FC2ブログ

インド人300万人を死に追いやったチャーチルvs.ウェーヴェル将軍の戦い

 先日、ネットニュースで↓のような記事を読みました。


映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は10億人の人の歴史を踏みにじる
英国で政治家チャーチルを描いた映画がヒットした。だが英国に植民地として支配された歴史を持つインドから見れば、チャーチルは何百万人ものインド人を餓死させた人種差別主義者とうつるのだ。


 記事の中には、「チャーチルはインド人にとってのヒトラーだ」というような表現も出てきました。

 1943年のベンガル地方(現在のバングラデシュを含むインド東部)で起こった「ベンガル飢饉」で、総数300万人が亡くなったことは、以前読んだ『戦争と飢餓』で知り、印象にも残っていたのですが、再度読み直してみました。


 ↓過去のエントリ
『戦争と飢餓』、超絶オススメです! (2016/02/29)


 飢饉の原因ですが、イギリス人によるインド総督府が無能だった(同時期にイギリス支配下の中東では有能なイギリス人や組織によって飢饉が未然に防がれていた)ことが一つの原因で、もう一つの原因はチャーチルや他のイギリス人達による人種的偏見だと考えられるようです。人種的偏見に関して、引用してみますと……。

 戦争が「食糧の世界経済の複雑な構造を混乱させて」【大英】帝国の一部地域に飢えをもたらすことは「目に見えていた」。そして、その飢えに襲われる地域を決定づけた指針は人種的偏見である、という結論以外は考えにくい。チャーチルはもともとインド人に嫌悪を覚えていたが、恩知らずの裏切り行為とみなした「インドを立ち去れ」運動【クイット・インディア運動】がその嫌悪感を煽り、どこに資源を運ぶべきか決めるにあたってインドの優先順位を最下位におくことになった。チャーチルとその戦時内閣は、インドの食糧不足の深刻さをかたくなに信じないことで、帝国内で民間人が最大の犠牲を払う場所を決定し、飢えをこの植民地に押しつけた。
『戦争と飢餓』P154





 この状況に対して行動したのが、北アフリカでイタリア軍やロンメルと戦っていたウェーヴェル将軍であったということに今回の再読で気付き、大いに興味を持ちました。


General Archibald Wavell
 ↑ウェーヴェル将軍(Wikipediaから)


 北アフリカ戦の資料を収集していてようやくイギリス軍やイタリア軍の将軍の区別がある程度つくようになってきたんですが、とりあえず北アフリカの戦いのイギリス軍の指揮官は大略以下のようになってます。

ウェーヴェル将軍……コンパス作戦、ブレヴィティ作戦、バトルアクス作戦
オーキンレック将軍……クルセイダー作戦、ガザラの戦い、第1次エル・アラメインの戦い
モントゴメリー将軍……第2次エル・アラメインの戦い以後


 ウェーヴェル将軍についてはまた詳しく書きたいと思ってますが、とりあえず私の集めた資料ではWikipedia上の評価よりもだいぶ高い評価で、ロンメルなどはウェーヴェルを最も高く評価していたそうですが、逆にチャーチルはウェーヴェル将軍を「平均的な大佐程度の能力しかない」と偏見の目で見ていたそうです。

 ウェーヴェル将軍はバトルアクス作戦に敗れてチャーチルによって更迭され、対日本軍作戦を指揮することになるのですが、この時期の日本軍は破竹の進撃の時期で何もできずに敗北し、その後ウェーヴェルはインド総督となりました(のちに、更迭されたオーキンレックの方もインドに赴任します)。

 1943年9月にウェーヴェル子爵が総督に就任してはじめて、断固たる行動がとられた。……ビルマ奪還の任務につく兵士もまた、その60%がインド人だったこともあって、飢饉の影響を受けていた。ベンガル出身の兵士は家族から悲惨な手紙を受けとっていたし、たとえ、飢えたベンガル人に見せびらかすように列車の窓からベーコンを数枚ぶらさげる英国兵が目撃されたとはいえ、イギリス人にしろインド人にしろ、兵士の多くは飢饉の犠牲者の姿にひどく心を痛め、自分たちの配給を物乞いたちに食べさせていたという。
 ウェーヴェルに動員された軍隊が、農村地域まで米の運搬を警護し、衣服を配り、救援物資の穀物になじみがない村人たちに調理法を実演してみせた。ずたずたになった輸送体系の復旧にも取り組み、「阻止作戦」で撤去した船を戻して、橋を修繕し、渡し船の運航を再開した。……
 ……ウェーヴェルは再三にわたってロンドンに電報を送り、インドに食糧を送るよう懇願した。チャーチルはこれに腹をたて、インドでそれほど食糧が不足しているなら、なぜガンジーはまだ死んでいないのか、と返事をよこした。
 ……偏見と嫌悪から、チャーチルはかたくなにインドに救いの手を差し伸べようとしなかった。
 ……
 困り果てたウェーヴェル総督は、クロード・オーキンレック、ルイス・マウントバッテンのふたりに狙いを移した。前者はインド軍の最高司令官、後者は連合軍の東南アジア最高司令官だ。ふたりが軍需物資を10%削減してもいいと認めてくれた結果、ロンドンの参謀本部長も軍用の船舶25隻を転用することを承知し、内閣に20万トンの穀物を輸送することを認めさせた。ところが、不運にも1944年は不作の予想となり、ウェーヴェルはその後もインドに食糧を送ってほしいと訴えつづけ、イギリスの内閣を「目先の利益しか頭になく、冷淡」だと断じた。あからさまな嫌悪にもイギリス政府は動じなかったが、ついに1944年末にインド軍が士気を喪失する恐れが生じたため、軍需物資の補給に代えてオーストラリアの小麦2万トンが運ばれることとなった。1945年3月、大量の物資がオランダへ空輸されたことを聞いたとき、ウェーヴェルは苦々しげにこう述べた。「同じ飢餓でもヨーロッパで生じた場合は、飢えた人々に食糧を与える姿勢がまるきりちがう」。
『戦争と飢餓』P150~153




 ただ、日本版Wkipedia(というか、その出典であるジャン・モリス『帝国の落日 下巻』)によると、ウェーヴェルは「ガンジーのことはかなり軽蔑しており、「あのじいさん」と呼んでいた。」そうですが(^_^;

インド統治においてはインド・パキスタンへの権力移譲の土台を築いた人物である。ウェーヴェルは「我々はインドに自由を与えるかのように言いながら、実際面では一歩前進するための提言にひとつ残らず反対している」と自国のインド政策を批判していた。ただ、ネルーやガンジーなどインド独立運動指導層との関係は良くなかった[32]。
アーチボルド・ウェーヴェル (初代ウェーヴェル伯爵)




 あと、当時のイギリス人が日本人のことも人間と思ってなかったことについて、『アーロン収容所』という本がオススメです。




 尤も、当時の日本人にしろ、今の日本人にしろ、人種差別的偏見がないわけではなく……(まったく偏見がないのが普通だと考えるのもおかしい、という考え方もありますかね)。

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR