OCSのユニットで見るベルサリエリ部隊

 今回はイタリア軍の中の、ベルサリエリ部隊について。

 日本語版Wikipedia「ベルサリエリ」から抜粋。

 ベルサリエーリ(イタリア語:Bersaglieri)とは、イタリア陸軍における歩兵科のひとつ。1836年6月18日にアレッサンドロ・ラ・マルモラ将軍(it:Alessandro La Marmora)の提案によりサルデーニャ王国のピエモンテで基になる部隊が創設される。19世紀、ベルサリエーリ部隊の主な役割は偵察、先遣任務および戦列歩兵の側面支援などの典型的な軽歩兵特有の任務がその始まりであった。日本語では狙撃隊員、狙撃兵などとも訳される。……

 マルモラ将軍の提案にあったその任務を遂行するには強力に自律的な行動ができるよう求められる。従って、隊員達は敵中で孤立しても適切に行動できるように特別な訓練を受けて、堅固な意志をもって「不意を討ち、妨害し、敵の計画を妨げる」ことが求められた。外見的特徴にはヨーロッパオオライチョウの黒い羽で飾られたヘルメット、そしてパレードにおける独特の高速行進がある。


 英語版Wikipedia「Bersaglieri」には上記に加えて以下のような記述もありました。

起源と歴史
 比較的貧しかったサルディニア王国は大規模に騎兵を持つ余裕がなく、そのため素早く移動する射撃兵の歩兵部隊が必要であった。これらの部隊は身体能力と射撃能力の水準が高くなるように訓練された。彼らは隊形を組んでなくても作戦行動を行えるようにするために、フランス軍の猟兵のように高いレベルでの独立性と自発性を持つようにされており、その結果として直接指揮を受けなくても戦うことができた。……


第二次世界大戦
 イタリアは第二次世界大戦の開始時に、ベルサリエリ12個連隊を持っており、それぞれは3個大隊で構成されていた。それまでの数年間にベルサリエリはその質を薄めるようにという提案に抵抗してきており、依然として平均を上回る体格とスタミナを持つ者を採用し、激しい身体的訓練に耐え、狙撃兵としての質を維持していた。第二次世界大戦中にもさらに第18ベルサリエリ連隊が3個大隊構成で編成されたが、うち実際に戦闘をおこなったのは1個大隊のみであった。




 「ヨーロッパオオライチョウの黒い羽で飾られたヘルメット」というのは以下のようなものらしく……(すべてWikipediaから)。

 ↓現代のベルサリエリ兵。
Italnato2


 ↓北アフリカの戦いでのベルサリエリ。
Bundesarchiv Bild 101I-783-0119-23A, Nordafrika, italienische Krad-Fahrer


 ↓ロシア戦線でのベルサリエリ(1941)
1941. Итальянские мотоциклисты-берсальеры в пригороде Сталино



 かなり大きな羽根っぽいですが、基本的に必ず付けている?

 今回画像検索していて気付いたんですが、私がかつて関わった『SLGamer Re:informence vol.1』の表紙ってベルサリエリだったんですね……全然分かってませんでした(>_<)


スクリーンショット_160405_144

『SLGamer Re:informence vol.1』に関してはSLGamer RE:再評価されるべきイタリア(2013/09/07) で書いてました。中の記事「再評価されるべきイタリア、そしてイタリア軍の悲劇」をそちらで公開していますので、それもどうぞ(*^_^*)



 ベルサリエリに関して、Google Booksで見つけた資料には、こんなものもありました。

 特徴的なおんどりの羽根飾りをヘルメットに付けていることで知られるベルサリエリはイタリア軍における精鋭部隊であると見なされていた……ほとんどの場合イタリア軍の標準的な部隊よりも火器と装備に優れており、ベルサリエリはしばしば連隊規模で機械化部隊に配属されたり、オートバイ部隊や自転車部隊として編成された。
『Encyclopedia of Elite Forces in WWII』P121




