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Shakos『Napoléon 1806』に出てくるフランス軍指揮官の人物像まとめ

 Shakos『Napoléon 1806』のルール和訳がようやく終わりました……。

 和訳が終わったらやりたいと思っていた、このゲームに出てくる指揮官に関する調べ物をしたいと思います。やりたいメインはプロイセン軍でまだ情報をまとめたことがなかったタウエンツィーンやヴュルテンベルクで(マイナー……(^_^;)、フランス軍の指揮官の情報は放っておいてもとは思うのですが、手持ちの日本語資料で人物像についてだけまとめられそうだったので、それをやってみようと。

 資料は↓のものと、OSG『1806』のヒストリカルノート(OSG『1806』のヒストリカルノートから、指揮官について (2016/01/05) )と、Wikipediaです。



 『歴史群像』はこの2号連続で有坂純さんによる「ナポレオンの元帥たち」という記事があり、素晴らしいものでしたが、元帥全員が取り上げられていない……(T_T)


 『Napoléon 1806』に出てくるフランス軍指揮官はナポレオンを除いて8人で、同梱の指揮官ボードではアルファベット順に並んでいます。


Charles Pierre Francois Augereau

 ↑オージュロー

 果物商と家政婦のあいだに生まれたオージュローは、生まれついての野心家で、その点ではかなり成功したといえる。貪欲かつ強引なうえ、第1級の日和見主義者でもあったが、1796年カスティリオーネの戦いでは、名声への執着から猛烈な戦いぶりをみせ、ナポレオンの全面的信頼を勝ち取った(これは皇帝としては異例のことである)。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P5

 ……プロイセン軍の優れた下士官として経験を積み……1806年、征服したプロイセンで自分のかつての連隊の戦友たちと再会した彼は、感極まって中隊長以下全員に贈り物をしている。
 ……戦略的な才覚には欠けていたが、彼は一流の軍団指揮官であった。……
 戦術と集団の統率に優れ、剣術の達人で、粗野で無教養、大言壮語し、辛抱が足りず、政治にかぶれて笑いものにされ、磨き抜いた軍靴や金ピカの財宝を好み、将校たちも乱暴者揃いというこの将軍は、夜盗の如き略奪者でもあった。しかし彼の本性は残酷でも貪欲でもなく、立派な教養こそ身につかなかったが、地位と財産を得て落ち着くとともに人柄は丸くなっていった。友人や部下、地元の住民らには気前よく情け深く、大金を使い込んだランヌに同額を無条件で貸して助けたりしている。
『歴史群像』No.123 P9

 オージュローは部下達の自信をかき立てることに長けていたが、忍耐力は不足気味であった。"ランヌのすぐ後についていくのに"彼が失敗したことは、"自発性のひどい欠如を示している"(注51:Petre、【ザールフェルトの戦いに際して】"ランヌのすぐ後についていかなかったことに関するオージュローの言い訳は、自発性のひどい欠如を示している。)
OSG『1806』ヒストリカルノート


 オージュローはヤンキーというか海賊というか劉邦というか、なんかまあそんな感じの人物像っぽい感じを受けます。ザールフェルトの戦い(イエナ・アウエルシュタットの戦いの数日前に起こった前哨戦)で彼がどうだったのか良く理解しておらず、この戦役で活躍した感じもしませんが、それよりはプロイセン軍兵士時代の戦友に会って感激するオージュローの人物像に惹かれますね~。






Jean-Baptiste Jules Bernadotte

 ↑ベルナドット

 ベルナドットは、堅実かつ断固とした非常に有能な人物で……
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P6

 ベルナドットの第1軍団は足場の悪い森の中を北東に向けて120kmにわたり行軍しており、ナポレオンから遠く離れていたため作戦変更に即座に反応しづらい状況だった。ナポレオンはイエナで全プロイセン軍と対峙していると想定し、決戦の日を当初の予定の10月15日ではなく14日に突如変更した。全元帥の中でベルナドットただ一人が、その変更を直接知らされなかった。……悪路に阻まれイエナの戦いには間に合わなかったが、軍団をアポルダ高地に布陣させることで、プロイセン軍の退路を脅かすことに成功した。
 後年ナポレオンは、ベルナドットがアウエルシュタットにてプロイセン軍の主力と遭遇したダヴーの援軍要請を嫉妬心から拒んだと非難し、彼を軍事裁判にかけるため執行令状にサインをしたもののジョゼフやジュリー、デジレの事を思い取りやめたと述べているが、この見解に対して、むしろナポレオン自身に過失があったと異論が唱えられている。実際のところ、ナポレオンは作戦立案を総司令部に集中させすぎたあまり、元帥たちは作戦の全体像を把握できていなかった。ベルナドットはあくまでも皇帝の指示通りに行動したのであり、ナポレオンと参謀長のベルティエが敵主力の位置を読み間違えるという深刻なミスを犯したことのスケープゴートとしてベルナドットが槍玉にあがったという見方もされている
日本版Wikipedia「カール14世ヨハン (スウェーデン王)」

