OCSのユニットで見るセモベンテなどイタリア戦車ユニット
『コマンドマガジン第68号』の2つのユニット記事には両方とも、セモベンテ突撃砲(対戦車自走砲)装備のユニットに関しての項があります。
↓そのユニットの『Sicily II』のもの。「AG」とあるのは「Assault Gun(突撃砲)」ってことです。「Bedo」は「Bedogni(ベッドーニ)」。

■セモベンテ対戦車自走砲
(SEMOVENTE da90/53)
……90ミリ高射砲を載せた泥縄式対戦車自走砲(無理やり過ぎて砲弾を搭載するスペースは無かった)。42年4月生産開始なのにわずか30輌しか完成せず、全てベッドーニ大佐の第10自走砲連隊に配備されてシチリア戦が最初で最後の活躍の場となった。ブサイクな見た目とは異なりシチリアでの待ち伏せ攻撃には打って付けで、メッシナまでの遅滞戦闘の功により自走砲中隊長の一人が独軍から騎士十字章を授与されている。最終的に6輌がカラブリアへの撤収に成功している。
……
『コマンドマガジン第68号』P26 ユニットよもやま物語
Sem:突撃砲〔Semovente〕
この部隊はイタリア軍の優秀な突撃砲で構成されていました。
『コマンドマガジン第68号』P15 『シチリア侵攻作戦』ユニットガイド
セモヴェンテ da 90/53というのは↓こちら。

Wikipedia セモヴェンテ da 90/53から
「セモベンテ」がイタリア語で「自走砲」を意味する一般的な用語に過ぎないことは知ってましたが、私が知っているセモベンテは↓のようなもので、他に色々あることを分かってませんでした。

Wikipedia セモヴェンテ da 75/18から
Wikipedia セモベンテから、様々なセモベンテのページに飛べます。
セモヴェンテ da 90/53はWikipedia上でも褒められていますが、『Sicily 1943』でも高評価でした。
シチリア戦における最良のイタリア軍装甲戦闘車両がこのSemovente 90/53で、かの90mm対空砲をM14/41戦車の車体に載せて対戦車自走砲としたものでした。第10セモベンテ戦闘団は2ダースのこの車輌を3つの独立部隊に編成していました。
『Sicily 1943』P19
90mm対空砲については↓こちら。
Da 90/53
『イタリア軍入門』には以下のように書かれていました。
第二次大戦中にイタリア軍が運用した対空砲の最高傑作で、ドイツ軍の8.8cm高射砲にも匹敵する優れた性能を誇った。アンサルド社によって1939年に試作第一号が製作され、その後、固定陣地型、機動運搬型、車輌搭載型等などが製作された。それらの中で恐らく最も有名なのが、イタリア軍最強の対戦車自走砲、セモベンテM41Mda90/53に搭載されたことであろう。
……
ドイツ軍は、本砲を北アフリカで拝借して使用しており、そこでの評価は非常に高かった。イタリア休戦時には、本砲も捕獲すべき兵器として高い順位が与えられ、それだけでなくドイツ軍は工場を接収し、その後は自軍向けに生産を続けさせたほどだった。
『イタリア軍入門』P162
できればこのベッドーニ大佐の第10自走砲連隊について詳しいことが知りたいと思って色々探してみたのですが、何も見つけられず……(T_T)
しょうがないので(?)他のOCSゲームにおけるセモベンテ、のみならず他のイタリア軍戦車ユニットについても見てみようと思います。時代順に『DAK-II』、『Tunisia II』、『Sicily II』の順で。
↓『DAK-II』のイタリア軍戦車ユニット。


