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シチリア戦におけるパレルモ攻略

 OCS『Sicily II』の臨時軍団司令部って? (2016/10/27) で書いてました、第2機甲師団をメインとする臨時軍団麾下のパレルモ攻略の流れについて。

 メイン資料は『Sicily and the Surrender of Italy』で。Kindle版59% - 位置No.6137以降です。




 とりあえずまず、「臨時軍団は戦区として、Highway 121(を含まない)より南西を割り当てられた」とあります。「Highway」というのは調べたところ、イタリア語でStrada statale、「幹線道路」というような意味らしく、Googleマップでシチリア島を見てみると、道路上に「SS121」という風に表示されています。

 今後、「幹線道路121号」という風に表記しようと思いますが、この幹線道路番号はシチリア戦に関する文献を読んでいると良く出てくるのですが、『Sicily II』のマップ上には表記されていない……。『Sicily』には赤い小さな字で表記されています。

 ↓『Sicily』のマップ(OCS『Sicily II』シナリオ1「シチリア島西部」の研究で挙げていたもの再掲)。

CIMG3755.jpg

 ↑この画像の赤い実線は、『Sicily 1943』による臨時軍団の戦区境界線なんですが、幹線道路121号が区切りだとすると北岸のあたりでずれることになります。


 ↓『Sicily II』上で描くとこんな感じ。

スクリーンショット_160405_094

 戦区は良く変更されていたようなので、パレルモを巡る戦いの初期と後期とでの変更なのかもしれません。また追っかけてみます。


 以下、直訳でなく、抜粋大意です。ゲームマップ上に表示されている地名を表記していきますので、マップを参照しながらどうぞ。

 その状態で臨時軍団のキース将軍は、第82空挺師団と第3歩兵師団でまずパレルモ(Palermo)を目指すことになった。第2機甲師団は予備とされ、臨時軍団の前進に付いていき、パレルモの西へと進める突破のチャンスのための準備をする。

 パットン将軍は3段階の統制線【目標ラインのようなもので、停止して到着した旨を報告する必要がある】を指定したが、ただし「命令なしには止まるな」と明記していた。彼はパレルモへの最終攻撃を自分自身が統御して行おうと考えており、そのために第2機甲師団を使う予定だった。



 さらに本の場所が飛んで、位置No.6208以降から(この間の部分には第2軍団のブラッドレー将軍の苦闘が描かれていて、若干興味のあるところですがとりあえず)。

 7月18日の午後遅くに臨時軍団はパレルモへの前進の準備を完了。前進は19日の午前5時から行われることになった。……第504空挺部隊は午後早くにヴェルドゥーラ(Verdura)川でイタリア軍の対戦車砲の攻撃を受けたが、アメリカ軍側の車輌が集結して砲撃を始めると、イタリア軍兵士達は両手を挙げて逃げ始めた。

 2日目も同様で、イタリア軍はわずかな抵抗をするものの、降伏していく。20日が終わるまでにアメリカ軍はシャッカ(Sciacca)を占領。

 抵抗の少なさから機甲部隊の突破のチャンスだと考えたキース将軍は第2機甲師団の投入を決断。パットン将軍の承認を得て、この時リベーラ(Ribera)からアグリジェント(Agrigento)の間に広がっていた同師団の集結を命じる。その集結の間にキース将軍はレンジャー2個大隊からなる「X任務部隊(Task Force X)」を編成し、西方へ送り出した。X任務部隊はカステルベトラーノ(Castelvetrano)周辺を押さえ、Belice川の辺りで集結する第2機甲師団の側面をカバーする。同時にその集結エリアの北側を押さえるために第82空挺師団を北へ向けた。この集結エリアから、第2機甲師団はパレルモを目指して北東方向に進撃することになるだろう。

 X任務部隊は自身の集結を完了して21日の朝にメンフィ(Menfi)を出発。出会ったイタリア軍は戦う前に降伏していき、カステルベトラーノも戦うことなく占領。また、北岸に近いアルカモ(Alcamo)にも部隊を送ったが、そこでは800名のイタリア軍が降伏し、大量のガソリンも発見した。

 燎原の火の如きX任務部隊の進撃で、この日だけでほぼ4000名のイタリア軍捕虜を得た。明らかに迅速な攻勢の機は熟しており、第2機甲師団の一部(Rose准将指揮下のコンバットコマンドA?)は川(Belice川のことか?)を渡って、パットンの戦車進撃のための準備をおこなった。

 その間、【山道をパレルモに向けて進んでいた】第3歩兵師団も散発的な抵抗にしか出会わずに進撃を続けていた。【第2軍団麾下の】パレルモへ向かっていた第45歩兵師団はさらなる迂回をすることになり、パレルモの東のテルミニ・イミレーゼ(Termini Imerese)に向かうことになった【先ほどの軍団戦区境界線が変更された?】。

 7月22日の夕方までに第3歩兵師団と第2機甲師団の両方が、パレルモへの攻撃の位置についていた。だがパレルモの守備隊と全住民は、戦争はもうまっぴらであり、戦わずに降伏したいと望んでいた。住民の代表団が22日の午後早くに第7軍の司令部に赴いて、第3歩兵師団の副師団長に降伏を申し入れた。その申し出は拒絶された。なぜなら、副師団長は第3歩兵師団長のトラスコットから、「臨時軍団長のキース将軍がパレルモの降伏を受け入れることになっている」と指示されていたからである。
【この第3歩兵師団長のルシアン・トラスコット将軍は第3歩兵師団を一流に育て上げた優れたトレーナーであったらしく、興味のあるところですがまた後日】

 イタリア軍守備部隊の指揮官はすでに第82空挺師団の偵察大隊の捕虜になってしまっており、この時のパレルモ守備の最高権限者は「N」港湾守備隊のモリネーロ准将であった。22日の午後遅く、コンバットコマンドAのある哨戒班が抵抗なしにパレルモへ入り、モリネーロ准将を伴って帰ってきた。モリネーロ准将はキース将軍に降伏を申し入れた。キース将軍と第2機甲師団長はモリネーロ准将と共にパレルモへ入って、宮殿【ノルマンニ宮殿?】で22日19時頃に、正式に降伏を受け入れた。20時に、東と西からアメリカ軍2個師団【第3歩兵師団と第2機甲師団?】がパレルモに入った。パットン将軍は案内を受けながら、一時間後にパレルモへと入っていった。パレルモが彼のものとなったのだった。


 International Center of Photographyに、キース将軍(左側)とモリネーロ准将(右側)の写真がありました。


 ここで章が「結末(Denouement)」に変わりまして……(位置No.6270)。

 パレルモの占領後、シチリア島西部の孤立した港湾を掃討する仕事が残っていた。7月23日早くキース将軍は、第82空挺師団長に対してBelice川の線から移動して西岸の各地を攻略すること、第2機甲師団のコンバットコマンドBには【パレルモのすぐ西の半島の】北岸の諸港湾の攻略を同日中に完了するべきことを命じた。第82空挺師団長は、X任務部隊にマルサーラ(Marsala)、第505空挺部隊にトラーパニ(Trapani)、第504空挺部隊にカステッランマーレ(Castellammare)へ向かうよう指示。

 X任務部隊は23日の午後遅く、マルサーラの手前で砲撃を受けて停止したものの、翌朝同市を奪取。

 第505空挺部隊は抵抗なしにサンタ・ニンファ(Snata Ninfa)とサレーミ(Salemi)を通過して幹線道路113号に入り【『Sicily II』のマップ上のSalemiから北に延びている小道に入り、2ヘクス先で二級道路に入ってそこから西進するルートと思われる】、トラーパニを目指した。自動車に乗っての行軍は喜びのパレードとなった。サンタ・ニンファの西の道路に沿ってその地域の住民達が熱狂的な歓迎をし、空挺部隊の兵士達に果物やパン、チョコレートなどを浴びせるように振る舞った。果物は明らかに地元産のものであったが、チョコレートの方は明らかに、放棄されたイタリア軍基地内の売店からくすねてきたものだった。

 16時にトラーパニの直前まで来ると突如として雰囲気が変わった。イタリア軍は2~3時間砲火を浴びせてきていたが、アメリカ軍側の部隊が揃ってきて丘に広がると、降伏して町を明け渡した。24日の17時30分までに第504空挺部隊はカステッランマーレも攻略した。

 臨時軍団のシチリアにおける作戦行動は終了した。272名の損害(戦死者57名、負傷者170名、行方不明者45名)で、得た敵の捕虜は53,000名(ほとんどがイタリア兵)、与えた戦死傷者数は2,900名に達した。それに鹵獲した武器類も、大砲189門、車輌359両、戦車45両に達した。この後、8月20日までずっと【メッシーナが攻略され、シチリア戦が終わるのは8月17日】、臨時軍団はシチリア島西部の守備と管理に専心することになる。第2機甲師団と第82空挺師団のシチリア島での戦いは終了し、臨時軍団の指揮下で占領任務に就いた。

 この後パレルモは、アメリカ第7軍への兵站センターとなるであろう……。



 現在、『Sicily II』でもってパレルモ攻略後の「メッシーナへの前進」シナリオをプレイしていますが、第82空挺師団も第2機甲師団も全然使用可能なので、「おおう」と思いました(^_^; ただし、地形的に確かに第2機甲師団の使いどころは非常に限られますし、空挺部隊を守備隊として使用しなければならないヴァリアントルールもあって、それは使った方がいいんじゃないかという気はしていました。

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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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