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OCS『DAK-II』『Reluctant Enemies』のコマンド部隊ユニット

 OCS『Smolensk:Barbarossa Derailed』のセットアップをやったりしたものの、ここ一カ月ずーっとOCS関係の和訳や割り付けをしていたせいか、頭がプレイの方に行かないので、この機会にやろうと思っていたOCS『DAK-II』のルールの和訳作業を始めました。

 以前、キャンペーン用のルールを除いた『DAK-II』練習用和訳は作っていたのですが、YSGAで20年ぶりに復帰した方が『DAK-II』のロンメルの第1次攻勢シナリオをやった(YSGA29年連続 GW二日間例会の様子⑩ GWお祭り企画...(MMP/GAMERS)OCS:DAKⅡ)というのを見まして、このシナリオはキャンペーン用のルールも使わないとできないので、「いいなぁ。ロンメルの第1次攻勢なんてすごい機動戦だし、うらやましいなぁ。自分もそれをやるためには、キャンペーン用ルールも訳さなきゃ……」と思ったのです。


 で、作業をしていたんですが、今まで認識していなかったあるキャンペーン用ルールに目をむきました。

c3.12 砂漠挺身隊「ラット・パトロール」
 「砂漠挺身隊(Desert Raiders)」とは、連隊規模未満のあらゆるコマンド部隊ユニットを指すものとします。言い換えれば、第288および第287特殊部隊は砂漠挺身隊ではなく、以下のルールの対象外となります。砂漠挺身隊には以下のルールが適用されます。
a)砂漠挺身隊はその戦闘に参加する自陣営のユニットがそのユニットのみである場合を除いては、攻撃あるいは防御において自身のアクションレーティングを用いることができません。
例外:2個の砂漠挺身隊ユニットが単一の戦闘に参加する場合には、いずれかのアクションレーティングを使用できます。
b)砂漠挺身隊ユニットは補給線を引くことができなくても、6ターンの間は非補給下にもならず損耗判定も行いません
c)砂漠挺身隊はユニットの両面が徒歩移動タイプとなっています(つまり燃料を必要としないのです)。砂漠挺身隊ユニットは移動中、進入するヘクス毎に徒歩もしくは自動車化移動コストのいずれか(有利な方)を用いることができます。


 なんですとー!! 移動モードが徒歩で、6ターンの間非補給にならない……。移動力はどれだけだっ、と思って見てみたら……。

 ↓イギリス軍の「砂漠挺身隊」。
unit00265.jpg

 徒歩で20移動力……!! 全然認識してませんでした(^_^; これまでOCS最強のユニットは騎兵ユニットかと思ってましたが(燃料いらないで12移動力とかあるので)、『DAK-II』の砂漠挺身隊の方がやばいですね。まあ戦力は1/2とかですが……。


 左の「LRDG」というのは「Long Range Desert Group」の略で、一般に「長距離砂漠挺身隊」と和訳されています。『歴史群像アーカイブ 11 北アフリカ戦線1940~1943』のP36がこの部隊に関するほどよいコラムになっていますので、一部引用しますと。

 ……砂漠を縦横無尽に動き回って敵情を偵察するのみならず、敵の補給戦や通信線を切断したり、後方司令部や兵站拠点を襲撃する、小規模な特殊機動部隊……
 長距離砂漠挺身隊の基本戦闘単位は、重武装を施したジープ数両と四輪駆動中型トラック十数両で編成されたパトロール隊だった……
 長距離砂漠挺身隊は、ほぼ同様の経緯で誕生したSASやコマンドと時に連携するなどして、枢軸軍の戦線の背後を縦横無尽に暴れ回った。例えば、1942年9月に実施された「ヒヤシンス」作戦では、枢軸軍の最前線から約1600キロも後方のバルチェにある飛行場の襲撃に成功している。



 長距離砂漠挺身隊について、今までに収集してあった資料によると……。

 イギリスの砂漠レインジャー部隊【長距離砂漠挺身隊のこと】は砂漠における破壊工作と情報収集を任務とする精鋭の特殊部隊であった。敵戦線の背後での戦いに専念するドイツの《ブランデンブルク部隊》に相当するものだ。
 この砂漠レインジャー部隊は志願者からなり、本部はシヴァ・オアシスの洞穴。のちにはクフラ・オアシスに移った。ここから彼らは敵地奥深く数百キロも大胆不敵な遠征を幾度も試みた。有名なのは戦線後方500キロのドイツ野戦飛行場を何度か襲ったことである。彼らは数週間にわたり数台のトラックに分乗して進んだ。大海に漂う小舟のように。目的地に着くと爆撃機と戦闘機のほとんどを破壊し、ガソリン・タンクを爆破し、守備隊に大損害をあたえ、5、6人の捕虜まで連れてふたたびシヴァ・オアシスへの無限の帰途についたのであった。
『砂漠のキツネ』P50,1

 イギリス本国軍を - 将来あるアマチュアとして、彼【ロンメル】は属目していた。小規模な独立した作戦、つまり個人の創意にまつところの多いものの場合、たとえば長距離砂漠挺身隊とか特別航空部隊【SASのこと】のようなものは、ドイツ軍以上に優秀だと認めることさえしていた。ドイツ軍ではそれほどの自信を持てないし、敵戦線のはるか後方でそのような冒険心を発揮できないだろうと見たのである(公平を期するためにいうが、長距離砂漠挺身隊はイギリス本国の現役将校が組織し指揮していたが、隊員の多くはニュージーランド兵であった)。
『ロンメル将軍』P182

 また、1942年9月の長距離砂漠挺身隊(ロング・レンジ・デザード・グループ)の事例も興味深い。彼らは長躯トブルク付近の枢軸軍補給基地を急襲したのだが、その隊員のなかには、ドイツ軍の軍服を身にまとって偽装したドイツ系ユダヤ人も混じっていたのだった。この作戦は失敗し、ユダヤ人隊員も捕虜となった。彼らが取った行動が戦時国際法違反であることは明白である。にもかかわらず、ユダヤ人隊員が処刑されることはなかった。
『第二次大戦の<分岐点>』P209




 で、先ほどの画像にSASとレイフォース(←これがいわゆるコマンドらしい)もあります。リンクしたWikipedia「ブリティッシュ・コマンドス」には、「その他のコマンド部隊はレイフォース(Layforce)と呼ばれる大編成に加えられ、中東戦線へと派遣された。後のSASやSBSはこのレイフォースの生き残りを再編成したものだとされている。」とありましたが。

 いわゆるコマンド部隊に関しては第二次世界大戦ブックスに『コマンド』というのがあり、そちらである程度読めるのですが、P51に地図があり、それによると、

1941年4月21~22日(ロンメルの第1次攻勢の直後):第7コマンド隊、バルディアを奇襲
 ……これは隊員がまだ未熟で失敗に終わったがドイツ軍側の衝撃は大きかったとか。

1941年6月7~8日:シリアのヴィシー・フランス軍の海岸防衛線を第11コマンド部隊が奇襲
 OCS『Reluctant Enemies』に「レイフォース」としてユニットが入っており、奇襲上陸もルール化されています。

 ↓『Reluctant Enemies』のレイフォースユニット。戦力換算が他のOCSの3倍なので、これら全部まとめて2戦力?

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1941年7月18~19日:トブルク守備隊の一部として勇戦していた第8コマンド隊が、イタリア軍防衛線を強襲
 ……背後から急襲してさっと引き上げたそうで、15分ほどのものでしたが成功したそうです。

1941年11月17~18日:クルセイダー作戦の直前に、コマンド部隊がロンメル将軍の殺害をはかる
 ……舞台となったのはベダ・リットリアという村で、『DAK-II』にはその地名が載っています。

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 El Hamyiaの辺りから上陸し、数日かけてベダ・リットリアへ向かい、一部の兵はキレネ(Cirene)まで行って通信線を切断したそうです。

 このロンメル暗殺作戦ですが、昔書いたGJの記事で私はこれを長距離砂漠挺身隊がおこなったと書いてまして、全然勘違いしていました。本当にすみません……(T_T)


 さらにこのロンメル暗殺作戦の直前(つまりどちらもクルセイダー作戦の直前)、イギリス軍は陽動のためにガザラからティミミにかけて、SASでもって空挺作戦をおこなったのだそうです。

 ↓画像の左上の方にティミミ(Timimi)が、その南東にガザラ(Ain el Gazala)があります。

unit00269.jpg

 クルセイダー作戦が開始される2日前の11月16日の夜に、2つ目の陽動作戦が実行された。デビッド・スターリング大尉に率いられた「L」分遣隊と、第1特殊任務旅団(この部隊は後に、第1SAS連隊となる)は、ガザラからティミミ周辺の地域へ空挺降下し、飛行場に散らばった敵航空機を破壊するという計画を立てていたのである。この作戦のための57名の兵士を乗せた5機のボンベイが、フカ近くの滑走路から飛び立った。ところが不幸なことに天候が急激に悪化し、兵士達を載せた輸送機の編隊は散り散りになってしまった。パイロット達は濃い雲の中作戦を続行して空挺兵達を降下させたが、彼らの武器や弾薬は広い範囲にばらまかれてしまった。夜が明けると、彼らは目的地からはるか南に降下してしまっており、襲撃を続行するのは不可能だということが分かった。何もできることはなく攻撃を中止するしかなく、降下で生き残った22名は長距離砂漠挺身隊の車との会合を目指して砂漠の横断を開始し、何とかイギリス戦線まで帰り着いた。これが、有名なSAS連隊の初めての作戦であり、幸先の悪いスタートとなった。
『Operation Crusader 1941』P35



 このオスプレイの『Operation Crusader 1941』ですが、読んでいるとイギリス軍はクルセイダー作戦の時に内陸のオアシスからベンガジへ向けての陽動作戦も発動しており、案の定補給線的に全然無謀な試みでまったく作戦に寄与しなかったらしいですが、こんなにも色々な陽動作戦をイギリス軍がとっていたことに感嘆しました。やはり1つの作戦で1冊くらいの本を見てみると、意外な詳しい話が分かって興味深いですね(私が微妙にマイナーなことばかりに興味があるということもありますが(^_^;)


 これらのイギリス軍の特殊部隊全般について、ロンメルの回想録には次のように書かれています。

 かかる英軍支隊は、クフラ、またはカッタラ低地から、遠くキレナイカまで作戦を実行し、大きな災いをもたらして、イタリア軍を著しく動揺せしめたのだった。彼らは、アラブ人がわれわれに反抗するよう、何度も扇動したのだが、わずかな成功しか収めなかったのは有り難かった。
『「砂漠の狐」回想録』P260





 さて、(兵科マークで言うところの)コマンド部隊ユニットですが、ドイツ軍にもイタリア軍にもありました。

 まずドイツ軍から。

unit00264.jpg

 『DAK-II』のルール上は左右の2つは「砂漠挺身隊」の対象になりませんが。第288特殊部隊については、以前ちょっと書きました。

OCS『DAK-II』の「第288特殊部隊」ユニット (2017/03/13)
OCS『DAK-II』の「第288特殊部隊」ユニットの件に付け足し (2017/03/17)

 画像真ん中の「v.Könen」中隊ユニットですが、『WWⅡドイツの特殊作戦』の中に記述がありました。

 北アフリカ戦が発生するとブランデンブルグ部隊の300名からなる「アフリカ中隊(ケーネン中隊とも呼ばれた)」が編成され、とくに、暗号傍受を行う通信小隊にはアフリカ通の「専門家」が配属された。アフリカ中隊の指揮官はケーネン中尉(のち少佐のフリードリッヒ・フォン・ケーネン)でアフリカについて広範囲な知識と経験を有する人物だった。中隊を任されたケーネン中尉は隊を二つに分けて半数を1941年10月に英軍との激戦続くトリポリへ送ると4ヵ月後に残りの半数を合流させた。このアフリカ中隊の特徴は大部分の隊員たちが英語は勿論のこと、主要な言語であるアラビア語やスワヒリ語のほかに数カ国語を操ることができたことだった。
 特殊な語学力を生かして北アフリカ戦線でブランデンブルグ部隊のアフリカ中隊は偵察任務につき、現地の住民から情報を得たほかに、英軍戦線に侵入して情報を収集しアフリカ軍団司令部に報告した。
『WWⅡドイツの特殊作戦』P104,5


 この後エル・アラメイン戦の頃には、スエズ運河に進撃する時に備えて運河や橋梁をイギリス軍に破壊されないための特殊任務を与えられることになりそうだったものの、実際には進撃ができずにこの特殊任務は実行されなかったとか。

 見ていると、ゲーム上ではドイツ軍のケーネン中隊はイギリス軍の3つの「砂漠挺身隊」ユニットと全く同じ能力値ですが、史実では情報収集任務が主で、イギリス軍のように「小部隊で敵後方に襲撃」とかはしておらず、先ほど引用していた「小規模な独立した作戦、つまり個人の創意にまつところの多いものの場合、たとえば長距離砂漠挺身隊とか特別航空部隊のようなものは、ドイツ軍以上に優秀だと認めることさえしていた。ドイツ軍ではそれほどの自信を持てないし、敵戦線のはるか後方でそのような冒険心を発揮できないだろうと見たのである」というのはある程度その通りなのかな、とも思いました(尤も、他のブランデンブルク部隊は割と敵戦線後方に入っていっていると思いますが、しかし北アフリカでイギリス軍特殊部隊がおこなったような、何百km、下手すると千数百kmも後方に進出するというのはやってない……?)。



 さてさて、イタリア軍ですが、「砂漠挺身隊」がちゃんとあります。

unit00263.jpg

 移動力ががくんと低いのが悲しく、移動モードでの戦闘力がゼロですが、しかしアクションレーティングはちゃんと5あります。

 略称から名前は一応分かります。略称一覧によれば、

CMA:Centro Militaire Arab
CMI:Centro Militaire Italiano
RW:Reparto Wanda

 で、CentroはCenterで、MilitaireはMilitary、Arabはアラブ、Italianoはイタリア、Repartoは部署という意味らしいのですが、Wandaは単語じゃなくて人名か地名?

 関係書籍を漁れば何か出てくるかもしれないのですが、今までまったく気にしてなくて見た記憶もないので、今回はここまでにしておいて、何か記述が見つかればまた報告したいと思います。


 最後に、今回の参考文献一覧です。




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Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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