イタリア・ロシア戦線派遣軍団(CSIR:~1942年春)について

 バイトに行く時の電車の中や待ち時間に『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』を読んでいっていて、非常に非常に興味深いです。

 まずはP5~9にかけて、バルバロッサ作戦に参加したイタリア軍について触れられています。

 よく認識していなかったのですが、最初にバルバロッサ作戦に参加したイタリア軍はパスビオ、トリノ、チェレーレ(アオスタ候アメデオ皇太子)の3個師団のみで、「イタリア・ロシア戦線派遣軍団(CSIR)」と呼ばれたのですね。で、ソ連軍の冬期反攻の後、ヒトラーは各同盟国に増派を呼びかけて、イタリア軍もさらに7個師団を派遣して今度は「ロシア戦線イタリア軍(ARMIR)」と呼ばれることになる。

 で、最初のCSIRの内訳ですが、細かいところまでは良く分からないのですが、『Regio Esercito:The Italian Royal Army in Mussolini's Wars, 1935-1943』P100,101の資料を元にOCS『Case Blue』のユニットで見ると、こう?(これら以外に馬匹砲兵が1個連隊あったはずで、ユニットとしても馬匹連隊が2個あるのですが、どっちがそれに当てはまるか分からないので省略……ちなみにユニットの方は砲兵砲撃力10か8かって感じでした)

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 ただし、CSIRは1941年7月から1942年春までですが、『Case Blue』は1942年6月からを扱うので、そこらへんまったくずれがありますが……。

 しかし、本を見ていて1942年春に増強されたと書かれているのは主にアオスタ候アメデオ皇太子師団の別の部隊が増派されたとかってのが主で、上に挙げた部隊が増強されたとかってのは見つけてないので、それほど変わりがないとすると、ARの高さと移動力の高さが特徴的に感じます。タリアメントは遅いですが、これは後で増援として送られたらしいので、最初のCSIRはイタリア軍としてはかなりレベルも機動力も高い部隊が送られたらしい……という印象を受けました(あくまでOCSにおけるレーティングでは)。


 『イタリア軍入門』によると……。

 7月11日、列車200輌による大輸送が始まり、メッセ将軍が率いるCSIR軍団は旧オーストリア、ハンガリー経由で前線手前のドニエストル河付近に、車輌5500台や野砲960門、輸送用の馬匹4000頭と共に順次到着した。しかしこの派遣軍には機甲部隊が割り当てられず、広大なロシア戦線に非力なL6軽戦車やL3豆戦車しか配備されていなかった。また歩兵部隊の貧弱な47mm対戦車砲だけでは、T-34戦車を装備した赤軍機甲部隊の前で、イタリア軍は無力な危険があった。
『イタリア軍入門』P47


 上記の数字に加えて、『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』のP326によると2,900名の将校と58,000名の兵士、それに51機の戦闘機、22機の偵察機、10機の輸送機。ただし『Regio Esercito:The Italian Royal Army in Mussolini's Wars, 1935-1943』P101によると馬匹は4,400頭。


 『イタリア軍入門』ではP46~50、およびP63にCSIRの激闘と活躍が描かれているのですが、まあそこらへんは『イタリア軍入門』でもって読んで頂くとして……。


 『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』ではCSIRの割と悲惨な状況について重点的に触れられています。これはまあ、この本はテーマ的にそうだからで、『イタリア軍入門』の場合にはイタリア軍の活躍を可能な限り描いていくという差異があるのだと思います。

 イタリア軍は1915~18年製の武器に大きく依存しており、ロシアでの戦いに必要な迅速な機動、戦車、近代的な兵器、それに陸空軍間の協調などについて、痛ましいほどに不適格であった。イタリア軍の将軍のほとんどはファシストではなく、王に忠誠を誓っていたが、彼らは過去にしがみつき、「近代戦のテクノロジーや戦略」の知識に欠けた無能力者であった。彼らは「第一次世界大戦の化石」であったのだ。

 イタリアの独裁者【ムッソリーニのこと】は壮大で好戦的な修辞法の数々を使いこなしたが、近代戦に必要なものがなんなのかについてはほとんど知識がなかった。

 【1941年の】夏にイタリアを出発した兵士達は、軽装の軍服に軽装のブーツを履いていた。……

 CSIR【イタリア・ロシア戦線派遣軍団】の装備もまた、個人単位でも全体の上でも貧弱なものだった。ライフルは1891年に導入されたもので、頑丈で機能的ではあったがロシア軍の自動小銃には対抗できなかった。サブマシンガンもほとんどなく、そもそもロシアの極寒ではほとんど動かなくなってしまった。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P7


 【1941年8月28日にヒトラーとムッソリーニがウクライナの東部戦線を訪れた時】ムッソリーニとの内輪の会談の中でメッセ将軍が、兵士達の置かれている状況について、特に輸送手段の不足によってイタリア軍部隊がドイツ軍の機械化師団に追随できないこと、それから補給集積所からの物資の輸送に困難を来していることについてを話した。燃料の不足についてもメッセは触れた。燃料がイタリア軍部隊に届くのが遅いため、イタリア軍の前進が遅くなってしまっており、それに加えて、イタリア軍部隊が前線のドイツ軍部隊に追いつくことができないために、ドイツ軍がジリジリしてイライラを募らせてきているのだと。

 メッセの報告の間中、ムッソリーニは無言だった。実際、彼は一言も発しなかった。メッセは、ムッソリーニは「存在しない」かのようだったと記している。
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P8


 我々は食糧もなく、靴は壊れ、ズタズタに裂けた軍服を着て、各自の弾薬もほとんど支給されていなかった……
『Sacrifice on the Steppe: The Italian Alpine Corps in the Stalingrad Campaign, 1942-1943』P9





 CSIRのゲーム上での配置などですが、OCS『Case Blue』では時代が合わないので、GMTの『Barbarossa: Army Group South, 1941』『Barbarossa: Kiev to Rostov』のVASSALモジュールで探してみました。イタリア軍が出てくるシナリオはいくらかあるみたいでしたが、とりあえず2つほど。紫色のユニットがイタリア軍です。


 ↓『Barbarossa: Kiev to Rostov』シナリオ5:「To Kharkov」1941年9月30日

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↓『Barbarossa: Kiev to Rostov』シナリオ6:「To Rostov」1941年11月5日

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。
 過去に作ったイタリア軍関係動画もどうぞ。
※リプレイ記事は練習が主になっていて、間違ったルールでプレイしてる事が多々あることにご注意下さい。気付いたものはその都度新しい記事でその事を書いてますが、古い記事に修正はほどこせていませんので……。

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