、敵国に対する直接的・間接的な攻撃となる。倫理的・軍事的論理に照らし合わせてみても、正当な行為と言える。……このころには、パルチザン攻撃に対する報復としてユダヤ人を殺害するというロジックが生まれていた。ベラルーシとウクライナのあいだにあるポリーシャ【プリピャチ】湿地帯では、ヒムラーがこれを理由に1941年7月から、ユダヤ人の男女、子供を殺しはじめていた。……英米ソ同盟への報復としてユダヤ人が殺されることになった。だがユダヤ人も、同盟を結んだ三国も、そんなことは理解できなかっただろう。ヒトラーが将来使おうと決めたばかりのこの理屈は、ナチスの世界観の中でしか通用しなかったのだ。
『ブラッドランド(上)』P337


 一つ思うのは、『Barbarossa Derailed』等で言われていたように、バルバロッサ作戦は7月末の時点ですでに挫折してしまっていることが指導部においては明らかだったのかということ。

 もう一つは、最近どこかで「独裁政治がなぜ良くないかというと、独裁者の誤った思い込みを止めるものが何もないからだ」という文を読んだような気がするんですが、ホントにそうだな、と。人間は思い込みをするものだと思うんですが。



 さて、フェーゲライン指揮のSS騎兵部隊は、その後ルジェフで活躍したそうです。

 その後、【SS騎兵】旅団はホルム方面で対パルチザン戦に従事していたが、翌42年1月22日、氷点下45度の酷寒の中で、歩兵3個師団とともにルジェフ西方からの反撃作戦に参加し、突破してきたソ連軍を逆包囲することに成功した。
 この戦功によりフェーゲライン旅団長は、3月2日付で騎士十字章を授与されたが、重火器を装備していない旅団の損害は甚大で、4月には前線から引き揚げられた。
『武装SS全史Ⅰ』P178



 1942年12月1日にフェーゲラインは前線に戻り、ドン川屈曲部で「フェーゲライン」戦闘団の指揮権を与えられたそうで、そのユニットが『Case Blue』に入っており、セットアップや増援到着表的には緊急増援の中に入れられていました(ちなみにその前作である『Enemy at the Gates』にはユニットが入っていませんでした。『Case Blue』で結構ユニットが追加された感がありますから)。

unit00316.jpg

 42年12月1日といえばウラヌス作戦(11/19~23)が終わった後で、冬の嵐作戦(12/12~23)が始まる前という時期です。

 試しに『Endgame at Stalingrad Volume3. Book Two December 1942 - Feburary 1943』で索引を引いてみると、2箇所にフェーゲライン戦闘団に関する記述があり、1つ目は12月31日頃の位置についてでした(P244)。


 ↓『A Victory Lost』(『激闘! マンシュタイン軍集団』の英語版)のVASSALマップから

unit00317.jpg

 1942年12月31日頃というのはリトルサターン作戦の終了時で、作戦の主攻勢軸を矢印で、その結果の戦線を破線で表しています。

 ドイツ軍の第385歩兵師団、第387歩兵師団、イタリア軍のアルピニ師団(山岳歩兵師団:△マークのユニット)の辺りはリトルサターン作戦の作戦地域からは外れており、そのままに残っていたんですが、ここにフェーゲライン戦闘団はいたそうです。他に、弱体化した第27装甲師団もこの辺りにいたとか。

 この辺りの戦線は私の最も興味のある場所で、個人的にはこの情報に正直興奮が隠せませんでした(^_^; この後この戦区ではソ連軍のオストロゴジスク=ロッソシ作戦が発動されてイタリア軍のアルピニ軍団が崩壊するのですが、『Case Blue』にはオストロゴジスク=ロッソシ作戦シナリオがないのは当たり前として(というか、この作戦を扱ったゲームは存在するのでしょうか?(>_<))、リトルサターン作戦シナリオも入ってないので(『Enemy at the Gates』には入っていたのに)、『Case Blue』でリトルサターン作戦のセットアップ情報を集めたい、死ぬまでに……というのが私の壮大な野望です(おい)。


 2つ目の場所は注釈で、こうありました。

 フェーゲライン戦闘団は、悪名高いSS将校であるヘルマン・フェーゲラインによって恐らく指揮されており、第27装甲師団に配属されていた。その主たる構成部隊は警察部隊であり、警察第2大隊、第3SS警察歩兵連隊、第15警察連隊などを含み、さらに小さな警察部隊も追加されていた。フェーゲライン戦闘団はどうやら、中央軍集団から第24装甲軍団へと移管されていたらしい。
『Endgame at Stalingrad Volume3. Book Two December 1942 - Feburary 1943』P637


 第27装甲師団はリトルサターン作戦開始時にはミレロヴォのちょっと北辺りにいるので、そこに置けばいいということでしょうかね。(._.)φ


 1943年5月からフェーゲラインはSS騎兵師団長となるらしいのですが、OCS的にそれ以降はカバーできないのでパスで(もしかしたら『Hube's Pocket』がカバーしているかもですが、持ってません(>_<) 『Third Winter』早く出して下さい)。

 フェーゲラインはその後も大量の虐殺行為をおこないつつ出世し、エヴァ・ブラウンの妹と結婚してヒトラーの義弟のような地位を獲得してやりたい放題しますが、第三帝国終焉の直前にヒトラーによって処刑されました。

 あの映画『ヒトラー ~最期の12日間~』にも出てくるそうで、探してみると以下のようなものが。


 ↓ヒムラー(髪型が変なメガネのおっさん(^_^;)と一緒に色々話しているのがフェーゲラインのようです。





 ↓ヒトラーがフェーゲラインを見つけて連れて来いと叫ぶシーン




 ↓フェーゲラインの処刑シーン





YouTubeで「fegelein」と検索してみると、欧米人が作ったらしいパロディ動画が大量にヒットします。日本では「総統閣下シリーズ」というのが一部で大人気でしたが、欧米では「フェーゲラインシリーズ」とでも言うべきものがあったとかなんでしょうか……?

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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