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ワグラム会戦に間に合わなかったヨハン大公

 以前、『歴史群像 No.147』 ヨハン大公とウジェーヌが素晴らしい! (2018/02/15) でヨハン大公について書いてましたが、その後も継続してヨハン大公について情報収集をしてました。


 日本版Wikipedia ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒで挙げられている参考文献『ハプスブルク 愛の物語 王冠に勝る恋』がAmazonで安く買えたので、それを入手してみまして……。




 基本的にはヨハン大公の恋愛話なんですが、ヨハン大公の人となりや、カールやフランツ関係の記述を。

 ヨーハンは容貌の面からいえば長兄【フランツ2世】と酷似していた。中背ですらりとした体格、輝くように青い目、髪は淡いブロンドだったが、内面的には、すでに軍事の面で異彩を放っていた兄カールに、深い親愛感を抱いていた。カールは外観からいえば、髪も目も黒く、あまり見栄えがしなかった。しかし彼は将軍としては並はずれた天分を発揮し、皇帝である兄の影を薄くさせた。フランツが弟に遠く及ばなかったのは言うまでもない。それでもフランツは、自分で軍隊を指揮する立場になかったことから、カールを頼りにするしかなかった。そのため彼には、末弟ヨーハンに対したようには、ひどい扱いをしなかった。
『ハプスブルク 愛の物語』P186

 ヨーハンが1809年のチロルの暴動に際しては、自由を愛し自由を求めるチロル人の側に立ち、それによって兄に対する反乱者となったのは、彼にとっては当然のことだった。そんな彼は皇帝フランツによって絶えず、敗北を喫するような立場に追いこまれた。かなりの大部隊を指揮するには未熟だったにもかかわらず、ヨーハンは戦術的にははるかに優勢なナポレオン軍と戦えという指令を受けた。彼はミュンヘン近郊のホーエンリンデンで壊滅的な敗北を喫した。
 ヨーハンはひどく意気消沈し、これほど多数の勇士たちを戦死させた責任は、ひとえに自分の無能にあると考えた。本性からいって彼は、戦争には向いていなかった。一瞬に得られる輝かしい勝利よりは、国家の幸福の方が彼の心には適っていた。彼は注意深く世界を見て歩き、オーストリアと王朝の諸州にとって、現在何が最も必要なのかを考えた。新しい領地を獲得する必要はなかった。重要なのは、ごくふつうの住民の生活水準を高めることだった。そして最後には彼らもまた、過去数世紀における有産階級のように、悠然と暮らせるようにすることだった。
『ハプスブルク 愛の物語』P189

 大公は穏やかな、むしろ控えめな人だった……
『ハプスブルク 愛の物語』P199





 前回のエントリで取り上げた『歴史群像』の次の号148号は、ワグラム会戦の直前までの話でした。




 ウジェーヌもヨハン大公もウィーンの方向へ向かい、生起したラープの戦いでヨハン大公は敗北しますが、まああまり記述も多くないですしスルーで。それよりはその後、ウジェーヌ軍もヨハン大公軍も自軍主力と合流する/しないのあたりで色々動きがあり、そこらへんの話が興味深いです。

 『歴史群像』148号ではこうなっています。

 オーストリア軍もまた、ヨハンの軍がプレスブルクへ到達し、カールとの合流が可能となった。だがカールはこのとき、フランス軍がプレスブルク方面からドナウ河を渡るかもしれないと警戒し、ヨハンに同市の防衛を命じた。
『歴史群像』148号P158

 彼【カール大公】はもともとロボー島の陣地強化自体が陽動だと考えていて、ナポレオンはプレスブルク方面から攻撃に出ると考えていた。しかしこの方面のダヴー軍団が移動したとの知らせを受けると、カールはやはり攻撃はロボー島からだと判断、ヨハンにドナウ河に沿って北上して本隊に合流せよと命じた。
 ところがこの命令は悪天候に遮られて到着が遅れ、さらにプレスブルク正面に広く展開していたオーストリア軍は集結に手間取ってしまい、相対するダヴーのように迅速には行動できなかった。結局、ヨハンの1万3000を超える軍勢は7月5~6日の【ワグラムの】会戦に間に合わなかったのである。
『歴史群像』148号P162




 これが、『Who was who in the Napoleonic Wars』のヨハン大公の項では、ヨハン大公とカール大公の間の仲が悪くなったことが原因であるかのような匂わせ方になっているのです。



