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ヴァイマール公妃ルイーゼの勇気

 ヴァイマール公関係の続きです。

 イエナ・アウエルシュタットの戦いの後、ヴァイマールの町は戦場にも近かった(また、ヴァイマールの町は両会戦の場所よりもフランス寄りですが、残ったプロイセン軍はそのフランス寄りの方向に逃げた*)ため、フランス軍によって占領されることになりました。

*これはフランス軍がよりベルリン寄りの方向にすでに侵入していたという事情もありますけども、これまでも挙げていた地図を見ると、両会戦のあった場所からベルリンに向かうとすると、同盟を強制したに過ぎなく寝返りつつある状況のザクセン国内を通ることになってしまい、それよりはいったんプロイセン領であるエアフルトに入って、そこからブラウンシュヴァイク公国、さらにマグデブルク……という経路を通った方が主に自領や同盟領内を通れるので、という事情があったのではないかと推測したりするのですが、あくまで推測に過ぎないので全然違うかもしれません(バキッ!!☆/(x_x))。しかし実際、逃げるプロイセン軍の多くはその経路を通っていったのです。


 で、その占領の時にフランス軍の誰それ将軍がどうしたとか、ゲーテの家がオージュローの司令部として提供されて、その際にゲーテの20年来の恋人の勇敢さに感動してゲーテが正式な結婚を決めたとかってな関係のことが『1806 Coming Storm』のP62に半ページほどの分量で記述されているんですが、どうもなんかあまり興味が持てないのでパスしまして(おい)。


 より興味があるのは、ヴァイマール・ザクセン公国の王族らが逃げ出す中、唯一国に残ってナポレオンを迎えたヴァイマール公妃ルイーゼについてです。

 以下、『ナポレオン大いに語る』P104~6ですが、「大公」とあるのはこの時代においては「公」の間違いではないかと思います(ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国を見ると、「1741年から1815年まで公国、1815年から1918年まで大公国」とありますので)。



 イエナの戦いののち、ナポレオンがヴァイマール入りするものと予想されたので、ヴァイマール大公の家族はブラウンシュヴァイクに避難した。ヴァイマール大公がプロイセン軍に与したことから、ナポレオンの報復を恐れたからである。ただルイーゼ大公妃のみは残留を決意した。彼女は女官たちと共に宮殿の一隅で暮らしていたが、皇帝のためには豪華な居室を準備させた。皇帝が到着した時、大公妃は質素な彼女の居室を出た。ナポレオンをしかるべき礼儀作法に基づき戸外の階段で迎え入れるためである。
「あなたはどなただ?」
 皇帝は彼女に気づきたずねた。
「私はヴァイマール大公妃です」
「それは残念だ。私はあなたのご主人を撃滅するつもりだから!」
 ナポレオンはその後は彼女に一顧も与えず、自分に用意された居室に入っていった。翌日大公妃は、すでにヴァイマール市内でフランス軍による略奪が始まったことを聞いた。彼女はその実情を質すため、ナポレオンと会うべく侍従の一人を皇帝のもとに差し向けたところ、皇帝は喜んで大公妃と朝食を共にする意向だということであった。
 皇帝は彼女に会うといつもの習慣どおり、ありとあらゆることについて質問した。
「あなたのご主人は私と戦争しようとするほどまぬけなのか?」
「主人が別の行動をとったとしたら、きっとあなたは彼を軽蔑したでしょう」
「なぜだ?」
「私の主人は30年間、プロイセンに仕えました。主人は陛下、あなたのような強敵と戦わねばならなくなったプロイセン国王を、どうして不名誉にも見捨てることができましょうか」
 この巧妙でしかも高貴な返答は皇帝の気持ちをなごませた。
「だがヴァイマール大公がオーストリアでなくプロイセンに与したのはどうしてか?」
「陛下もご存じのように、ザクセン王家の若い分枝(ヴァイマール大公も含まれる)はいずれもプロイセン選帝侯の模範にしたがっています。ザクセン王家のフリードリヒ・アウグストの政策はオーストリアよりもプロイセン寄りになっていたため、ヴァイマール大公もその例にならわざるを得なかったのです」
 二人の会談は同じような調子で、しかも同じ問題をめぐってしばらく続けられた。その際ルイーゼ大公妃は精神と魂の卓越さを示した。最後にナポレオンは言った。
「あなたは私がこれまで知り合いになったなかでも、もっとも尊敬すべき婦人だ。あなたはご主人を救った。私はご主人を許そう。しかし彼が許されるのは、まったくあなたのおかげだ」