 ベルナドットはいつも半独立的な位置において作戦行動を良くこなしていたが、アウエルシュタットの戦場に登場することには失敗した。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 『Napoléon 1806』のヒストリカルノートでもベルナドットはダメ人間扱いされていましたが、R/Dさんの1806年10月14日 ドルンブルクにもあるように、私は「ベルナドットは悪くない派」だと思います。






Bessieres

 ↑ベシェール

 皇帝の古くからの親しい友人ベシエは有能な騎兵司令官であった。部隊指揮官としては凡庸だったが、人の上に立つ者としては、慎重でむしろ強靱であった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P7


 イエナ・アウエルシュタットの戦いでベシェールが何をしたか、私は今記憶がないのですが、調べれば色々出てくるのでしょうか……。オシャレで髪の毛に粉をふっていたらしいですね。






Louis-Nicolas Davout

 ↑ダヴー

 皇帝に仕えた将校のうち最も優秀な一人。過剰な厳格さと粗野は万人に嫌われたが、細部に目が届き、有能で、物に動じず、ライオンのように勇敢なダヴーは、真に偉大な軍事指導者であった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P9

 貴族でありながら彼には礼儀も婉曲もなく、任務の遂行においては一片の容赦も見せず、自分にも部下にも常に最高度の状態であり続けることを要求し、無能と不服従は無慈悲に罰せられた。ために将校たちには恐れられたが、厳正な軍紀で兵士たちを縛り付ける一方で、その補給と給養が充分であるよう配慮したので、兵士には愛された。同様に、作戦行動に必要とあれば一地方を軍税で丸裸にしたが、その実施は公平で、略奪は厳禁されていたので、住民には憎まれなかった。
『歴史群像』No.124 P10

 極度の近眼のため、分厚い眼鏡をかけ、背が低い上に若禿げで、外見は冴えなかったと言われるものの、ナポレオン麾下で最優秀と評価される事の多い将軍であり、生涯不敗とされるその軍歴は勝利の栄光で満たされている。その才覚は単なる前線指揮官に留まらず、ナポレオンの戦略を高次元で理解し、独自に一軍を維持し指揮することのできる数少ない人物であり、行政官として組織を管理統率する手腕にも優れていた。ナポレオンへの忠誠心は信仰に近いものがあったという。ただし、ナポレオンの方は、ダヴーの有能さは評価しつつ、その才能への嫉妬もあったのか、複雑な心情を抱いていたらしく、後にはかなり辛辣な評も残している。
 人柄はやや問題があり、言動は粗野で非常に冷淡、特に士官以上に対しては異常なまでに厳しく、部下の多くからは嫌われた。規律にやかましく、公私混同を忌み嫌う厳格な人物でもあり、俗物が多い同僚達からは煙たがられる事が多かったという。また、身だしなみを気にしない悪癖があったため、服から悪臭が漂っていることもあったという。よって友人も少なく、元帥の中で親しかったのはウディノ、ネイ、グーヴィオン=サン=シールぐらいのものだった。逆に忌み嫌っていたのはミュラ、ベルナドットの両名という。
日本版Wikipedia「ルイ=ニコラ・ダヴー」

しかしそのような状況においてなおアウエルシュタットで、恐らく元帥中最も有能であったダヴーは自らの優秀さを証明したのである。ダヴーは36歳にして頭は禿げ、やや猫背であり、極度の近眼であった。彼は特別製の戦闘用の眼鏡を頭の後ろ側に留めていた(注50:John R.Elting, 『The Wars of Napoleon』)。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 イエナ・アウエルシュタットの戦いにおける最高のヒーローといえばダヴーということになるでしょうし、私もダヴーを尊崇していますが、身近にいたらイヤかもしれませんね……(^_^;