 彼の軍事的地位は、その能力や経験からのものというよりは、その生まれによるものだった。実際、サチーレの戦いにおける彼の成功は、敵側がより多くのミスを犯したものによるのだと言われている。……1809年には彼は内オーストリア軍を率いて、4月16日にはサチーレにおいてウジェーヌ・ド・ボーアルネに対して勝利を収めたが、その後ラープでウジェーヌに敗北し、この間にヨハンと兄カールとの関係は緊張したものとなった。このことが原因でワグラムの戦いの時に影響を与えたのかもしれない。なぜならばカールによる、主力軍にヨハンの軍を合流させるようにという命令に対してすぐに反応せず、到着があまりにも遅すぎたものになったからである(カールは、ヨハンの軍がきちんと前進して早くに到着していれば、決定的なものになったであろうと主張しているが、あくまでも推測に過ぎない)。ナポレオンがロシアで敗北した後には、ヨハンはオーストリアが対仏戦争に再度踏み切るべしという一派の先頭に立ったし、ティロルの反乱を支援していたのでもあったが、この時のオーストリアは準備ができておらず、参戦には早すぎたのであった。
『Who was who in the Napoleonic Wars』P164



 尤も、どういう風に「緊張」したのかとか、全然分かりません。ただ、もともとヨハン大公は兄のカール大公に憧れていたと前掲エントリで引用していましたが、カール大公の性格には色々と弱点があり、それが要因であったのかもとは思います。たとえば……。

 人格・性行上の疵がなかったわけではない。1809年、ワグラムの会戦で敗北した後、二度とカールが野戦軍総司令官の職に呼び戻されることがなかったのも、多くの将軍がカールの下で戦うことを望まなかったためである。
 カールは心身のバランスを崩しやすく、たやすく精神の耗弱に陥った。そうした内気と気分の変調に加え、父が先代皇帝、兄が当代の皇帝という高貴な身分にあることもあって、他者から批判されることに弱いという性格上の弱点を持っていた。そのためカールは、率直に苦言を呈する人材を側近に配することが出来なかった。彼が取り巻きに集めたのは、オポチュニストや陰謀家、立身出世主義者といった信頼出来ない人間たちであった。彼らは、カールが自らの敗戦の責任を部下の将軍たちに転嫁しようとしても、忠告して止めさせようとはしなかった。
『歴史群像』103号P161





 ↑『歴史群像』103号。軍戦略家としてのカール大公に関する記事が載ってるのです。




 『歴史群像』148号でも、ヒラー将軍がカール大公に対して軍務放棄したと書かれていました。

 【ワグラム】会戦直前の7月4日、これまでに作戦方針で事ある毎にカールと対立してきた第Ⅵ軍団司令官ヒラー将軍が、体調不良を理由にここにきて軍務を放棄してしまったのである。
『歴史群像』148号P163





 あとチャンドラーの『ナポレオン戦争』ですが、索引でヨハン大公を引いてみると以下のような記述が。



 軽い怪我に顔をしかめ、1万3000の新手を引き連れてくるはずの弟に絶望し、戦闘中ずっとビッサムあたりで無駄に使っていた第5軍団の8000人をいまさら投入しても遅いだろうと痛感させられたカール大公は、既に漸次退却を命じていた。
『ナポレオン戦争 第四巻』P93

 ナポレオンはヨハン大公が現れると最後まで【その戦力を撃破できると考えて】期待していたが、彼の軍団がめちゃくちゃな命令とぐずぐずした行軍のおかげで、その日の大半は極めて遠い場所にいたことに気づいていなかった。午後4時頃になってようやくヨハンはジーベンブリュン近くに姿を現した程度だったのだ。短いパニックの後、近くにいたフランス軍が召集され、この新参者たちに新たなる戦いを仕掛けようとしていた。ところが、ナポレオンが第三日目の戦闘はないとようやく気づいたのは7日のことだったのだ。結果的に、カールはオーストリア軍の大半を何の邪魔だてもなく激戦地からさっさと逃がすことができたのである。
『ナポレオン戦争 第四巻』P94



 この記述からいくと、ヨハン大公はぐずぐずしていたために、カール大公の役には立ちませんでしたが、一方で、ナポレオンに撃破されてしまうというピンチからも逃れることができたっぽく、もしかしたら麾下の兵士の命を守るという点では100点満点の行動になったのかもしれませんね(^_^;

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Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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