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ロンメルはイタリア軍司令官からの抗議に、ヒトラーの許可を得たのだと嘘をついた?

 以前から続けて、北アフリカ戦の資料を収集していってます。

 その中で、ロンメルの最初の攻勢にイタリア軍北アフリカ司令官のガリボルディ将軍が抗議した時の話について気になってきました。

 その顛末は例えば……。

 3月24日、枢軸軍の攻撃でエル・アゲイラにいたイギリス軍第2機甲師団はその前哨拠点からメルサ・ブレガへの後退を余儀なくされた。4月2日、ドイツ軍部隊がその町からイギリス軍を追い出した。これに続けて、いくつかの枢軸軍師団(アリエテ戦車師団、第102トレント自動車化師団、イタリア第27ブレシア師団、およびドイツ軍第5軽師団)が前進を継続した。ロンメルは次に枢軸軍を分割したが、ガリボルディが反対した時、彼はヒトラーに訴えた。総統は、公式の指揮系統を無視してロンメルに行動の自由を与えた。これが、北アフリカ戦役の残りの指揮決定の雰囲気を決定づけた。
『Regio Esercito: The Italian Royal Army in Mussolini's Wars, 1935-1943』P75



 これは多くの書物で、こういう感じになっているのではないかと思います(例えば第二次世界大戦ブックスの『ロンメル戦車軍団』なんかでもそうなっています)。


 若干詳しくなると、こんな風に書いている本もありました。

 イタリア司令部との約束では、マルサ・エル・ブレガを越えて前進しないことであったが、この約束は"砂漠の狐"によって踏みにじられたわけである。ムッソリーニは立腹を抑えきれず、ロンメルと連絡を取ろうとするが、ロンメルはいつも前線に出ているためにこれは不可能ということで、ガリボルディ将軍をドイツ軍司令部へ赴かせて進軍をやめさせるよう命じた。
 ロンメルは4月3、4日の両日、ガリボルディと会見したが、その模様を次のように記録している。
「ガリボルディは、私の作戦がローマの指令に反するとして激しく非難した。彼は独伊両軍の増強が絶対にあり得ないと言い、私の進撃を停止するよう要求するとともに、今後の作戦は彼の承諾なしでは行ってはならんと強要するのであった。」
 このためロンメルは、イタリア司令部との関係を明確にし、ぜひともこの問題に決着をつけておくべきだと考えたわけであるが、記録には「私は自分の見解を明確に説明し、正しいと判断することは、今後とも断行する考えであると答えた。すると相手は怒りだして激論となり、とても収拾がつかないと思われた時、救いの神というか、ドイツ最高司令部から無電が入り、私に対して行動の完全な自由を認めるということであった」と書いている。
『ムッソリーニの戦い』P111,2



 「と書いている」とあるのは、ロンメルの記した記録に書いてあるということです。

 ところが、(私が中学生の頃から崇拝していた)ロンメルに関しては、「命令を聞かない」とか「まわりの部隊や指揮官と協調しない」とか「勝手に別の師団の部隊を自分の配下に入れてしまう」とか「自己宣伝のために別の部隊の貢献を無視した文を書く」というようなことがフランス戦であったことを読んでました。


 で、このガリボルディの時の件に関して、山崎雅弘さんの『ロンメル戦記』ではこのように書いてありました。

 一方、ベルリンのドイツ軍上層部でも、ロンメルの独断専行が大きな問題として騒動を引き起こしていた。カイテルは4月3日、ロンメルに宛てて、次のような命令を暗号電報で送信した。
貴官の任務は、現在地を守って英軍を拘束することであると、総統も理解されている。もし限定的な攻勢をとる必要が生じても、現状の小規模な兵力の能力を超えるような行動に出てはならない。特に、ベンガジへの攻撃は、右翼〔内陸部〕から攻撃を受ける危険性に注意しなくてはならない」
 同日午後9時頃、怒りに身体を震わせたガリボルディが、アジェダビアにあるロンメルの司令部に到着した。ガリボルディは、面子を潰されたことで激怒し、ロンメルに殴りかからんばかりの勢いで、彼の命令への不服従を責めた。だが、ロンメルは薄笑いを浮かべて「わが軍の補給状態には何の問題もありません」と答えただけだった。
 ガリボルディとロンメルの感情的な話し合いが始まって3時間が経過した頃、前記したカイテルの命令電報が、ロンメルの元に届いた。内容を一読したロンメルは、過去にもこの後にも、戦場で偶然敵と遭遇した時にたびたび行ったように、表情ひとつ変えることなく、堂々とした態度で、事実と異なる言葉、つまりを口にした。
「これは、総統が私に、完全な行動の自由を認めるという内容の電報です」
 それを聞いて闘志を打ち砕かれたガリボルディは、それ以上何も言えなくなってしまった。そして、アジェダビアで激論が戦わされていたのと同じ頃、第3装甲偵察大隊は要港ベンガジ市内に突入し、ほとんど抵抗に遭遇することなく同市の中心部を制圧した。
『ロンメル戦記』P216



 この「嘘」という言葉は重要であると思います。多くの本ではロンメルは、ヒトラーに訴えたにしろ訴えなかったにしろ、ヒトラーの意志によってフリーハンドを得たという風に書いてあると思いますが、この本では、ヒトラーの意志としてもフリーハンドを認めるものではないという電報を、ロンメルは「これにフリーハンドを認めると書いてあります」と、虚偽を言ったということなわけですから。

 ロンメルを褒める論調で書かれている本なら、「ここでロンメルは実は嘘を言ったんですけどね!」とは書きたくないことでしょう。多くの本はロンメルを褒める目的で書かれるでしょうから、むしろ「ここでロンメルはフリーハンドを得ました」という内容こそが(ミームとして)複製されて広がっていくのはありそうな気がします。

 で、個人的にはこの「嘘」の件は非常にありそう気がしていますが、もちろん、ある本にそう書いてあるからそれが本当だと、言うわけにもいきません。山崎さんがこの話をどの本から引っ張ってきたかが分かれば、そこから辿っていくこともできるかもしれないですけども。

 私の知っている狭い範囲では、アーヴィングの『狐の足跡』が可能性がありそうな気もするのですが、アーヴィングに関しては資料の扱いがデタラメだという大木毅さんの記事(『ルビコンを渡った男たち 大木毅戦史エッセイ集2』アーヴィング風雲録-ある「歴史家」の転落(初出:『コマンドマガジン』第92号)。多分『ドイツ軍事史――その虚像と実像』にも入っていると思われます)もあって、どうも買うのがためらわれて手を出していません。

 そいでまた、山崎雅弘さんは大木毅さんとの間などに、アーヴィングの資料の取り扱いに関して論争?があるようです。尤も、この件がアーヴィングとは違ったところが出所であれば、全然関係ない話ということになりますが……。


 ただ、カイテルの電報という話は、送った側に文章と時間の記録があったことは想像できますし、それを誰か(山崎さんが参照したいずれかの本の著者)が調べたということはありそうな気がします。

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Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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