OCSのユニットで見る黒シャツ隊
『シチリア侵攻作戦』が付録ゲームに付いた『コマンドマガジン第68号』には2つもユニット紹介の記事があり、大変面白いです。その両方の黒シャツ隊のユニット紹介から抜粋します。
戦前には、黒シャツ隊が攻撃を先導することを期待されていましたが、彼らの政治的な熱情にもかかわらず、装備と訓練の両方を完全に欠いていることがすぐに明らかになりました。シチリア戦当時には、彼らの士気は最低の状態にありました。
『コマンドマガジン第68号』P15『シチリア侵攻作戦』ユニットガイド
……伊ファシスト党がWW1時の伊軍精鋭部隊「突撃隊(Arditi)」の制服が黒であった事から「黒シャツ隊」を組織し、街頭闘争に利用した。ファシスト党が政権を獲ると日和見主義者が大量入隊し、国軍への牽制の意味も込めて大規模な民兵部隊となった(ナチ突撃隊の元祖だがあちらと違い、粛清されて軍に吸収される事もなく、国軍への圧力団体として生き続けたのが運の尽き)。党の尖兵としてスペイン内戦以来、伊軍あるところ常に黒シャツ隊あるも、正規の軍事訓練を受けていない彼が近代戦に耐えられるはずもなく、その脆弱さはどの戦場でも伝説的であった。……伊沿岸防御(CD)師団にも多数のCCNN隊員が配属されており、その多くが40、50歳代の老兵だった。
『コマンドマガジン第68号』P27 ユニットよもやま物語
正直私、黒シャツ隊ってなんだかまったく分かってなかった(黒いシャツを着て、Niftyの歴史フォーラム仲間と「黒シャツ隊だ~」とか盛り上がっていたことが若い頃にあったりしたのに)のですが、この両記事で大変興味を持ちました。
OCSのユニットとしての黒シャツ隊ですが、実は私がこれまでに良くやっていた古めのOCSゲームである『Tunisia』(1995)や『Enemy at the Gates』(1994)では兵科マークに「Blk」と書かれていることによって識別されるのみでイタリア軍と同じユニットカラーだったのですが、最近やった『Sicily II』(2016)や『Case Blue』(2007)、『DAK-II』(2004)などでは通常のイタリア軍とは少し違ったユニットカラーになっていて、通常のイタリア軍とは別もの扱いになっています。調べてみると、2000年発売の『Sicily』からそのように変更されたようです。
Wikipediaの「黒シャツ隊」などを見ていると、「陸海空軍・カラビニエリに次ぐ「第5の軍」となった」という風に書いてあり、ドイツ軍における親衛隊のようにムッソリーニの私兵的扱いであったらしい(他の軍はイタリア国王に属している扱いだった)ので、別の色にした方がより良いのでしょうね。
以下、Wikipediaから。
……ファシスト党の政権獲得後は「国防義勇軍(Milizia Volontaria per la Sicurezza Nazionale、MVSN)」と改称され、陸海空軍・カラビニエリに次ぐ「第5の軍」となった。更に大戦前夜に兵員充足の一環として陸軍へ編入されて各戦線へ投入され……
黒シャツ隊の隊員は多くの退役軍人を中核としたが、農民や運動に共感した政治家、それに反共主義を利益と見た小地主なども加わっていた。
国防義勇軍は主に国外問題を担当する陸海空軍、国内問題を担当する警察軍に対して、青少年・中高年といった正規軍の兵役年齢と合致しない層を予備戦力として訓練する事を目的とした。従って従来の退役兵だけでなく単純に党青年団の少年志願兵や中高年の民兵なども合流、1936年までに14個師団・133個連隊を編成した。
1939年10月、資金不足から悪名高い2個連隊制度(半師団)制度が常態化していた陸軍に対して、ムッソリーニは陸軍と国防省の反対を押し切って陸軍と国防義勇軍の統合を宣言した。師団規模の部隊に関してはそのまま「義勇師団」の名称・兵科で配属され、更に戦力不足の師団には「義勇兵連隊」が補充兵として配置された。しかし兵員の質に問題がある事に加え、指揮系統や装備の違いが完全には是正されなかった事で義勇兵の存在はしばしば陸軍内の弱点となった。この事はスペイン派兵で正規兵からなる「リットリオ旅団」に比べ、残りの義勇兵からなる3個旅団が戦意に問題があることを露呈した事でも明らかであった。
また、『Rommel's North Africa Campaign』P39~42には黒シャツ隊(CCNN)に関するコラム記事があったので、そこから。
黒シャツ隊の兵士達は志願兵であり、27歳から36歳までの間のファシスト党のメンバー達で、少なくとも黒シャツ隊に10年間は所属することが義務づけられていた。……
その時の計画によれば、陸軍の各師団は1個黒シャツ大隊を持つこととなっていた。実際には、師団の半分のみがそれを配属された。書類上では黒シャツ大隊は突撃隊(第一次世界大戦において高度な訓練を受けていた強襲部隊)を模倣して編成されたものとされていたが、実際には特に良く訓練されたというわけでもないただの軽歩兵に過ぎなかった。だが、彼らは(そうであることを期待されていたわけだが)熱狂的かつ好戦的であり、前線部隊の攻勢作戦の支援のために用いられた。
……
しかしながら、エチオピア戦争においては黒シャツ大隊はその時限りの師団部隊としてまとめられ、これは宣伝目的には特に適していた。……
……
植民地での良好な結果が、国防義勇軍の名声を高めた。1936年には132レギオン【連隊相当】が配置され、それぞれは2個大隊を有していた。その2個大隊のうち1つは21歳から36歳までの民兵からなる現役部隊で、もう1つは40歳から55歳までの地域張り付け部隊であった。他に交代要員の大隊や他の支援部隊もあった。
前線で戦う兵士として適格であるのは20~25歳くらいらしいので、年齢的にも役に立つのは難しかっただろうなという印象を受けますね……。
黒シャツ隊はファシスト党の尖兵として、暴力的な行為をおこなっていたと思われる(黒シャツ隊の前身的な者達はそういうことをやっていた記述を見つけている)のですが、黒シャツ隊そのものずばりが具体的にどんな暴力行為をやっていたかという記述を探したものの見つけられませんでした……。英語版Wikipediaの「Blackshirts」に、「彼らの手法はムッソリーニの権力が増大するにつれてより荒々しくなり、彼らはムッソリーニの敵対者達に対して暴力や脅迫を使用した。」というのを見つけられたぐらいで……(具体的な例を見つけられた方は教えて下さい)。
試しに、新しめのゲームにおける黒シャツ隊ユニットと、古いゲームにおける黒シャツ隊ユニットを比べてみます。比べて見ると新しめのゲームで黒シャツ隊のユニットカラーになっていても古いゲームでBlkと書かれていないものもあり、また相当するユニットが見つからないものもあります。
↓『Tunisia II』の黒シャツ隊(右側の少し色の違うユニット3つ)。GGFFというのは「青年ファシスト師団」で、うち1個連隊が黒シャツ隊だったということなのでしょう。

↓『Tunisia』の黒シャツ隊ユニット(兵科マークに「Blk」と書いてあるもの)。『Tunisia II』とかなり違っている気がします。GGFFに黒シャツ隊ユニットがありませんし、『Tunisia II』にあった「1」というユニットは見つけられませんでした。




↓『Sicily II』の黒シャツ隊。

↓『Sicily』の黒シャツ隊。カウンターシート上にばらばらに存在しているのでまとめて……。師団の中に大隊単位で振り分けられていますが『Sicily II』では師団は複数ステップユニットになったので。あとGも戦力が低いからから削られています。

↓『Case Blue』の黒シャツ隊。

↓『Enemy at the Gates』の黒シャツ隊。戦闘工兵は実は黒シャツ隊だった……? ARが『Case Blue』では下がってます(^_^;


↓『DAK-II』の黒シャツ隊。


『ムッソリーニの戦い』P39によれば、グラツィアーニ攻勢の直前にグラツィアーニがムッソリーニに送った報告にはこのようにあったそうです。
リビア東部国境はいかなる観点からしても、非常に憂慮すべき状態にある。軍需資材が不足し、兵員は敵の優勢を恐れ、士気が著しく低下し、組織力を欠いている。(ある将校の供述によれば、とくにファシスト義勇軍【黒シャツ隊】と正規軍の間で相互に恨みを抱いていることが指摘される。)
『DAK-II』のユニット名称は「印刷機の関係で(とルールブックに書いてある)」省略されていることがままあり、本来「23」とあるのは「23 Mar」、「28」とあるのは「28 Oct」とあるべきだと思われます。これらの師団に関して、『Rommel's North Africa Campaign』では、「これらの黒シャツ隊は、1940年12月から1941年1月にかけてのイギリス軍の攻勢によってリビアにおいて蹂躙され、再建されることはなかった。」と書かれています。ところが……。
黒シャツ隊の師団はWikipeida「黒シャツ隊」にあるように、第二次エチオピア戦争の際に6個作られたのですが、それはおいとくとして、後にリビアにうち第1黒シャツ師団「3月23日」、第2黒シャツ師団「10月28日」、第4黒シャツ師団「1月3日」が新たに編成されて送られました。「1月3日」はイタリア語だと「3 Gennaio」となり、『Case Blue』にも『Enemy at the Gates』にも「3 Gen」というユニットがあって、それは「1月3日」なのだと思われます。「3月23日」はイタリア語では「23 Marzo」で、「23 Mar」の略称は英語と同じですが、そのユニットも両方にありますね。
Google Booksで読める『The Organization and Order of Battle of Militaries in World War II Volume IV Italy and France』という本のP166(Google Booksで「blackshirts division」で検索して出てきました)には、「3月23日師団は42年に再建された」とあります(どこに送られたとは書いてない)。しかし、「1月3日」の方にはそういう記述はない……。他の色々な資料では、そもそもそれが再建されたということは私は見つけられませんでした。
ちなみに、「3月23日」というのは1919年3月23日にイタリアのファシスト党が設立されたことに由来し、「10月28日」というのは1922年10月28日のローマ進軍に由来し、「1月3日」というのは1925年1月3日にムッソリーニがイタリアの議会を掌握したことに由来しているそうです。
黒シャツ隊ユニットのARは1が普通で、まれに3があるという感じですが、『Case Blue』等に出てくる黒シャツ隊はARが全部3で、「弱い」とまではいえません。『Rommel's North Africa Campaign』には以下のように書いてありました。
他の黒シャツ隊として、「M」の名で彩られた大隊(Mというのはムッソリーニを表している)が1941年に編成されている。これらの部隊は、戦闘において目覚ましい働きをした黒シャツ隊であった。それゆえ、戦争後期にはイタリア本土においてさえも【ムッソリーニの失脚後であったにも関わらず】、「M」の印を付けたいくつかの部隊が存在した。
多くの学者によれば、第二次世界大戦における黒シャツ隊の能力は、ドイツの同等の部隊に比べて一般的に常に劣っていたが、しかしロシアに送られた黒シャツ隊は唯一の例外であったという。このことによってやや評価は上がるものの、黒シャツ隊の装備と訓練は、その組織構造と同様に、ドイツ軍部隊のそれよりも平均的に劣っていたということを忘れるべきではない。
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