OCS『DAK-II』で見るサブラサ、ピストイア歩兵師団

 『コマンドマガジン日本版 Vol.16』に、北アフリカのサブラサ歩兵師団と、ピストイア歩兵師団に関する記述があったのに興味を持ちました。


 まずはサブラサ師団について。

 サブラサ師団は士気も練度も低い、2線級の部隊だった
『コマンドマガジン日本版 Vol.16』P75

 サブラサ師団といえば、せいぜい守備隊任務にしか使えないような、リビアで編成された2線級の部隊である。そのような部隊さえ、前線に投入せざるを得ないのが、アフリカ装甲軍の実情であった。このことを知ったムッソリーニは、精鋭のフォルゴーレ空挺師団の北アフリカ投入を決意する。これでヘラクレス/C3作戦の実施は完全に不可能となった。
『コマンドマガジン日本版 Vol.16』P76




 『砂漠の戦争』にも、サブラサ師団が弱いことについての記事があります。

 敵部隊の質はよかったが、非常にむらがあった。イタリア軍サブラタ師団は、つねに苦境においこまれていたようだった。彼らはもともと駐屯軍として使うべきものであり、それを前線に出すというのがそもそも間違っていたのである。テル・エル・エルサで、オーストラリア軍の前に屈したのもサブラタ師団だった。彼らは集団的に投降してきた。中央部で降服した、別のイタリア軍部隊は、インド軍情報将校にいった。
「われわれは、ブレーシア師団のものです。弱い兵隊だと思うでしょう? でも、サブラタに比べればましですよ」
『砂漠の戦争』P217




 それから、ピストイア師団について。

 アフリカにおける枢軸軍の問題の一つは、チュニジアまでに至る、伸び切った戦線であった。この広大な土地を守るため、ヒトラーは4月に弱小のピストイア師団をアフリカに送った。強襲上陸に備えてである。エル・アラメインに展開する枢軸軍の後背地に敵が上陸してくることを、ロンメルは懸念した。事実、後背地では限定された連合軍の作戦が行われていた。9月中旬、長距離砂漠グループが活動したが、とても成功したとはいえず、30機の航空機を破壊したにとどまった。トブルクに対する強襲は、沿岸砲台による砲撃と、同港を守るサン・マルコ海兵大隊のために失敗しに【ママ】終わっている。
『コマンドマガジン日本版 vol.16』P82



 トブルクへの強襲に関しては、『ドキュメント ロンメル戦記』にも記述がありました。

 【1942年】9月14日の早朝、敵はトブルク港と周辺地区に対し、約180機による連続爆撃を加えたのち、有力な部隊によってこの要塞地区に上陸を試みた。わが方の手に落ちた敵の文書によると、敵はドックの施設を破壊し、停泊中の船舶を撃沈する計画だったようである。トブルク半島にあったわが高射砲部隊は、直ちに猛烈な砲撃を開始した。大急ぎで独伊軍の反撃部隊が編成され、上陸した敵部隊の包囲に成功した。われわれはイギリス軍がトブルク占領を企図しているのではないかと思って、すぐに多数の機械化部隊をトブルクに向け出発させたが、同地にあった部隊は間もなく事態収拾に成功した。イギリス軍は、戦死および捕虜などばく大な損害をこうむり - わが高射砲部隊の報告によれば - 駆逐艦3隻、上陸用舟艇または護衛艦3隻が撃沈された。
 翌日、わが空軍は再びイギリス軍を補足し、巡洋艦1隻、駆逐艦1隻および護衛艦数隻を撃沈した。またイギリス艦船多数がわが爆撃により損傷した。9月15日朝、私は自らトブルクに飛び、同地守備隊の善戦を称賛した。敵がトブルクを攻撃したという報告はわれわれに少なからず警戒の念を起こさせた。というおは、トブルクはわが方の最も弱点とする地点だったからである。私は敵がその攻勢開始にあたって、再びこのような攻撃を企図するのではないかと思った。そこでロンバルディー提督とディンドル将軍に対し、全力を尽くしてこの要塞を確保するように命じた。
『ドキュメント ロンメル戦記』P315,6