 『イタリア軍入門』には以下のようにありました。

 ベルサリエリの意味は「狙撃兵」だが、近代では"自動車化歩兵部隊"の役割を担った。……

 第二次大戦でベルサリエリ部隊は機械化され、SPA41装甲車やL6軽戦車も配備して高い機動力を有した。これらの部隊は陸軍機甲/自動車化師団に分散して配属されてバルカン、アフリカ、東部戦線と全戦線で投入され、ロシアでは1941年に『アオスタ候』快速師団所属の第3連隊はスターリノ占領にも貢献。1942年には第6連隊も加わり、ドンからドネツにかけての攻防戦を繰り広げている。
『イタリア軍入門』P236



 "自動車化歩兵部隊"とあるのですが、OCSのユニットで見ていくと『Tunisia II』『Sicily II』では全く自動車化されていない、単なる歩兵であるようなユニットもあります。ただそれは、それまでの戦いでトラックやオートバイなどを失ったが故に「単なる歩兵部隊」となるしかなかったからかも?



 ということで、いよいよOCSユニットで見ていきましょう。OCSのベルサリエリ部隊には兵科マークの左側に「Brs」の文字が入っています。

 まずは『Case Blue』から。

Bersaglieri01.jpg

 アオスタ候快速師団中の、第3ベルサリエリ自動車化歩兵連隊、第47ベルサリエリオートバイ歩兵大隊、第67ベルサリエリ軽戦車大隊、第6ベルサリエリ自動車化歩兵連隊……ということになりましょうか。

 ベルサリエリも含めてアオスタ候快速師団の各ユニットはARが高くて非常に頼もしいです。47BrsはAR5ですし、軽戦車大隊(と砲兵)を除けば基本的にARは4あって、当時のソ連軍には引けを取らない質の高さを誇っています。



 ↓『DAK-II』のベルサリエリユニット。『DAK-II』特有の「部隊名の一部が印刷されていない(>_<)」問題により、第10ベルサリエリ連隊と第57ベルサリエリ大隊には「Brs」の文字が抜けているのですが……(T_T) 第9ベルサリエリ連隊が2つあるのは、途中で(完全自動車化されて)置き換えられるためです。アリエテ戦車師団のユニットも途中で置き換えるのがたくさんありますが、全部まとめて貼ってあります。

Bersaglieri02.jpg
Bersaglieri03.jpg
Bersaglieri04.jpg
Bersaglieri05.jpgBersaglieri06.jpg
Bersaglieri07.jpg


 『Rommel's North Africa Campaign』にはP35~39にかけてベルサリエリに関する長いコラム記事があり、そこで結構詳しく(特に北アフリカにおける)ベルサリエリについて書かれています。以下、細切れに説明を加えていきます(分かりやすくするために順番が前後していることがあります)。

 まずベルサリエリ全般について。

 ……【第一次世界大戦時の参謀長である】Diazの見解では、彼らは「快速師団のための自転車部隊として、強襲部隊のための要員として用いられる」べきであるということだった。
 ……
 これらの機動部隊によって、イタリア経済と戦争産業の弱点が露呈した。1939年のイタリアには29万台の車が登録されていた(112人に1台の割合)に過ぎず、これは一つには他国より燃料代が高かったことが原因であったが、そのために運転技術や機械に関する知識のある、機動部隊に適した人材がほとんど育たなかったのであった。しかしそれにも関わらず、ベルサリエリは(アルピニ部隊と同様に)質の高い下士官に恵まれており、それはイタリア軍の中では希有なことであった。





 次に北アフリカにおけるベルサリエリ。

 北アフリカでは6つのベルサリエリ連隊が戦い、さらに特にエル・アラメイン戦後に中隊レベルの小さな部隊がいたが、第8ベルサリエリ装甲車大隊【トリエステ】のような独特な、装甲車や捕獲車両に乗っていた部隊もあった。


 「中隊レベルのベルサリエリ」ですが、『DAK-II』には4つのベルサリエリ中隊ユニットが入っていますが、その登場時期を調べてみるとエル・アラメイン後ではなくむしろ最初から~最初期に登場していました(「ProvBrs」も含めて)。

 具体的には、22Brsと61Brsはキャンペーンの最初のグラツィアーニ攻勢(1940年9月)の時にはすでに戦場にいます。『DAK-II』のルールブックのVol.IIに収められているヒストリカルノートにはマニアックな歴史的項目が詳細に紹介されていて、その中にはベダ・フォムで壊滅的打撃を受けるまでのイタリア軍に関するリサーチのようなもの(Italian Raggruppamentos:P18)もあるのですが、そこには「the 60th Brs Motorcycle Company」という部隊名が出てきて、これはユニットの61Brsと同一なのか異なるのか……?

 11月19日ターンにProvBrs(臨時ベルサリエリってこと?)がベンガジで編成されますが、もしベンガジがすでに陥落していたら出てきません(史実ではトブルクが陥落したのも1941年1月22日のことですから、よほどでなければ大丈夫そうですが……)。

 その後1940年12月1日ターンに第10ベルサリエリ連隊が増援として到着。12月26日ターンにまたベンガジで201Brsと202Brsが編成されます(これももしベンガジが占領されていたら出てきません。史実でのベンガジ占領は1941年2月5日)。



 イタリアは第二次世界大戦に入った時に12個ベルサリエリ連隊を持っており、それらは全戦場に送られたが、うち半分が北アフリカに配備された。
第5【チェンタウロ】、
第7【『DAK-II』では独立だが、英語版Wikipediaではトレント】、
第8【アリエテ】、
第9【『DAK-II』では独立だが、英語版Wikipediaではトリエステ】、
第10【独立】、
第12【リットリオ】連隊
がそうである。これは北アフリカでの戦いをイタリアが重視していた証拠である。戦争が始まった時にはアフリカにはベルサリエリ連隊はいなかった。機動部隊のように、ベルサリエリは本土に集められていたのである。



 次に、少なくとも連隊規模のベルサリエリとしては北アフリカに最初に来たと思われる第10ベルサリエリ連隊について。

 ……第10ベルサリエリ連隊の場合には、1940年にアフリカに到着した時には「火消し部隊」のようにして用いられた……というのは、彼らは自信に満ち、良く訓練され、実戦の準備ができた兵士達であったからであった。……


 実際にどう活動したかですが、英語版Wikipedia「Babini Group」によると第10ベルサリエリ連隊はバビーニ戦闘団に所属し、

その北では1月25日、第2/11オーストラリア大隊はデルナの航空基地で、第60サブラサ師団およびバビーニ戦闘団の第10ベルサリエリ連隊と交戦し、その徹底的な抵抗によって前進を遅らされた。第2/11オーストラリア大隊はイタリア軍の爆撃機と戦闘機からの攻撃を受けたものの、デルナ航空基地とSiret el Chreibaの高地を攻撃した。第10ベルサリエリ連隊は野砲と機銃でその平坦な土地を先に確保し、オーストラリア部隊をその目標の手前2,700mのところで阻止した


 デルナの場所については、↓の動画の後半を見てもらうとよいかもです。



 英語版Wikipedia「Babini Group」の前掲部分の注(リファレンス)には、『To Benghazi』という1952年出版の本のPDFファイルへのリンクが張られており、この本が全部読めます。その中の「Chapter 10 – The Engagment at Derna」の中に、このデルナでの戦闘のカラーの詳しい地図がありますので、見てみて下さい。ただこの地図の中には、デルナの西方に第12ベルサリエリ連隊がいるんですが、これは……?

 当該PDFで「Bersaglieri」で検索してみると一箇所だけ引っかかり、そこには以下のように書かれています(P262。オーストラリア軍から見た視点で書かれている本なのでこういう表現に?)。

第10ベルサリエリ連隊の自動車化大隊は、デルナとジョバンニ・ベルタからの退却の間、第60師団の後衛を形成していたようだった。



 その後、1月26日には……

デルナワジの北の端では、砲兵支援を伴った大胆な反撃がバビーニ戦闘団の第10ベルサリエリによって平坦な土地を横切って行われ、その朝の報告によればバビーニ戦闘団が南翼周辺を攻撃中であり、デルナへのオーストラリア師団の前進の継続は阻止され、ベルサリエリは40人の戦死者と56人の捕虜を出した。

 この部分の注釈の参照先は手持ちの『Beda Fomm:the classic victory』だったので見てみると、以下のように書いてありました(P127)。

26日の夜に彼らは激しい反撃を受けたが、それはいつもの砲兵砲撃だけでなく、第10ベルサリエリ歩兵部隊が平坦な地を大胆にも横切って100名の損害を出しながらも行われたものだった。だがそれはオーストラリア師団を躊躇させ、デルナへの前進を中止させることになり、また同時に、南翼でM13戦車が押し寄せ包囲されそうだという知らせがもたらされた。



 その後27日にはデルナの西南西Chaulan(前記地図の西端)からイギリス軍に包囲されそうになったベルゴンツォーリ将軍は撤退を命令し、2月5日のベダ・フォムの戦いに至ります。

 その最初の車列がベダ・フォムの周辺に到達すると道路を横切って埋設された地雷原に入り込み、クーム部隊の砲兵、対戦車銃、装甲車によって攻撃を受け始めたので、隊列は混乱に陥った。第10ベルサリエリの幾人かが道路の向こうに前進してみようとしたり、あるいは他の数名が側面に回ろうとしてみた。……彼らの行動は砲兵支援を受けていなかったためうまく行かなかったし、そもそもベルサリエリ連隊兵士のほとんどは後衛として北方にいたのである。


 La Batalla de Beda Fomm - 07/02/1941.の最初の地図を見ると、ベダ・フォムの戦いの時第10ベルサリエリ連隊がその北方にいたことが分かります。

 『DAK-II』ヒストリカルノートの「第1リビア機甲師団」という項目(P19)には、イタリア軍はバビーニ機甲旅団と第10ベルサリエリ連隊と第12砲兵連隊と臨時オートバイ大隊を合わせて第1リビア機甲師団なるものを作るつもりだったのだけども、第10ベルサリエリ連隊がバビーニ旅団と合流しようとしていたのにそのトラックが奇襲を受けて【ベダ・フォムで?】、結局師団は編成できなかった……けどもプレイヤーがもしそれに成功したら、その師団を作ってみるのもいいね、という風に書かれていました。


 と、第10ベルサリエリ連隊に関しては色々調べてみたのですが、他の連隊は『Rommel's North Africa Campaign』の記述だけでもってさらっと。

 その後、アリエテ戦車師団【第8】とトレント自動車化歩兵師団【第7?】の到着に伴い、さらに2つのベルサリエリ連隊が到着。これらの部隊は【第10ベルサリエリ連隊と?】同じ装備や車両を持っていたのだったが、訓練度や将校の質においてより優れており、オコンナー将軍の前でグラツィアーニ将軍が後退していくのにも意気消沈することなく、キレナイカでのロンメルによる最初の限定攻勢に参加した。彼らの果たした役割の記録はあまり残っていないが、これらの連隊は北アフリカ戦役の全期間で活動したのだった。

 さらに、第9連隊が1941年8月26日にアフリカに到着した。この第9ベルサリエリ連隊はXXVIII大隊、XXX大隊、XXXオートバイ大隊、それにXL重火器大隊より構成されており、トリエステ自動車化歩兵師団に配属された。第9連隊は1941年11月26日と27日【クルセーダー作戦中】にベルハメド(Belhamed)で素晴らしい戦いを見せ、同じ時期に第8連隊はビル・エル・グビと地点175での戦いに参加していた。

 1942年5月24日【ガザラの戦い中】に発動されたヴェネツィア作戦中には、第7ベルサリエリ連隊はXXI軍団の配下にあり、第9連隊は第X軍団に割り当てられていた。この時にリットリオ戦車師団が、第12ベルサリエリ連隊を伴ってアフリカに到着した。





 次に、チュニジア戦の期間中の話になりますので、『Tunisia II』のユニットを。

Bersaglieri21.jpg
Bersaglieri23.jpg
Bersaglieri22.jpg



 『Rommel's North Africa Campaign』によると……。

 第5連隊はトーチ作戦終了後の1942年11月にチェンタウロ戦車師団と共に、第XIV大隊と第XXII大隊がトリポリタニアに、第XXIV大隊がチュニジアに送られた。1943年1月には全3個大隊がチュニジアにあったが、ドイツ軍によってしばしば別々の部隊として配置された。それはカセリーヌ峠でのアメリカ第II軍団に対するロンメルの作戦で第XIV大隊に協力した。その後、1943年3月にはこの連隊はEl Guettarに配置された。その頃、第7連隊も第XII大隊を再建(エル・アラメインで壊滅していた)して、チェンタウロ師団と共にEl Guettarで戦った。第7連隊は1943年4月26日に解体された。エル・アラメインの後、第8連隊のベテラン兵達は再建されたX、XI、LVII大隊と共に若きファシスト師団に配属された。

 最後に、再建された第10ベルサリエリ連隊が第XXXIV、第XVI、第LXIII大隊の構成でチュニジアに到着し、ビゼルトにおいて橋頭堡を守備するために配置され、後にはフォン・マントイフェル師団に配属された。最近出たあるフォン・マントイフェル将軍の伝記にはこう書かれている。
「我々のベルサリエリ連隊はすんでのところで完全に壊滅させられるところだった。彼らは最後の最後まで抵抗した。」

 この連隊はまた、連合軍によるDouar Chemtiへの上陸作戦への反撃にも使用され、成功を収めた。彼らは第5連隊と共にこの戦役を終え、その時彼らは500~800名程度になっていた。

 北アフリカにおけるこれらベルサリエリ連隊に関して、歴史家の注意はほとんど向けられて来なかった。イタリア軍の質は上から下までバラバラであったが、ベルサリエリはその長期戦役からの疲労も考えに入れれば、その精強さにおいて優れた水準を維持していた。自動車化部隊として(機甲師団の歩兵戦力同様に)行動する中で、彼らは砂漠における戦いをすぐに習得したのであった。



 「連合軍によるDouar Chemtiへの上陸作戦」というのは、↓の地図にあるものだろうと思います。

Tunisia Campaign operations 25 November to 10 December 1942

 『Tunisia』では史実でのこの上陸作戦は実行不能だったのですが、『Tunisia II』ではオプションルールで試みることが可能になりました。



 最後にシチリア戦におけるベルサリエリ。『Sicily II』から。

Bersaglieri24.jpg

 これ一個だけです(『Sicily』でも同様です)。第207沿岸防衛師団の中の第117ベルサリエリ連隊というのですが……。

 しかし、『コマンドマガジン第68号』P15 『シチリア侵攻作戦』ユニットガイドでは以下のように書かれています。

(第10ベルサリエリ連隊)
BER:狙撃兵〔Bersaglieri〕
 この部隊名を持つ多くの部隊は通常、充分な訓練を積んだものでしたが、シチリアでは大半が訓練途上であるか、過去に壊滅して再編成されたばかりでした。



 こちらでは「第10ベルサリエリ連隊」となってます。で、どういうことなのかなといくらか探してみたのですが、資料によってどちらかの名前になっているだけで、詳しいことは分からず……。『Sicily and the Surrender of Italy』では117 Brsとなってましたが、その名前が出てくる箇所が1ヶ所しかなくて何の説明もないんですよね……。

 まあ第10ベルサリエリ連隊はチュニジアでほとんど壊滅寸前までいったらしいので、第10ベルサリエリ連隊が再建途上のものであったが、同部隊は第117ベルサリエリ連隊と呼ばれることもあった、とかそういう感じなのでしょうか。


 しかしともかくも、イタリア軍の中でも優秀な部隊であったらしいベルサリエリですが、OCSでも最初のうちはARが高く部隊も豊富なのが、『Tunisia II』、『Sicily II』あたりになってくると損耗しまくってAR4が珍しくなり、また部隊数も減ってくるという感じでしょうか……(T_T)

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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ゲームをしないウォーゲーマー……でしたが、最近はOCSだけはひたすらプレイしたり情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになりつつありますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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