赤に「Lt(Light)」というのは軽戦車で、L3/CV33などの豆戦車装備の部隊だと思います。黄色の普通の機甲の兵科マークが付いているのはM13/40などの中戦車。赤に「AG」とあるのがセモベンテでしょう。
『Viva! 知られざるイタリア軍』には以下のように書かれていました。
北アフリカ戦が激化した1941年暮れには、第132『アリエテ』機甲師団の2個自走砲集団に待ち望まれた60輌の【セモヴェンテ】M40 75/18自走砲が到着。その後『リットリオ』『チェンタウロ』機甲師団や『スペルガ』『リボルノ』歩兵師団等にも配備された。1942年1月後半から始まったベンガジ再奪還作戦にも参加し、初陣では75mm砲が威力を発揮、英軍は数日で340輌もの戦車を損失した。6月に『アリエテ』機甲師団は、ビル・エル・ハルマット西方陣地でM40自走砲を効果的に使用し、英軍は120輌の戦車を放棄して退却した。
その後、枢軸軍はエル・アラメイン西方で陣地を築き、兵力増強した英軍は10月23日に反撃を開始。キドニー高地では独第15装甲師団や伊『リットリオ』機甲師団と英第1機甲師団との間で激しい戦闘が25日まで続いた。この時、同高地のイタリア陸軍第554自走砲部隊は、その75mm砲でシャーマン戦車を含む敵戦車を一晩で20輌撃破する大戦果を挙げ、一時的に英軍の進撃を食い止めたのであった。
数少ない配備数の自走砲ではあったが、1943年5月の独伊アフリカ軍団の降伏まで粘り強く戦った。脆弱な足回りや装甲が危惧されたが、大口径砲の威力を活かして砂漠の戦車キラーとして活躍したのである。
『Viva! 知られざるイタリア軍』P165,166
↓『Tunisia II』のイタリア軍戦車ユニット。



スペルガ師団に多数の突撃砲装備ユニットがあって、しかも師団マーカーが「突撃工兵」マークになっているのが目を引きます。スペルガ師団はどうも、元は山岳歩兵師団だったようですが、その後強襲上陸師団として再編されたらしいので、そこらへんの絡みでしょうか……(OCS Wikiに書き込み始めましたを参照)。
↓『Sicily II』のイタリア軍戦車ユニット。



中段のものは第206沿岸防衛師団のうちの1ユニットです。
「Mx」とあるのは「Mixed」の略で、様々な車両から成っていたということになります。
『Sicily 1943』によると……↓
注1:イタリア軍参謀総長から、1943年2月にシチリア島のイタリア第6軍の指揮官に任命される。シチリア島の防御態勢の改善に努めたが、5月下旬にグッツォーニと交代した。北アフリカでの大きな損害のため、シチリア島のイタリア軍には機甲師団が存在しなかった。戦車戦力は全部で148輌が2個大隊を構成し、それに約100輌のフランスからの戦利品であるルノーR-35歩兵戦車に、時代遅れのFiat 3000軽戦車の独立中隊2個、および旧式のL.3タンケッテの部隊がいくつかあった。他に68輌のセモベンテがあり、セモベンテ47/32軽突撃砲の充足していない大隊が4つと、セモベンテ75/18中突撃砲の中隊が新たに到着し、それから新型のセモベンテ90/53対戦車自走砲が24輌であった。また、AB.41装甲車を装備した騎兵中隊が多数あった。
イタリア軍歩兵師団のほとんどが機動力を持たないのとイタリア軍の戦車戦力の乏しさのため、ロアッタ将軍【注1】は自身のわずかばかりの機甲部隊を集めて機動戦隊を編成し、上陸作戦に対する反撃戦力とせざるを得なかった。それらの部隊は空挺降下作戦に対抗するために航空基地の近くに配置された。機動戦隊は基本的に戦車1個中隊と牽引対戦車砲1個中隊、それに使用可能なだけの歩兵中隊、オートバイ部隊、砲兵部隊から成っていた。7つの機動戦隊が編成され、機動戦隊AからCが第12軍団麾下でシチリア島西部に、機動戦隊EからHが第16軍団麾下でシチリア島東部に配置された。これらの機動戦隊は火力と機動力は優れていたが歩兵戦力が弱体であり、これらに加えて歩兵反撃戦力としての補完の戦闘団が編成された。こちらは基本的にベルサリエリか、他のエリート軽歩兵大隊で編成されていた。2つの軍団は各4つ戦闘団を持っていた。
『Sicily 1943』P20
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