FC2ブログ

『歴史群像 No.147』 ヨハン大公とウジェーヌが素晴らしい!

 買ってからだいぶ経ってますが、ようやく『歴史群像 No.147』の「ナポレオン戦争」を読みました。




 今回は1809年戦役のイタリア方面に関してで、ヨハン大公とウジェーヌの激突ということでした。両者とも弱冠28歳で、「防御的でいろ」と命令されていたにもかかわらず、できれば攻勢をかけたいと思っていたとか。

Leopold Kupelwieser 001Eugene de Beauharnais by Shtiller

 ↑Wikipediaから、ヨハン大公(1828年頃?)とウジェーヌ(1810年頃)


 ヨハン大公に関して、どんな人物か良く分かっていなかったのですが、今回その人物像について記述がありました。

 オーストリア皇帝フランツ1世や、カール大公の弟に当たり、1800年のホーエンリンデンの戦いでは弱冠18歳で軍を指揮するが、モロー率いるフランス軍に敗れている。

 【1809年戦役の時】
 ……ヨハン大公は弱冠27歳、軍人としては経験不足で方面軍を指揮するのも初めてだった。彼自身は兄カールに憧れを抱いていたようだが、武人よりも文人に向いているというのが周囲の評価だった。
 ……
 だがヨハン自身はチャンスがあればフランス軍に大きな打撃を与えて北イタリアの支配を取り戻すか、あるいは少なくとも優勢に戦いを進めて全体の戦略に寄与したいと考えていたのである。
『歴史群像 No.147』P157,8



 記事中ではヨハン大公は最初は攻勢をかけて進撃・勝利するものの、ドナウ方面の退却とフランス軍の増援を受けて退却し、本国が無茶な要求をしてくるのに対してもそれを無視して無理をしないでいるという、穏当な感じがして好感が持てます。


 他の記事でヨハン大公について調べてみますと、ますます好感を持ちました。ヨハン大公についていきます!(おい)

 彼ら【ハプスブルクの12人の王子達】は優れた君主と賛えられた父【レーオポルト帝】の血をうけて、いずれもが異才を発揮し、それぞれが独自の道を歩んでいった。ところが12人の中で最年長のフランツだけは、弟たちとはちがってごく凡庸で狭量な、よくいえば従順、悪くいえば無能な兄だった。
 ……
 しかもフランツの弟たち、たとえば一つ違いの次弟フェルディナントや、三歳年下のカールそしてヨーハンなどは、少年時代から有為の王子としてすでに大器の片鱗をあらわしていた。やがてカール大公は、天下無敵を誇っていたナポレオンを、初めてウィーン郊外のアスペルンで破ったし、ヨーハン大公はチロルやシュタイアーマルク州で、市民や山岳地帯の農民たちと親しく交わり、「アルプス王」として地方文化の振興につとめた。
『ハプスブルク家』P200~208


皇帝フランツ2世は平凡な人物であり、有能なヨハンを疎んでいた。特に軍人向きではないヨハンを戦場へ送り出し、ヨハンは多くの兵士を死なせたことに深く傷ついたという[3]。また、平民出身の兵士らと接触したことで宮廷や貴族の生活を嫌うようになる[4]。

貴族社会よりも山岳を愛し、スイス出身の芸術家の影響でスイスに傾倒するが、やがて自国のチロル地方にも同様に美しい風景があることに気づく[5]。非常に活動的でまた庶民的な人柄であり、シュタイアーマルク州の農業、鉱工業、林業を繁栄へと導き、その他にも学校や病院の開設を進めた。1809年のチロル動乱のおりには民衆の味方でもあった。1811年には、自然科学の研究と技術教育を目的としたグラーツにヨアネウムを設立した。
 ……
この時代に活発化した産業教育や社会福祉の遠大な先覚者として広く知られ、民衆から慕われた。山登りで鍛えた健脚もありおおむね健康であったが、大公の加齢につれアンナが領地の管理を引き受けるようになった。1859年、大公は77歳で死去した。大甥にあたるフランツ・ヨーゼフ1世やエリーザベト皇后らもその死を惜しんだという。アンナも1885年に死去し、南チロルのシェーナに2人揃って埋葬されている[12]。

大公の死後、地元の人たちが大公を偲んでいつともなく歌いだしたといわれている歌に「ヨハン大公のヨーデル」(Erzherzog Johann Lied)がある。この歌は日本においても大変有名で、この歌が入っているかどうかでレコードの売れ行きが全く違ったほどである。
Wikipedia ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ



 「ヨハン大公のヨーデル」は、↓これ? 知ってるような、知らないような……(^_^;







 
 ウジェーヌに関しては、『ナポレオン一八一二年』がものすごくよかったです (2014/08/29) で書いてましたように、ロシア遠征でものすごい活躍していて、Wikipedia ウジェーヌ・ド・ボアルネでも絶賛されていますね。1814年にはナポレオンに対して「一般的には反逆」と取られてもしょうがない行動をしたということですが、まあ1814年のナポレオンは見捨てられてもしょうがないとは思いますので、いいですかね(おい)。

 ウジェーヌと言えば、記憶によれば、エジプト遠征の時(20歳になるかならないか)に現地の女性を手に入れて、着飾らせるのに夢中になっていて、なんかもう自分を制御できないんだとか何とか言っている……というのをどこかで読んだ気がするのですが、どこに書かれていたのかが思い出せません(ちょっと調べてみたのですが、分からなかった……)。

 ウジェーヌは次号で活躍するらしく、期待大です。



 今号タイムリーにありがたかったのが、「サウーの騎兵師団」という記述があったこと。

 実は最近また1806年戦役に興味が再燃してきてまして、『Jena - Auerstaedt:The Triumph of the Eagle』のP9に10月8日のすごくいい戦況図があって、ぜひ真似したいと思っているのですが、その地図の中にフランス軍の騎兵指揮官として「Sahuc」というのがあって、「これって何て読むんだろう?」と疑問だったのです。同一人物かちゃんと付き合わせたわけではないんですが、まあ多分間違いないでしょう。ありがたやありがたや……。




関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR