FC2ブログ

ロシア皇弟コンスタンティン大公の性格

 だいぶ以前にロシア皇帝アレクサンドル1世の性格とかについて参考になることが書いてないかなぁと思って購入した『アレクサンドル一世時代史の研究』が積ん読になっていたのですが、最近引っぱり出してきて時々読み進めていました。





 アレクサンドル1世の性格について結構記述があり、その点良くてまたまとめようと思うんですが、その弟のコンスタンティン大公の性格についても結構詳しく書いてあるところがあって、「おおっ」となりました。


Grand Duke Constantine Pavlovich of Russia

 ↑コンスタンティン大公(Wikipediaから)


 コンスタンティン大公と言えば、アウステルリッツの戦いでロシア軍の近衛軍団司令官として出てくるのでウォーゲーマーにはお馴染みではないでしょうか。彼に関する話としては、生まれた時に祖母エカテリーナ2世が、「(トルコの)コンスタンティノープルの征服者」となるという意図をもってその名前を付けたというのは、何回か読んだような気がします。しかしそれ以上は何も分かってませんでした。

 ↓今回見つけたもの。

 ……スマッカーはコンスタンティンの性格を次のように描写している。
かれは驚くべきほどせっかちで、風変りであり、しかも残忍で激情的であった。かれの振舞は非常に荒々しく、兇暴ですらあった。その行為の偏奇で狂っていた点、および人間としてのいやらしさの点では他の皇子達のいずれよりも、もっとも父親パーヴェルに似ていた。青年時代のかれの性向は放蕩気ままで、兇暴的であり、成人後のかれは何時も非常に残酷であった」。
 またサヴァリは次のように記している。
「コンスタンティン大公はまったくのフランスびいきであるように思われる。ピョートル3世の血を引いたのか熱狂的な軍隊好きである。ストレーリナのかれの居城は要塞のようである。かれの居室は兵器庫で、図書室にはあらゆる種類の兵書がいっぱいである。……庭にはフランスの捕虜に命じてブーローニュの兵舎の模型を造らせている。……しかしかれはその狂的な性格のために、軍隊では評判が悪い。またその皇室内における地位にもかかわらず、われわれをペテルブルグの上流社会へ導き入れる適当な人物とは思われない……」(概要)。
 この最後の一節は、皇位継承の予定者であったにもかかわらず、ロシア社会では重きをおかれていない、と観察したのであろう。
『アレクサンドル一世時代史の研究』P218,9



 だいぶ評判が悪いです(^_^; ただ、その「軍隊好き」のところだけを読んでいると、まるで我々ウォーゲーマーみたいですね。同じくすごく軍隊好きであったらしい父親のパーヴェル1世(エカテリーナ2世の息子)と合わせて、現代にいたら一緒に喜々としてウォーゲームをプレイする仲間になったんじゃないでしょうか(バキッ!!☆/(x_x))。



 他に資料がないかと思って探してみたら、Wikipediaの記述が非常に面白かったです。以下、日本版ですが、英語版の和訳のようでした。

 コンスタンチンは帝位を獲得しようとはしなかった。1801年に父帝が暗殺された後は、乱脈な独り者の生活を謳歌した。コンスタンチンは政治には関わろうとしなかったが、軍隊には外面を気にしてではなく心から親近感を覚えていた。1805年の戦役では近衛軍の司令官を務め、アウステルリッツの戦いではロシア軍の敗因の一端を作った。1807年の戦役でも、相変わらず軍人としての無能ぶりと運のなさを晒した。
 ティルジットの和約締結後、コンスタンチンはナポレオン1世の熱烈な崇拝者になり、露仏同盟の支持者となった。このため、フランスとの同盟は破滅も同然だと考える兄アレクサンドル1世の信頼を失ってしまった。コンスタンチンにはこうした兄の気持ちが理解できなかった。1812年にモスクワがフランス軍によって陥落させられた後ですら、コンススタンチンは早急にナポレオン1世との早急な同盟締結を主張した。そしてミハイル・クトゥーゾフ元帥と一緒になって、ロシア軍は国境を越えてまでフランス軍を追撃しない方がよいと意見した。
 戦役の間、ミハイル・バルクライ・ド・トーリ将軍はコンスタンチンによる支離滅裂な指揮で軍を敗北に追い込まないよう、2度もコンスタンチンを戦闘指揮から外す必要に迫られた。ドイツとフランスでの戦いにおけるコンスタンチンの役割もまるで無に等しかった。1813年8月26日のドレスデンの戦いでは、コンスタンチンは軍事に関する知識のなさから肝心のところで失敗を犯したが、ラ・フェール=シャンプノワーズの戦いでは勇敢なところを見せて称賛を勝ち得た。パリでは、コンスタンチンは大した戦功もないのに名将ぶって人々の嘲笑の的になった。大公がパリで最初に訪れた場所は厩舎であり、また彼は自分の宿舎でも軍隊を並べて行進や訓練を行わせていたと言われる。
日本版Wikipedia:コンスタンチン・パヴロヴィチ



 なんかもう、どうにもならない感じですが、それ故になんか非常に興味深いですね~。

 こういうことまで調べて書いてくれるWikipediaに感謝です。


関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

Twitter
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR