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ブラウンシュヴァイク公(父)の中年の頃の評判

 ブラウンシュヴァイク公(父)の伝記本である『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』が面白いです。とりあえず1805年以降の部分はすべて目を通しましたが、そこらへんの部分はまたおいおい。




 その後ページ的に戻りまして、彼が公爵位を継いだ1780年(Wikipediaによると1773年にすでに実権は譲られていたみたいですが)以降の部分を、自分の興味のなさそうなところは適当に飛ばしつつ、興味が持てそうなところなら分からない英単語も調べつつ読んでいってます。

 彼は1735年生まれなので、1780年というとすでに45歳。若い頃に七年戦争で活躍して昇進し、フリードリヒ大王の下で元帥であった叔父の薫陶も受けて軍事指揮官として一流と見なされていたらしいですが、詳しくは私が七年戦争は良く分からないのでパスしまして(^_^;

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(↑ここに元々ブラウンシュヴァイク公の叔父フェルディナントの画像を貼ってしまってました(>_<) Schaluppeさんからご指摘を頂いて修正しました。ありがとうございますー(*^_^*))

 ブラウンシュヴァイク公国は大きく3~4つに分かれた断片のような国ですが、当時財政的にも困窮していたようです。

 ↓参考に、1806年当時のブラウンシュヴァイク公国が分かる地図を。黄色い部分がそうです。

1806年戦役用03Map57用02



 1780年に公爵位を継いだ直後のブラウンシュヴァイク公について、この本ではvon Sybelという人の本から引いてきて書いています(von Sybelという人がHeinrich von Sybelだとしたら、1817年生まれのドイツの歴史家で、フランス革命とかの本を書いた人?)。

 von Sybelは書いている。
「ブラウンシュヴァイク公の小さな宮廷でこの時期に彼を見た人々は、このクレフェルトとミンデンにおける英雄が国政においても優れたやり手であり、あらゆる種類の知的な進歩の擁護者となってそれらを熱心に吸収し、また精力的でかつ気取らない人物であることにひどく驚かされた。彼が公国の人民達よりも少ない生活必需品しか使用しないでいたことは非常に印象的であったし、また将軍としての名声にも関わらず非常に小さな軍隊しか持たないでいたことなどから、彼は大きな評判を得た。」(注3:Sybel, book iv. ch.1.)
『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P18



 それでもって公国の人々からも非常に敬愛されていたようです。財政上の改革とか、ハルデンベルクがハノーファーから逃れてまずブラウンシュヴァイク公国で役人となったらしいとか、レッシングがどうとかというあたりはパスしまして(おい)、ブラウンシュヴァイク公の好みや性格などについて。

 彼は音楽にも大いに親しみ、情熱的に打ち込んだ。仕事に余裕のある時には夜中までヴァイオリンを弾いたりして、その腕前もなかなかの名手と言えた。怒っている時の彼の一瞥は恐怖を引き起こすものであり、自分の命令が迅速に期限を守って実行されることを要求し、反対を許さなかった。だが普段は多くの人を引きつける魅力に溢れており、ウォルポールはブラウンシュヴァイク公の成功の秘訣はそこにあるのだと考えていた。……美食や賭け事にはまったく無関心であった。ワインや水を飲むよりも、牛乳を好んで常に飲んでいた。長い時間続く晩餐を特に毛嫌いしており、その時には大体、黙ったまま不機嫌そうにしていた。古なじみとチェスをうつのがお気に入りのくつろぎの時間であった。スポーツにはほとんど興味を持たなかった。マッセンバッハの意見によると、ブラウンシュヴァイク公が山岳地帯や森林地帯での作戦行動であまり良くない判断をすることがあったのはこれに起因しており、遺憾なことだったそうである。兵士達も市民達も、ブラウンシュヴァイク公がいるところでも安心して彼と共に物事に打ち込むことができるという優れた能力を彼は持っていた。過度なほどに礼儀正しく、フランス語を完璧に使いこなした。彼はまた、農民達と地方訛りで農業についての会話で盛り上がることもでき、そのことが彼の人気を押し上げた。だが、彼は田舎での生活にはほとんど興味がなく、何か問題がある時以外は自分の所領にめったに訪れなかった。彼の生活はブラウンシュヴァイク公国と軍営に分かれていたが、彼の本当の関心は完全に軍事行動の方にあった。なすべき仕事がない時には彼は生来のはやる気質に取って代わられたようになり、その時には誰といても、自分自身に対しても彼は飽き足りなくなってしまっていた。
『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P20~22


 と訳してみましたが、最後の辺りの訳は原文が色んな意味に解釈できて自信がありません。「彼の本当の関心は完全に軍事行動の方にあった。」と訳したところの原文は「in them his real interests were entirely centred.」で、直訳するなら「公国と軍営の間の中心に関心があった」となるような気がしますが、そうすると政務と軍務の行き来に関心があったということに? 「人々の中心にいることに関心があった」という意味かと思ったりもしましたが、一番可能性が高いのは軍事行動に本当の関心があったという解釈なのかなぁ……と。

 内容的には色々興味深いですが、中でもマッセンバッハがまた?なにやら偉そうに訳の分からないことを主張しているのがちょっと笑えます(^_^;


 背が高く、精神的にも肉体的にも活力に溢れており、威厳を感じさせながらも柔和な印象、率直で打ち解けた表情、その青い眼は情熱に溢れていてフリードリヒ大王のそれに似ていると言われ、ほとんど常にあまりにも礼儀正しいので大げさにも見えたほどであったが、その彼の様子は、生まれつきにあらゆる上品さを備えながらも出身階級がどうだというような偏見を持たなかった古いフランス貴族のToulongeon将軍を思い起こさせるものがあった。

 ブラウンシュヴァイク公爵はそのような多くの卓越した美点を持っていたので、フリードリヒ大王の死が近づいてきた時までにこのプロイセン王朝の軍事的栄光と政治的理念の後継者を任されるに値するという評価を、大王の弟であるハインリヒ公【ハインリヒ・フォン・プロイセン (1726-1802)】と、大王の個人的友人であり相談役でもあったメレンドルフ元帥【Wichard Joachim Heinrich von Möllendorf (1724–1816)】らと共に与えられるようになっていた。だがハインリヒ公の健康状態はもはや戦場に立つことを許さないだろうと思われたし、またメレンドルフ元帥はブラウンシュヴァイク公よりもはるかに年上で、それにその地位を争う競争相手になるにはあまりにも謙虚であった。
『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P22,23


 ハインリヒ公のことは良く知りませんが、メレンドルフ元帥は1806年戦役には部隊を指揮することなく参加だけしていて、アウエルシュタットの戦いで傷を負い、翌日エアフルトの降伏の時にひっくり返っていた人物です(詳しくはあっけなく降伏したエアフルトの司令官は誰か?をどうぞ)。彼の印象は「謙虚(modest)」というにはちょっと違和感があったので若干調べてみたのですが、良く分からず。ドイツ語版WikipediaをGoogle翻訳で日本語にすると兵士の待遇改善を大王に主張していたのか?と思えるような感じも受けるのですが、どうなんでしょ……。


 しかしまあともかく、そういう状況の中でこういう風に言われるようになったようです。

 ゴータ公はザクセン=ヴァイマール公に書いている。
「ブラウンシュヴァイク公以外に、この同盟【君侯同盟】の長たり得る人物はいない。」
『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P23

 1786年8月にフリードリヒ大王は亡くなった。
「老人は若者に場所を譲らねばならぬ。」
 彼は死の6日前に、ブラウンシュヴァイク公国の妹【フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセン:ブラウンシュヴァイク公(父)の母】に書いている。……彼の遺書には、その他の遺産に加えて、大王からその甥であるブラウンシュヴァイク公爵に8頭の馬が贈られるように書かれており、しかもその中には大王が最後に乗った馬も含まれていた - 大王が自身の軍事的後継者を誰だと考えていたかは、相当程度明らかであった。ミラボーは、ブラウンシュヴァイク公がプロイセン王国の政治的指導者としても王の後継者として運命づけられていたと確信していた。

 「……誰が指導者となるべきなのか? 明らかにブラウンシュヴァイク公だ。この点はまったく私には疑いないように思われる。……」
『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』P28


 「老人は若者に場所を譲らねばならぬ。」の部分ですが、日本語だと訳しにくいんですが英語での原文は「The old must give place to the young,」となっていて、theは言う方と聞く方にとって明らかに特定できる単一のものに付く冠詞ですから、いわば「あなたが知っているこの老人は、あなたが知っているあの若者に、場所を譲らねばならぬ。」と言っているわけです。「世間一般に老人というものは、若者達に場所を譲らねばならぬ。」と言っているわけではないわけです。

 ブラウンシュヴァイク公爵は、当時明らかにドイツにおいて軍事的にも政治的にも第一級の人物と衆目から見られていたわけですね。

 また、実際にプロイセンの王位を継ぐことになっていたもう一人の大王の甥であるフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が、大王から見て恐らく無能に映っており、それで同様に甥でかつ極めて優秀なブラウンシュヴァイク公こそが実質的な後継者であると思いたいということがあったのではないでしょうか。

 フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は日本語版Wikipediaを見ても「しつけも受けずわがままに育てられた」とか書いてありますし、1806年戦役に関して挙げられている資料で挙げていました『Hubertusberg to Auerstädt: The Prussian Army in Decline?』に(結局)目を通していたら、第2章の冒頭にこうありました。

 彼の叔父【フリードリヒ大王】は七年戦争中に、彼の父を無能ゆえに排除していた。フリードリヒ・ヴィルヘルム【2世】はそのことに恨みを持ったりはしていなかったが、さりとて軍事的技能を習得することによってそれを補おうともしなかった。
『Hubertusberg to Auerstädt: The Prussian Army in Decline?』P314



 世間的な評価も、特に女性関係が放埒であったことから酷評されてますが、彼の在位期間(1786-1797)に成し遂げられた政治的・領土的な結果から考えれば名君に等しいとも言われたりするようです。


 で、『Charles William Ferdinand, Duke of Brunswick』ですが、その後だいぶ読み飛ばしましてフランス革命のところを読んでいたりしたんですが、日本語版Wikipediaのブラウンシュヴァイク公(父)を読んでいたら、アメリカ独立戦争(1775-1783)にブラウンシュヴァイク公が軍隊を派遣していたとか、1787年(フリードリヒ大王の死の翌年)にオランダにブラウンシュヴァイク公が侵攻して、それでフリードリヒ・ヴィルヘルム2世がブランデンブルク門を作ったとか書いてあるので、面白そうなのでちょっとそこらへんの記述を探してみようかとも思います。

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No title

お久しぶりです。いつもながら、興味深く拝読させて頂いております。

昨日、ミンデンの戦いについてWikipediaに翻訳記事を作った時に
気づいたのですが……この記事の肖像画は、イエナ・アウエルシュタットで
指揮をとっていたカール・ヴィルヘルム・フェルディナントのものではなくて
その叔父、フェルディナントの物ですね。

Re: No title

 おおおう(>_<) ご指摘ありがとうございます!

 早速修正させてもらいましたー。

 また何かありましたらよろしくお願いします(^_^;

No title

申し訳ありません。
どの肖像画のことを指しているのか正確にお伝えできませんでした。
私が指していたのは上から二番目です。
どうやらこのマントはガーター勲章を授かった人が着るマントのようで、
それを授かったのはカール・ヴィルヘルムではなくてミンデンの戦いの
総司令官であった、叔父のフェルディナントというわけでして……。

Re: No title

 おおう(^_^;

 改めて各国語版Wikipediaを見てみたのですが、よく分からないものの一回変えた画像はドイツ語版などにはなかったので、ドイツ語版から画像を選んで貼ってみました。

 これなら大丈夫でしょうかね……?


No title

私も特に詳しいわけではありませんが、この絵なら間違いないです!
叔父の方のフェルディナントを描いた画家が、カール・ヴィルヘルムを
描いた絵を誰かが模写した作品だそうです。

Re: No title

 おお~。ありがとうございました~(*^_^*)
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プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、関係情報を集積したりしてます。また、ナポレオン時代のプロイセンと、あと若干イギリス軍関係を調べたり。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイがメインになってますが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! 見学だけ等も大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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