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『ナポレオンとバイエルン』から、ウジェーヌについて

 承前、『ナポレオンとバイエルン』から、ウジェーヌについても。

 なぜ『ナポレオンとバイエルン』にウジェーヌの話が出てくるのかといいますと、ウジェーヌはナポレオンによる政略結婚で、バイエルンの王女アウグステと結婚したからです。


Auguste Amalia Ludovika von Bayern1

 ↑ウジェーヌの妻アウグステ(Wikipediaから)


 この政略結婚の最初の知らせについては、このように書かれています。時期的にはアウステルリッツの戦いの少し後ということになります。

 【1805年の】クリスマスの夜、皇帝の官房長官デュロックがナポレオンの手紙を持って到着した。それには単刀直入にアウグステを義理の息子【ウジェーヌのこと】の嫁に欲しいとあった。【バイエルン国王】マックス・ヨーゼフは直ちに病気になり、こともあろうに父として願う手紙を【息子の】ルートヴィヒに持たせてアウグステのところにやった。その中で彼は、国の未来の邪魔をしないで欲しいと懇願した。アウグステは自分を抑え、了承した。
「愛する父の安寧と国民の幸せがそれに懸かっているのなら、どんなことでも我慢します。
しかしウジェーヌ皇太子が和約を結び、イタリア王として承認されるまでは、手を与えません。私は自分の運命を貴方に託します。でもそれがどんなに酷いことであっても、私は祖国のために犠牲になったのだという思いがそれを和らげてくれるでしょう…」。
 王女よりももっと打ちひしがれていたのは母のカロリーネで、その心臓はジョゼフィーヌの「血筋の悪さ」と「我々の運命を決める暴君の専政」への「怒りのために締め付けられた」。
『ナポレオンとバイエルン』P122



 しかしそれから2週間くらいした1806年1月8日頃に、ナポレオンは(バイエルンのどこかで?)アウグステの母カロリーネと会い、「好意的な印象を与えることに成功した」そうです(P125)。

 日時不明ですが、その日か次の日かぐらいに?ナポレオンはアウグステと初めて会いました。

 その間に婚礼の最後の準備が進められていた。ナポレオンがミュンヘンに到着して数時間後にアウグステ・アマリエが紹介された。皇帝は王女の美しさに感銘し、義理の息子ウジェーヌに彼を待っている運命についてついに説明することにした。「私はミュンヘンに到着してお前と王女アウグステとの結婚をまとめた。このことは公表された。今朝王女は私を訪ねた。かなり長時間私は彼女と話をした。彼女は大変美しい。彼女の絵が同封の皿に描かれているが、実物はもっと良く見える」。
『ナポレオンとバイエルン』P126



 この書き方からすると、ナポレオンはこの時点ではまだウジェーヌに、アウグステとの政略結婚の件を伝えていなかったようです。ところがその1日か2日後とみられる1月10日にウジェーヌはミュンヘンに入り、13日には結婚式を挙げるのです(はやっ! ものすごく急いでいた印象を受けますが、どうなんでしょう)。ということは、さすがにまったく何も知らせてないということはなく、「ミュンヘンに来るように」という命令は出し、また「何らかの王家と政略結婚することになるだろう」ということは伝えてあったんでしょうかね?

 ウジェーヌとアウグステが会うと、二人はすぐに惹かれ合ったようです。

 【1806年】1月10日ウジェーヌはミュンヘンに入った。彼がイタリアで伸ばしていた口ひげはたちまちナポレオンの不興を買い、ウジェーヌは花嫁に見せる前に床屋に送り込まれた。あらゆる騒ぎをものともせず、アウグステとウジェーヌは急速にお互いが気に入り、この結婚が間違いなく幸せなものになるだろうと思われた。
『ナポレオンとバイエルン』P127



 口ひげの件がカワイイです(^_^;

 Wikipediaによると夫婦仲は円満で7子が生まれました。

 その後のウジェーヌについて、『ナポレオンとバイエルン』から。

 しかしすぐあとにナポレオンを見捨てたミュラと違って、ウジェーヌは類い稀な無私の純潔さを示した。
『ナポレオンとバイエルン』P289

 彼は妹のオルタンスと同様にナポレオンの忠実な支持者であり、ボナパルト派と連絡を取っていたにもかかわらず、常に控えめな態度を取ったが、それは彼の舅に対する忠誠心がそうさせた。
 ……
 それ【ナポレオンの死】から3年も経たない1824年2月21日ウジェーヌはミュンヘンの宮殿で心臓発作のため死んだ。……墓の上の扉の上には実際に彼の生涯をよく表しているウジェーヌのモットー"Honneur et Fidelite"「栄誉と誠実」と書かれている。
『ナポレオンとバイエルン』P309



 日本版Wikipedia「ウジェーヌ・ド・ボアルネ」によると、こうあります。

ウジェーヌ・ド・ボアルネは1824年2月21日、ミュンヘンにて脳卒中のため42歳で没した。彼の葬儀は荘厳に行われ、義父であるバイエルン王は個人的に喪に服した。彼の性格、そして知性に率直に魅了されていた妻オギュスタ=アメリーの家族とバイエルン国民は、心から彼の死を嘆いた。彼の子供たちのそれぞれの結婚によって、ウジェーヌはノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ギリシャの各王家の先祖となっている。




 ウジェーヌに関しては、その高い評価に関して何回か書いてましたが、ますます興味を持ちます。

ウジェーヌへの高い評価、他 (2015/07/11)
『歴史群像 No.147』 ヨハン大公とウジェーヌが素晴らしい! (2018/02/15)


 ウジェーヌに関して英語で読める伝記は、『Napoleon and his adopted son: Eugene de Beauharnais and his relations with the emperor』というのがあるようで、1917年出版の本で、Internet Archiveで読めるようです(Amazonでペーパーバックになったやつを買うこともできます)。

『Napoleon and his adopted son: Eugene de Beauharnais and his relations with the emperor』




 ↑複数ありますが、一番原典に忠実そうなもの(ペーパーバック版では一番値段が高い)。

 買うかどうか悩むところですが、Web上で見出しだけ見てるとかなりワクワクするので、買ってみようと思います(本になっている方が読みやすいので)。本文はやはり、見出しほど読みやすい英文ではないようですが……。

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Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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