 『1806 Coming Storm』でもいくらかこの件について触れられていますが、状況やニュアンスが幾分異なってました。

【10月15日】
ヴァイマール
 ヴァイマール公夫人はナポレオンに会うために馬に乗って出発した。道路の騒々しさに動揺しながら、彼女は話しかけた。
「陛下、我が国民をお委ねいたします」
「どうです、夫人。戦争というものが分かったでしょう」
 彼は冷たく返答した。
 午前9時、ナポレオンはアウエルシュタットの大会戦に関するダヴーの最初の報告を受け取った。その後彼はヴァイマール宮殿の彼の区画への階段を大股で駆け上がった。昼食時に彼はザクセン・ヴァイマールのアウグスト公がプロイセン軍の1個軍団を指揮していることに不満を述べた。
『1806 Coming Storm』P65

【10月16日】
ヴァイマール、午後5時
 ナポレオンはヴァイマール公夫人との夕食に同意し、ヴァイマール公に対する感情を和らげたが、しかし依然としてヴァイマール公が指揮を返上し、すぐにヴァイマールに帰還することを強く要求していた。
「夫人」
 皇帝は彼女に言った。
「あなたが私が来るのを待っていたことを、嬉しく思う。私があなたのご主人を許すのは、あなたが持っていた私に対する信頼ゆえである」(注24:Constant, Chapt.XII)
 彼はラップに言った。
「あの女性は我々の200門の大砲を恐れていないのだ」
『1806 Coming Storm』P68



 「陛下、我が国民をお委ねいたします」と訳した部分ですが、原文では"Sire, I recommend my subjects to you."で、recommendの意味が「推薦する」「提示する」辺りでは通らないと思うので悩んだのですが、『ランダムハウス英和大辞典 第2版』にあった「《古》託する、ゆだねる、任せる」が適当かなと思ってそうしてみましたが、どうなのか……。subjectsを「国民(臣民)」と訳すのが良くないかも?

 というのは、ルイーゼ公妃のWikipediaには「彼女はナポレオンと交渉し、フランス軍がヴァイマルを掠奪しないよう求めた。」とあって、そことえらく矛盾するような気がしまして。いやしかし、そういう矛盾があるものなのだと理解した方がよい……?


 あと、『ナポレオン大いに語る』にはヴァイマール公の臣下とナポレオンとの対話もあるのですが、その中にこうありました(P108)。

 ……私の最大の敵ブラウンシュヴァイク大公すら、部隊をプロイセンに派遣しなかった。ゴータ大公もそんなことは夢想だにしなかった。ところがあなたの主君は指揮を委ねられたため喜々としてプロイセン軍に協力した。



 ヴァイマール公とは?の最後で引用してましたように、ヴァイマール公国は兵775名と馬107頭を1806年戦役に提供していたようですが、ブラウンシュヴァイク公は自分の国から兵隊を提供していなかった? 両目を撃たれたブラウンシュヴァイク公のコメントに書いてましたように、彼の長男は従軍して戦死しているようですが……。

 ブラウンシュヴァイク公はこの1806年戦役の指揮をとることに乗り気でなかったと諸資料にあったような気がしますから、それゆえに自国軍を従軍させなかったのでしょうか。

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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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