Julie Volpelière (d'après Gérard) - Le maréchal Lannes (1769-1809), 1834

 ↑ランヌ

 「フランスのアイアス(ギリシア神話のトロイア戦争で活躍した英雄にちなむ)」と仇名されたランヌは、大胆な兵士であり、とくに優れた司令官であった。ただし、ときには勇猛さが冷静な判断を上回ることがあったかもしれない。執政政府時代、駐リスボン大使を務めたが、そのあいだにかなりいかがわしい方法で莫大な金を手にしている。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P12

 ランヌは独立の将ではなく、全軍の前衛として戦うのを常とし、また幾度も凄惨な攻囲戦を最前線で指揮した。……
 ランヌは勇気と独学の人である……熱心に軍事を学んだのみならず、階級と地位の上昇に伴い、ふさわしい見識と教養を身につけようと努力し、毎夜数時間の勉強を怠らなかったという。皇帝は「私は彼を剣士として見出し、騎士として失った」と、彼の不断の成長を回想している。
 ……エジプト遠征でミュラの陰謀を告げ口したのが、皇帝の『身内』(そしてミュラと、その弟分ベシエールの仇敵)となった契機であろう。彼は皇帝に“tu(私的な親しみに二人称”で呼びかけるのを許された唯一の人間だった。信じられぬほど勇敢で、粗野で直情的で、きわめて嫉妬深く、金銭にルーズなランヌを、同い年のナポレオンは友人と言うよりは愛人を扱うかのように、親愛と信頼に時々のきつい叱責を織り交ぜて接した。
『歴史群像』No.123 P11

 ランヌは非常に優秀な指揮官であるともにナポレオンの親友であり、北翼で一軍を率いて真っ先にイエナに到着した。彼の機動打撃部隊はスーシェのベテラン師団によって強化されていた。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 ランヌはザールフェルトの戦いで、「もしかしたらプロイセン軍で最優秀だったかもしれない」と言われるルイ・フェルディナント公を戦死させ、イエナの戦いでも非常に重要な役回りで堅実に勇猛に役割を果たしており、イエナ・アウエルシュタット戦役におけるダヴーに次ぐ2番目に活躍した将軍のように思えます。






Murat2

 ↑ミュラ

 ミュラは、とくに炎のような統率力と騎兵隊司令官としての勇猛さ、華美な服の好みで知られる。確かに彼は国の主よりは騎兵に向いていたし、勇敢ではあっても王者としては誉められた人物ではなかった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P17

 恐らく同時代に類を見ないほど優秀な騎兵指揮官であり、ナポレオンの戦いには欠かせない貴重な戦力だった。素晴らしい騎手にしてサーベルを扱わせれば天下無双、勇気胆力全く欠ける所が無く、どんな乱戦にも真っ先に飛び込み平然と生還する勇者でもあった。長身で威風堂々とし、甘いマスクと気の利いた弁舌を備えた大変な伊達男で、自らデザインした派手な軍服に身を包み戦場を疾駆するその姿は、敵味方問わず感嘆の的だった。
 しかし彼の能力は完全にそこまでで、馬を降りれば優柔不断で軽薄で浅はかであり、大軍を指揮する能力も戦略眼も政治外交能力もなかった。……元帥同士の人間関係では、上述のベシェールとは親友同士の間柄であったが、ジャン・ランヌやルイ=ニコラ・ダヴーからは忌み嫌われていた。
日本版Wikipedia「ジョアシャン・ミュラ」

 ミュラに指揮されていた偵察に従事する騎兵部隊はしばしば、不完全で人を惑わせる情報をもたらした。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 ミュラは、ヒロアカの青山くんみたいな……?(^_^; ベシェールと兄弟分というのを良く分かっていなかったのですが、騎兵伊達男兄弟分ということですか。






Marechal Ney

 ↑ネイ

 ミシェル・ネーは、とくに最悪の状況下で能力を発揮する異例の兵士で、いみじくも「勇者の中の勇者」「不屈の男」と呼ばれた。その勇気はよく知られるが、自分の職務を知り抜いた熟練の司令官でもあった。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P18

 「勇気を振り絞って突き進む - ないし踏みとどまる」と言うのが彼の唯一の戦争の原則であり……
 彼は素晴らしい軍団指揮官であったが、一軍を率いる戦略的洞察力と判断力はなかった。
『歴史群像』No.124 P13

