黒シャツ隊「アフリカ」師団と"M"黒シャツ大隊群「タリアメント」のOCSユニット

 『コマンドマガジン89号』P47「第二次世界大戦中のイタリア陸軍の編成」を見ていて、「えっ」と思いました。

 黒シャツ(Blackshirt)師団:対仏戦までに23rd Marzo(1)、28th Ottobre(2)、3rd Gennaio(4)の3個歩兵師団の編成を完了していましたが、21st Aprile(3)師団は連隊規模の兵力を超えることはなく、残りの3個師団と共に1941年5月までに北アフリカで全滅しています。1940年にはCacchatoie d'Africa歩兵師団も編成されましたが、1941年5月に東アフリカで全滅しました。その直後に編成されたAfrica歩兵師団も1942年には北アフリカへ派遣されましたが、チュニジアで全滅しています。また、1943年にはCentauro Legion(1)装甲師団が編成されています。
『コマンドマガジン89号』P47「第二次世界大戦中のイタリア陸軍の編成」



 「チュニジアへ送られた黒シャツ隊の「アフリカ」師団……? 初耳だ……」と。

 早速『Tunisia』や『Tunisia II』のユニットを再点検してみましたが、それらしきユニットは見当たりません。師団規模では見逃しようもないはずですが、師団規模ではない?(→OCSのユニットで見る黒シャツ隊 (2017/01/31) 参照)


 しかし例えば、日本語版Wikipedia「黒シャツ隊」には、

 1940年時点で国防義勇軍(黒シャツ隊)は34万名の兵員を持ち、北アフリカ戦線に新しく編成した第1師団・第2師団・第4師団を援軍として派遣、これは英軍との戦闘で壊滅した。戦争後半には第4師団「M」と第5師団「アフリカ」が戦場に展開した。


と書かれていますし、英語版Wikipedia「Blackshirts」にもこうありました。

 1940年にMVSN【国防義勇軍】は34万名を召集して前線部隊とすることができ、3つの師団(第1、第2、第4。この3つの師団はすべて北アフリカ戦役で全滅した)を編成。のちに1942年には4つめの師団("M")と5つ目の師団「アフリカ」を編成しつつあった。
 ……
 のちに41個の機動群が編成されイタリア陸軍師団の3つ目の連隊となったが、それは実戦での経験からイタリア陸軍の2単位師団では兵力と重装備の面で小さすぎるということが分かってきたことからの決定であった。これらの機動群は兵力、装備、訓練等の不足により大損害を被った。……MVSN【国防義勇軍】はイタリアの戦うところのすべてで戦った。



 しかし、文献資料でもGoogle Booksなどで調べてみましたが、どうにもこの黒シャツ隊「アフリカ」師団について見つけられていません。気になるので探してしまうのですが、他のことが進まないのでとりあえず放置しておいた方がいいか……。

 「編成しつつあった」というのが落としどころなのかなとも思いますが。





 それから、「21st Aprile(3)師団は連隊規模の兵力を超えることはなく、残りの3個師団と共に1941年5月までに北アフリカで全滅しています。」の件も気になりました。

 ↓『DAK-II』には師団規模の黒シャツ隊以外にもいくらか黒シャツ隊ユニットがあるので、これらがそう……?

Blk11.jpgBlk12.jpg


 しかし例えば、

 そこで新たに4個師団(『1月3日』『4月21日』『3月23日』『10月28日』師団)が再編成され、リビア黒シャツ師団として北アフリカに派遣された。その後、1940年5月に『4月21日』師団は解散して他3個師団に吸収されている。
『イタリア軍入門』P247,8


 とか(イタリア軍のエジプト侵攻は1940年9月9日から始まる(『DAK-II』もそこから開始)ので、それ以前に解散されたということになります)、

 国際情勢における困難さが増大してきていることを考慮して、4つのファシスト(CCNN)師団、いわゆる「libiche(Libyan)」が北アフリカに配備された。「23 marzo」「28 ottobre」「21 aprile」「3 gennaio」である。1939年9月に動員されると彼はすぐに2つのファシスト軍団へとまとめられた。XXIIファシスト軍団とXXIIIファシスト軍団で、指揮官はそれぞれUmberto Somma将軍とMario Berti将軍であった。Mario Berti将軍は後に、1940年12月のオコンナー将軍の攻勢の開始時にシディ・バラーニで撃ち破られた時のイタリア軍指揮官となる。
 しかし「21 aprile」師団は間もなく解体され、他の3つの師団への増援と、アフリカに送られるCatanzaro歩兵師団の一部として使用されることとなった。Catanzaroは1940年晩秋までに、すでにアフリカにいたイタリア人で編成されることになっていた。……
『Rommel's North Africa Campaign』P42


 とありました。

 「21 aprile」が北アフリカで全滅、というのはやや信憑性が薄いか……?




 さらにさらに、ここも気になりました。

 第二次大戦の参戦時には34万名の国防義勇軍が前線任務に付き、フランス戦を皮切りに41個黒シャツ連隊が陸軍歩兵師団と共に各戦線で従軍した。また、1941年8月には第63黒シャツ連隊が独立部隊としてロシアに派遣され、黒シャツ部隊を持たないCSIR(ロシア派遣イタリア軍団)の『パスビオ』『トリノ』歩兵師団と共に東部戦線を転戦した。翌年同部隊は、ロシア戦線でイタリア第8軍(ARMIR)の"M"黒シャツ大隊群『タリアメント』として再編成された。さらに1943年6月に第1"M"黒シャツ機甲師団『レオネッサ』が創設され、独軍戦車36輌を装備したが訓練中に休戦となっている。
『イタリア軍入門』P248,9



 そこで『Case Blue』の黒シャツ隊ユニットを再度見てみると、確かに「タリアメント」という部隊が!

Blk08.jpg

 右側の3つのユニットも「黒シャツ大隊群タリアメント」の一部なのかどうか……? 気になります。




 その他に、第1"M"黒シャツ機甲師団『レオネッサ』という話も気になってネットで資料を集めたりしたのですが、しかしOCSで現状扱っている範囲から外れるし、もうやめておいた方がいいか……ということで放置することにしました(^_^;

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Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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