OCS『Tunisia II』の「第47歩兵連隊」ユニット

 『砂漠のキツネ』をチェックしていたら、以下のような文章を見つけました。有名な「カセリーヌ峠の戦い」をロンメルが始める直前の、同僚指揮官アルニムによるその北方(のメインであるファイド峠のさらに北の峠の辺り)の動きについてです。

 アルニムの計画に従って第10機甲師団は北のピションに向かった。夜のうちに、この要衝に奇襲攻撃をかけ、そこのフランス軍を撃破して、連合軍戦線を崩壊させるために。しかしこれは成功しなかった。そのためツィーグラー将軍は翌2月17日の作戦用として、ブーゼ大佐麾下のリューネブルク出身の第47歩兵連隊の増援を受けた。フォン・アルニムはいまでも彼らのことを《チュニスの火消し役》と呼んでいる。連隊はピションを正面から攻撃するように定められたが、16日から17日にかけてアルニムの《春風》作戦は吹き飛ばされ……
『砂漠のキツネ』P335


 謎の賞賛の言葉ですが、この箇所の情報を集積すべきか迷ったので、試しに『Tunisia II』でその第47歩兵連隊というのを大して期待もせずに探してみました。そしたら、ありました!

 ↓『Tunisia II』のドイツ軍第47歩兵連隊。

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 独立扱いの連隊で、結構強いです。なるほど、これなら賞賛されてもおかしくないかも……。


 で、興味が湧いたのでネット上でこの第47歩兵連隊について調べてみようと、「tunisia 47 infantry regiment」という検索ワードで調べてみると、アメリカ軍第9歩兵師団の第47歩兵連隊ばかりがヒットしまくる!(『Tunisia II』のユニットにもちゃんとありました) なので「-9th」とかって、マイナスワード検索すると、今度はアメリカ軍の輸送機のC-47とかがヒットする……(T_T)

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 試しに『カセリーヌ峠の戦い1943』を見てみると、戦闘序列のところ(P21)に「第47擲弾兵連隊 ブーゼ中佐」と書いてあって「おっ」と思いましたが、長々と続くカセリーヌの戦いの記述のところを目視検索してみたところでは、「47」という数値はなさそう……(「ピション」という地名が英語版ではP79とP80、日本語版ではP56とP57の2ページにわたって3箇所ほどに出てくる感じですが、そこに「第47歩兵連隊」という記述はない)。



 で、今度は『Tunisia II』の特別ルールを見てみました。すると、戦闘序列のところに「• 47 Inf Rgt (of 22 AL Division)」とありました。第22空輸師団所属……だと? 第22空輸師団と言えば、『The Blitzkrieg Legend』に入っていたのでは……と思って探してみたら、確かにその中に第47連隊がありました!

 ↓『The Blitzkrieg Legend』の第22空輸師団。

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 かつてのエントリ『TUNISIA』枢軸軍の編制2 (2014/02/13) で、↓のようにも引用しているのを発見しました。

 1943年1月中旬の「アイルボーテ(急使)Ⅰ」作戦には、新参の第47擲弾兵連隊が投入された。ブーゼ中佐に率いられたこの部隊は、前年の夏、東部戦線はクリミア半島のセヴァストポリ要塞占領で大きな働きを示し、中佐は騎士十字章を受けていた。(『チュニジアの闘い:1942~1943[上]』P77)





 ただ、『Tunisia II』のセットアップ的には、カセリーヌキャンペーンの開始時の2月15日にはこの第47歩兵連隊はマレトラインにいることになってます。『砂漠のキツネ』のように2月17日にピションに向かわせるには、いる場所が遠すぎるような気はします。ううーむ……。


 試しに「pichon tunisia 47 regiment」で検索してみると、『Das Afrika Korps: Erwin Rommel and the Germans in Africa, 1941-43』という本がヒットして、第47歩兵連隊に関して記述がありました(他にもいくらかヒットする本はあるのですが、見られる場所が狭すぎて使い物にならない感じでした……)。

 いつものように、ロンメルはこの状況を最大限利用することを決断した。彼は第10装甲師団をタラへと向かう場所にその夕刻配置し、一方第21装甲師団は山脈を迂回するように命じた。これらの動きを支援するため、ブーゼ大佐の第47歩兵連隊もピションを通過して北西へと向かい、Kessereaを攻撃するように命じられた。
『Das Afrika Korps: Erwin Rommel and the Germans in Africa, 1941-43』P216


 「Kesserea」という地名ですが、『Tunisia II』のマップにおける「Kesra」ではないかと思います。

 ↓『Tunisia II』のマップにおけるその後の動き。

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 ほぼ同様の記述でその後の動きについて、『砂漠のキツネ』にありました。

 2月21日、ロンメルは第21機甲師団に山なみを迂回させ、第10機甲師団には北のタラに向かわせて、テベサの山の関門を抜こうとしたが、第21は強力な敵と遭遇して、予定どおり第10とは合流できなかった。……増強された第47歩兵連隊は武勲にかがやくブーゼ大佐の下で強引に西方に進出し、ピションを占領、さらにその20キロ先まで長駆した。だが、そこで止まってしまった。これが2月22日、DAKの攻撃がアメリカ軍B支隊にくいとめられてしまった日である。
『砂漠のキツネ』P336,7




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 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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