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ブラウンシュヴァイク公(父)がプロイセン王に服従するワケ

 『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』のフランス革命戦争直前のあたりを訳し終わったのでそこらへんを。

  まず、フランス革命戦争直前における、ブラウンシュヴァイク公(父)の状況について。

 1792年の初め、彼は名声の頂点にあった。彼はヨーロッパにおいて最も優れていると見なされていた軍隊の最高位の指揮官であった。……彼はイギリスを支配するこの偉大な大臣との政治的合意と、それにその王室との婚姻関係によって結びついていた。 『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P44


 つまり彼はプロイセン軍の元帥の地位にあり、(大臣との政治的合意ってのは別の箇所に書いてあるのかもですが良く分かんない)自身はイギリス王ジョージ3世の姉と結婚し、娘がイギリス王太子(のちのジョージ4世)と結婚していました。ついで言うと彼自身はフリードリヒ大王の妹の長男でもあり、軍事的にも血筋的にも才能的にも「最・強」といった感じだったのでしょう。

  で、フランス革命でフランスが諸外国との戦争状態になる中、ブラウンシュヴァイク公はフランス軍の指揮官になるように要請されることになったそうです。

 だが、外国との戦争にあたって、この国【フランス】には国民の信頼を受けるような将軍がいなかった。……ナルボンヌ【フランスの戦争大臣?】はブラウンシュヴァイク公こそがそのための人物であろうと主張した。ジロンド派も、ジャコバン派でさえも、彼を自由の友人達のうちの一人であると見なしていた。ブラウンシュヴァイク公が、フリードリヒ大王がそうであったのと同じように、フランスのあらゆるものに共感を感じているということは良く知られていた。……デュムーリエは、ブラウンシュヴァイク公の崇拝者として知られていた。タレイランもまたそうであった。ラファイエットはブラウンシュヴァイク公に来て貰うように使者を送ることに賛成した。スタール夫人は熱狂的にそれを支持した。 『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P45,46


 しかしブラウンシュヴァイク公はこれを拒絶します。

 【使者の】キュスティーヌは1月初旬にブラウンシュヴァイク公国に到着した。彼は、ブラウンシュヴァイク公が期待していたほど自由と民主主義に対して情熱的ではないということを知って少しがっかりした。

『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P47  


 ブラウンシュヴァイク公はキュスティーヌに対して、自分は自らの地位に満足していると語った。彼の職務は戦時にプロイセン軍を指揮することと、平時に自身の公国の政務を執ることである。……だが彼は、フランス王の置かれた立場は気の毒だと述べた。

『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P48


「……私は生きていく中で偉大な事業を回避したことはないし、世界初という舞台での指導的役割がいかに高く評価されるかということは理解している。だが、もし私がこの件の成功は全く不可能だと考えるならば、私は非常におこがましいことをすることになるか、あるいはまったく役に立たない人間になることだろう。……あまりにも大きな危険と困難を伴う事業で私の評判をリスクにさらすには、私は自尊心が高すぎよう。」

『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P49


 ところが彼はその直後、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に呼び出されてフランス侵攻軍の指揮官となることを受諾してしまいます。

 前述のように、ブラウンシュヴァイク公は、ナルボンヌから打診のあったのとは真逆の事業への相談のために、ベルリンへ呼ばれていた。彼はキュスティーヌに、ドイツ諸侯はフランスを攻撃しようなどとはしていないと語ったばかりだった。だが彼がベルリンに到着すると、彼は王から、王とオーストリア王家の名によるフランス侵攻軍の最高司令官となるようにと告げられたのである。そして彼は、先日彼が守ることを依頼されたまさにその国を征服するための作戦計画を準備するように命じられたのだ。このような皮肉な巡り合わせの中で、彼は王命に従ったのだった。


 ミラボーやキュスティーヌとの対話の中で、ブラウンシュヴァイク公は彼の気質の良い側の面を見せていた。我々は彼が、偏りのない判断力と冷徹な知性と素晴らしい先見の明でヨーロッパ情勢を見通し、政治的共感を感じている、あるいは更なる名声をもたらす可能性のある、危険な仕事をあえて断るのを見た。だがベルリンではそれがまったく逆になった。そこでは彼は、自分にとって本質的に不快な事業の指揮者となるようにという王からの命令に、あえて従ったのである。彼の見解によれば、プロイセンの政治的利益にとってこれは危険な事業であった。なぜなら、ロシアに対して東方におけるフリーハンドを与えてしまうことになるのが確実であったし、またベルリンにおける混乱と腐敗のゆえに、軍事的な見地から見ても二重の危険を有していた。この事業はまた、プロイセン王【フリードリヒ・ヴィルヘルム2世】とフランスのエミグレ達の考えによるものであったのだが、公は王の能力に極めて低い評価しか与えていなかったし、彼はブラウンシュヴァイク公国に逃げてきていたDuc de Castriesや他のかつての七年戦争の敵対者達に自ら快く親切なもてなしを与えていたものの、エミグレ達の考えをひどく嫌っていたのである。彼がキュスティーヌに、それからマッセンバッハにも語っていたことだが、彼はフランス軍がすぐにでも崩壊をしそうなほどに統制を失ってしまっているという説をまったく支持していなかったのだが、エミグレ達はそうなるに決まっていると騒ぎ立てていたのだ。逆に、彼は戦争それ自体が悪に救済をもたらすと考えていた。フランス人の勇敢さは、この時独特の情熱によって最高潮に達しており、疑いもなく彼らの獲得した名声に匹敵するであろう。もし彼がフランスへの侵攻を指揮しなければならないならば、性急に事をなそうとして大規模な会戦を戦うことは避けるようにするだろう。なぜならば、1回のフランス軍の勝利はその敵の破滅を意味するのに、1回のフランス軍の敗北では結局のところ問題の解決からはほど遠いものに過ぎないからである。だから、彼自身の計画は、国境の様々な地点にいくつかの軍を移動させてそこで攻撃に対して堅固な地形を占領したまま軍を保持し、あからさまな攻撃によって彼らを憤激させてしまって超人的な力を発揮させることになるよりは、そのままフランスが内部分裂と財政破綻によって崩壊するのを待つというものだった。だが王の要求に応じ、彼は今やフランスを侵攻してパリへと直接進撃するという計画を立案し、自身が攻撃の指揮を執ることを承諾。同時にこの計画は彼自身によるものなのではなく、王によるものなのだということを後世の人々の前で自身を正当化すべく注意深く書き記していた。友人達との仲間内では彼は、この遠征の方針について相談されることなく、軍事的手段の達成だけを要求されただけだったことへの不満を述べずにはいられなかった。彼の見解ではそもそも、この遠征によるドイツ側の実際上の利益など何一つなかった。彼はフランス軍の膨大な兵力 - 詳しい戦力は不明であったが - の背後にある明らかな混乱にすぐに気付いた。彼は専門家的な杓子定規に陥ることもなかった。フランス軍とその行政における混乱はまったく明らかであり、そのために将校達や補給物資を調達することが難しくなっているかもしれなかった「が、その噴水口への軽率な突進を、彼は何よりも恐れていた。」「我々の側の同盟関係も様々な要因から解体してしまう可能性もある。」彼はブラウンシュヴァイク=エールス公に書いている。「だが、我々はあのフランスの悪魔共をどうにか我慢してきたではないか!」 そして彼ははっきりと「フリードリヒ・ヴィルヘルム【2世】に次のように語っていた。不測の事態が起こる可能性もあります。なぜなら、現在のフランスを統治している者達は異常なほどの興奮状態の中にあり、それがどれほど通常あり得ない結果をもたらすことになるか全く予想がつかないからです。」  ……この彼の経歴の危機にあって、彼は自らの円熟した、政治と軍事両面における的を射た見方を両方とも放棄したのであった。そこには、知性、意志、気質、そして道徳的力強さなどの諸要素の間の著しい不均衡によって欠陥がもたらされた精神的な構造が存在した。洞察力にも知性にも劣るが強い意志によって突き動かされている人物が、比較的性格の弱い知性的な人物よりも大きな結果をもたらすことがしばしばある。……神は彼に、神そのものには及ばぬものの大きな力と優れた環境と、あらゆる知的能力を与えたが、それに伴って本来必要であった信念に基づく意志の固さをお与えにはならなかったのだった。ハルデンベルクはかつてブラウンシュヴァイク公に対して、目の前に提示された提案が不賛成なものだったならば、それに対して断固とした態度で少なくとも「No」と言ってくれるようにと懇願したと言われている。そうするための力に彼は欠けており、この欠如は戦場における勇敢さと全く対照的であった……。


 オランダへの遠征に同行し、後にブラウンシュヴァイク宮廷へと特別に派遣されたLord Malmesburyはある時、いかにブラウンシュヴァイク公に「すべての栄光に包まれて」何の疑念も術策もないかのように見えたすぐ後に、「あらゆる疑念、狡猾さ、優柔不断さ」と「精神的な決断力の欠如」が顔を覗かせるかということを語っていた。……シュタインはブラウンシュヴァイク公の1792年の指揮を「利己的で偽善的」だとして非難するが、1804年にはドイツ小諸邦君主達全員が卑劣で愚劣であるのの例外となる「高貴」な人物であると述べている。マッセンバッハはある時、ヴォルテールの『Henriade』に出てくるなかなか決心の付けられないMornayという人物が、戦争を非難しつつも主人に同情して従うのがブラウンシュヴァイク公と同じようだと述べていた。また別の時にはマッセンバッハはブラウンシュヴァイク公こそがドイツを救うことのできる唯一の人物であり、軍を指揮するのにふさわしい人物だと述べた。マッセンバッハは1791年のブラウンシュヴァイク公を世界における最も偉大な将軍だとしている。1792年には、Homburgにおける大きな躊躇という事例の後、彼は完全に手を引くことを宣言する。1793年のPirmasensとKaiserslauternの戦勝の後、彼はブラウンシュヴァイク公の軍事的能力と人格の偉大さについて何ページにも渡って書いている。1799年にはブラウンシュヴァイク公が毅然と振る舞い、この国の指導を取るように仕向けることが不可能であることを嘆き悲しんでいる。1805年と1806年には、ブラウンシュヴァイク公の性格の強さの欠如を非難している。そして最後に、公の死の後、公が、公のみが、イエナの戦いの後の状況を救うことができたかもしれないと述べている。恐らく最も問題であったのは、ブラウンシュヴァイク公自身も自分の弱さを認識していたことである。「私はそれに抵抗できない。」彼はLord Malmesburyに言っていた。「それは私よりも強力なのだ。」 年を経てもこの欠点が弱まることはなかった。むしろ彼の私生活における不幸や、彼の小さな公国の政策がベルリンに繋ぎ止められた状態から抜け出られないならば彼の家族に政治的破滅がもたらされるのではないかという不安によって、この欠点は増大させられた。それはプロイセン王に対する軍事的服従の義務というほとんど迷信的な考えによってさらにかき立てられた。彼の考えによれば、プロイセン王は一国家元首である彼に対しても強制をおこなう権利を有する。なぜならばブラウンシュヴァイク公はプロイセン軍の元帥であり、フリードリヒ大王の後継者によるどんな命令にも従わなければならないのである。この後継者【フリードリヒ・ヴィルヘルム2世】は - 公の円熟した判断によれば - 手腕のない人物であったがそれは公が後継者というもののあるべき姿を知っていたが故であった。そしてベルリン宮廷の臣下達全員の人格を彼は心底軽蔑しており、キュスティーヌには彼らのことを憎むべきやつらかそうでなければ自分としては非常識なやつらだと思うと述べていたのだった。 『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P49~56


 すなわち、ブラウンシュヴァイク公の軍事的政治的判断はあらゆる側面で正しかったのだけども、特に「プロイセン軍元帥として、プロイセン王に従わなければならない」という観念が彼を束縛しており、いやいやながらも指揮官として従軍しなければならなかったということのようです(そして彼はそれを断ることができない性格であった……)。なぜ「いやいやながらも従うのか?」という辺りが非常に気になっていたので、ある程度納得がいく記述が見つかって満足です。

  ブラウンシュヴァイク公の頭の良さであるとか軍事的能力の高さに関しては、R/Dさんの味方か敵かというエントリが非常に印象的なのでぜひ見てみて下さい。


 この後、『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』ではフランス革命戦争における記述が来るハズで、ブラウンシュヴァイク宣言のあたりとか、ヴァルミーの戦いの辺りなんかも気にはなりますがともかくも1806年戦役をまずは片付けたいので、そっちを優先します。1806年戦役に関するこの本の記述も非常に興味深かったのでそちらを全部訳して、その後また諸本を参照してに戻る感じで。



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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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