OCS『Tunisia II』のルクレール将軍の部隊

 ここ2、3週間頭が働かないでいた間、思いついて北アフリカの戦いの指揮官や部隊に関して翻訳本から抜き出していくという作業をやってました。

 その中で、北アフリカにおける(自由)フランス軍部隊について、「おっ」と思う記述がありました。エル・アラメインからロンメルが退却し続け、トリポリをも放棄する頃の話です。

 その間、第三の部隊もトリポリに向っていた。ル・クレール将軍の率いる一個旅団の戦うフランス軍が、アフリカ中央部のチャド湖から次々とオアシスを奪取しながら驚異的な強行軍をつづけ、今や南からトリポリになだれこもうとしていたのだ。
『砂漠の戦争』P247


 リビアの南のチャドからフランス軍がトリポリにやってきていたのにも驚いたのですが、ルクレール将軍の部隊というのは、OCS『Tunisia II』でユニットになっていました。日本語ルールから抜き出してみます。

unit00055.jpg

(ちなみにこの「L フォース」の移動モードでの移動力は自動車化で16でした)


 ルクレール将軍について、手持ちの本で調べてみると、パリ解放の時のフランス第2機甲師団長だと。ああ~。パリ解放の時のフランス軍とかってのは何か読んだことがありますね……。北アフリカの時と比べてだいぶ部隊も立派になったということなのですね……。

 さらにとりあえずネット検索してみると、フランスの現代戦車「ルクレール」が出てきました。そうか、なんか聞いたことあるような気がしていたのは、ここからか……? しかし、戦車の名前にも採用されるほどにフランスではいい意味で有名なわけですね。

 日本語版Wikipediaでもルクレール将軍の記事は充実していました。北アフリカに関係するところを抜き出してみます。

 ロンドンでドゴール将軍と面会した後、熱帯アフリカとチャドの鎮撫を命じられ、任務に成功、1940年11月チャド軍司令官となった。1941年チャドから出撃してイタリア領リビア南部のオアシス都市クーフラ占領に成功し、同年8月准将心得を拝命した。1942年12月、3000のチャド軍[注:その多くはモロッコ人ラクダ部隊だった。]を率いてリビアに侵攻、1943年1月トリポリを占領して、エジプトから来た英軍と合流した。英軍総司令官バーナード・モントゴメリー元帥の指揮下の第8軍に編入され、チュニジア侵攻作戦に参加、同年5月には少将に昇進した。



 ネットで資料を探してみると、例えばLA PHILATÉLIE, TÉMOIN DE L'HISTOIREというページはフランス語ですが、地図とか記念切手とかの資料が?

 英語だと、『World War II: The Definitive Encyclopedia and Document Collection』という本には、「チャド湖からトリポリまで、2000マイル(約3219km)を39日間で踏破した。」とありました。

 『Watching Monty』という本には、トリポリに駆けつけたルクレール将軍がモントゴメリーに会った際、ルクレールはほこりまみれだったが非常に興奮していて、そのフランス語があまりに早口だったので、著者たち?はそれを翻訳できなかった……(で、適当なことをモントゴメリーに訳して伝えたふりをしてみててやばーな感じなところを、ちゃんと訳せる人が来て助かった)というようなことが書いてありました(^_^;

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 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。
 過去に作ったイタリア軍関係動画もどうぞ。
※リプレイ記事は練習が主になっていて、間違ったルールでプレイしてる事が多々あることにご注意下さい。気付いたものはその都度新しい記事でその事を書いてますが、古い記事に修正はほどこせていませんので……。

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