 大陸軍ではナポレオン自身に次いで将兵に人気のあった指揮官で、不屈の闘志と人間離れした勇気で名高い国民的英雄だった。人となりは実直で努力家、同僚の多くと違って世俗的欲求にも恬淡としており、気前もよく部下達を物心両面で援助する事を惜しまなかった。ただ武人としての名誉には非常にこだわり、侮辱には黙っていることができず、卑怯未練な態度をひどく嫌った。戦場では極めて厳格かつ冷徹であり、部下の死にも表情を変えることがなかったが、それは「軍人が戦場で倒れるのは当然の運命である」と受け止めていたからだという。……短気で激情家でもあったが、冷静に戻ると自らの非を認め率直に謝罪することもできる度量も備えていた。戦場での勇猛さと裏腹に、平時は気弱で優柔不断な面も見られ、「彼は馬上では半神だったが、馬を降りればまるで子供だった」とも評されている。
 生まれた環境からフランス語とドイツ語を流暢に話し、命令書などに残された筆跡から非常に達筆だったことも知られている。また、フルートとクラリネット演奏を得意とし、チェスの名手でもあったという。
 指揮官としては特に粘り強さを身上としており、防御退却戦で後衛を率いて数々の伝説的武勲を挙げた。ロシアからの退却戦では自ら銃を取って、ロシア兵と戦った。攻撃においても個人的勇気と敢闘精神に富んでいたが、大軍を組織的に運用する事は不得手で、猪突して孤立するという失敗もしばしば犯している。たとえばワーテルローではウェリントンの後退を退却と誤認して騎兵すべてを投入してしまい、予備兵力を失っている。戦略的な視野は持たなかったが、残された命令書などは非常に簡潔明瞭に纏められており、部隊の統率者としては熟達していたようである
日本版Wikipedia「ミシェル・ネイ」

 後衛においてはネイは優れていた。というのは最前部や派遣部隊にいた場合、彼は気が動転して命令にない不必要な危険を冒してしまうことがあったのである。
OSG『1806』ヒストリカルノート


 人間味的にはネイが一番いいような気がします。有坂さんも書いていましたが、ネイがその力量を発揮できるような状況でだけ彼を使い続けていられれば、もっと良かったでしょうに……。人間向き不向きっていうものがあるんだよ、ということの非常に大きな例であるように思えます。






Jean-de-Dieu Soult

 ↑スールト

 スルトは慎重かつ明敏な司令官で、組織づくりと戦略の才に恵まれていた。……元帥たちのなかで最も有能な男の一人だったのはまちがいない。マセナと一、二を争うほど金が好きで、衛星国家からの年金や略奪によって莫大な金を蓄えた。
オスプレイ『ナポレオンの元帥たち』P22

 スールトは不仲のネイと正反対の性格といわれる。知的で、冷静で感情を出さず、最前線には赴かず後方で指揮を執った。……管理と数字に精通し、将兵には週に3回、日に12時間もの猛訓練を課し、その軍団はダヴーの軍団と並び最も整っていた。
『歴史群像』No.123 P9

 ナポレオン麾下でも指折りの優秀な将軍であり、特に機動戦に優れた野戦指揮官だった。しかし戦略的視野には欠け、また組織を管理統率する手腕にも問題があった。冷静沈着だが冷酷なまでに非情な人物でもあり、大変な俗物で地位、名声、金銭など非常に貪欲だった。スペイン戦線での略奪、虐殺は後々まで語りぐさとなっており、ウェリントンも「スールトはマッセナ以下である」と断じている。しかしながら結局ナポレオンの麾下で最も功成り名を遂げたのは、スウェーデン王(カール14世ヨハン)となったベルナドットを除けば彼である。
日本版Wikipedia「ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト」


 確か岸田恋さんかが「元帥たちの中で最もつまらない人物」というような書き方をしていたと思うのですが、実際ここまで様々な資料から人物像を抜き出していっていて、まったくその通りだという気がします。というか、スールト(と人物像を良く知らないベシェール)以外の人物像が面白すぎ!(^_^; 誰も彼もが『ワンピース』に出てくる濃い人物達のようです。これで他にもマッセナとかルフェーブルとサン・シールとかもいるわけですから……。

 『ナポレオン~覇道進撃~』という、それほど史実に忠実ではないらしい、『魁!!男塾』か『ジョジョの奇妙な冒険』みたいなマンガがあり、それぞれの将軍名で画像検索するとそのマンガのシーンが結構大量にヒットしてかなり面白そうなのですが、個人的には史実にできるだけ忠実な作品が欲しいです(『風雲児たち』とか『泥まみれの虎』とか大好きです)。



 ところで今回一番びっくりしたのは↓これでした。

不敗の元帥ダヴー ヴァルキリーサーガ



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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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