 ピストイア師団は、名前は聞いたことがあるものの、印象が薄いと思っていましたが、エル・アラメインの時という遅い時期になってようやく北アフリカに持ってこられたので、ゲーム上でもあまり見たことがないということなんでしょうね。



 ↓OCS『DAK-II』から、イタリア軍の歩兵師団(徒歩部隊のみ)と、前掲のサン・マルコ海兵大隊のユニット。

unit00097.jpg

 サン・マルコ海兵大隊のAR4は強いです。弱小と書かれていたサブラサとピストイアはAR3と、平均クラスになっています。


 その他のイタリア軍歩兵師団で、その強さについて触れられていた文としては、パヴィア、ブレシア両師団に関する、以下のものを収集していました。

 【クルセーダー作戦の時】ひるごろトブルク守備隊は60台の戦車と強力な歩兵部隊をもって、味方戦車隊と合流すべく脱出を試みたが、イタリア軍は死にものぐるいで封鎖線を守り、パヴィア師団はよく戦った。それでも敵軍は包囲線の拠点を多数奪うことに成功した。
『砂漠のキツネ』P78


 ブレシア師団と同じく、ファシスト1個レギオンをもつ。パヴィア、ブレシア両師団は、イタリア歩兵師団でアフリカ軍団について行くことができた数少ない存在であった。パヴィア師団は、トレント自動車化歩兵師団と第21歩兵軍団を編成していた。両師団はともに、エル・アラメインからの後退戦闘で壊滅した。
『アフリカンギャンビット』P25




 OCS『DAK-II』のユニットでは、パヴィア、ブレシアも、サブラサ、ピストイアも、ARは平均の3です。良く見る師団名の中では、ボローニャがAR2となっています(あまり見ない師団名のものは、コンパス作戦の時に壊滅させられた歩兵師団です)。


 ボローニャ師団は、エル・アラメインからの撤退の時に、見捨てられたそうです(>_<)

 ボローニャ師団は第7ベルサグリエーリ連隊ともに、沿岸部に見捨てられた。第10軍団の歩兵は、要請していた150台のトラックを受領しておらず、砂漠の中で水と助けを求めていた。
『コマンドマガジン日本版 vol.16』P86




 ただ、同記事には、エル・アラメイン戦からの撤退の時に、「ドイツ軍がイタリア軍のトラックを奪って撤退していった」というのはイギリス軍の流したデマであると書かれていて、「うおおおお。マジ!?」と思いました。

 ロンメルの影響力は非常に大きく、イタリア軍ドイツ軍を問わず兵士の間で人気があり、イタリア軍最高司令部にもアフリカのイタリア軍司令官にも信頼されていた。ドイツ軍とイタリア軍部隊の連携は、一般的にいって大隊レベルまで良好で、これもロンメルによるところが大きい。……
 こうした背景があって、狡猾なイギリス軍は、ドイツ軍が使えるトラックを全部使ってイタリア軍を置き去りにしていった、というデマを流したのである。退却に関する責任は、イタリア軍最高司令部にあったのであるが。実際にはドイツ軍はイギリス軍が流布したことの逆の行動をとっており、撤退命令を聞かされていないイタリア軍部隊を、数多く救っている。第7ベルサグリエーリ連隊は結果的に置き去りにされたが、多くの兵士はドイツ軍によって救われている(生存者は今日でも、当時のことを口にする)。イタリア軍に意図的に情報が伝えられなかったのではなく、ドイツ語を優先した指揮系統に問題があったのだといえよう。
『コマンドマガジン日本版 vol.16』P86



 「ドイツ軍がイタリア軍のトラックを奪って撤退していった」ということに関しては、東部戦線でも言われていて、先日読んだ『ふたつの戦争を生きて』の中でもそういう風に書かれていた……ような気がします(確かめるにはまた全文を読まなきゃなのでパスで)。

 『Sacrifice on the Steppe』にはどのように書かれているか(書かれてないかもですが)、期待です(ここ2週間風邪で頭が働かず、全然読み進めていません(T_T))。

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Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。
 過去に作ったイタリア軍関係動画もどうぞ。
※リプレイ記事は練習が主になっていて、間違ったルールでプレイしてる事が多々あることにご注意下さい。気付いたものはその都度新しい記事でその事を書いてますが、古い記事に修正はほどこせていませんので……。

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