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ナポレオン戦争で戦ったプロイセン軍のフォン・ホルン将軍について

 コマンドマガジン52『赤い夕陽のナポレオン』を最近プレイしているわけですが、その中に登場する「ホーン」という将軍が非常に気になるので、調べてみました。


unit8384.jpg


 まず気になるのは発音で、初期配置で隣にいる「ヨーク」はドイツ語では本来「ヨルク」であることは確実なので、「ホーン」も「ホルン」なのではないかなぁ……と

 調べてみると、フルネームは「Heinrich Wilhelm von Horn」であるらしく、また、プロイセン人でした(英語圏の生まれとかではなく)。で、「Horn」という人名がドイツでどう発音されているかなのですが、日本語版Wikipedia「ホルン (曖昧さ回避)」に載っているドイツ人2人の綴りが両方「Horn」であったので、やはり発音は「ホルン」で良さそうでした。


 同ゲームで「ヴァーデ」とある指揮官の名前の発音は「ヴレーデ」が正しそうとかもあるわけですが、しかしこのゲームの発表が2003年(20年以上前!)であることを踏まえると、今は当時なかった本やネット環境での調べやすさもあって恵まれているわけですし、同作が非難されるにはあたらないかと思います。それよりも作品を発表してくれたのがありがたいわけで、むしろ、今後に向けてこういうこと関連の情報集積ができていけば良いのではないかと。


 このハインリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホルンに関しては、Wikipediaにはある程度記事があったのですが、手持ちの『Dictionary of the Napoleonic Wars』『Who Was Who in the Napoleonic Wars』には項目がありませんでした。なので、↓のみで今回、まとめてみます。

英語版Wikipedia「Heinrich Wilhelm von Horn」
ドイツ語版Wikipedia「Heinrich Wilhelm von Horn」


<2024/04/05追記>

 その後、nagunaguさんに「EPOCHE NAPOLEON」というドイツ語のウェブサイトを教えてもらいました。



 また、『Allgemeine Deutsche Biographie』(ドイツ人伝記総覧?)も全文が見られることが分かったので、そちらも参照して↓を追記しています。

<追記ここまで>


WilhelmvonHorn

 ↑ハインリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ホルン中将(Wikipediaから)


 フォン・ホルンはプロイセン軍に入ってまずバイエルン継承戦争に参加。この時期にヨルクと出会って友人となり、将来緊密に協力することになったといいます。1794年から95年にかけてのポーランド遠征でワルシャワ包囲戦に参加し、功績によりプール・ル・メリット勲章を受章します。

 1806年戦役ではダンツィヒ守備隊におり、ダンツィヒ包囲戦中のハーゲルスベルクの勇敢な防御戦で名声を得たそうです。

 1812年のロシア遠征では、フランス軍の一員として長年の友人であったヨルク指揮下のプロイセン補助軍団の第2歩兵旅団を指揮して多くの戦いに参加。1812年9月4日、フォン・ホルンはフランスのレジオン・ド・ヌール勲章を着用する許可を与えられます。

 1813年の解放戦争でもヨルク軍団の旅団を指揮し、リュッツェンの戦い(グロースゲルシェンの戦い)で名を挙げました。バウツェンでも戦い、休戦中の6月28日に少将に昇進。

 同年の秋期戦役では8月26日のカッツバッハの戦いで功績を挙げましたが、その後の悪天候により隷下の兵士達はとても飢えてやつれた状態となります。しかし、ホルンはなんとか規律を維持しました。

 10月13日、ヨルク軍団はヴァルテンブルクの戦いに勝利してエルベ川渡河に成功し、ナポレオンは北側面を確保するためにドレスデンからライプツィヒに向かって西進せざるを得なくなりました。これにより、ライプツィヒの戦いの前の、フランス皇帝を包囲する動きが始まったのです。勝利の大きな要因はホルンの旅団が敵に決定的な打撃を与えたからであり、ホルンが鉄のような行動力で、自ら模範を示して突進し勇気を鼓舞したからでしたが、死傷した兵士達の数もまた非常に大きなものでした。

 ヴァルテンブルクの戦いの後、ホルンの旅団兵達がヨルクとホルンの前を通っていく時、この二人の将軍は帽子を脱ぎ、最後の兵士が通り過ぎるまで帽子を被ることなく立ち続けていたそうです。



 この時の状況や、ヴァルテンブルクの位置とかを何も知らないので、『Napoleon at the Crossroads』で探してみました。すると、9月28日からのシナリオというのがありました。


 ↓『Napoleon at the Crossroads』のマップ西方です。

unit8370.jpg


 一番上の赤い○がヴァルテンブルクで、ビューローとベルトランが向かい合ってます。編成表を見てみると、ヨルクはブリュッヒャー(右上)の指揮下にあり(ホルンのユニットは見つかりませんでした)、そこからヴァルテンブルクに向かったのでしょうか。ナポレオンはこの時点では画像右下のドレスデンにおり、ヴァルテンブルクでエルベ川を渡河されたことから、その後のライプツィヒ(画像左)の戦いに繋がるということなのでしょう。ちなみに、ヨルクはこの戦いの功績によりヴァルテンブルク伯爵の爵位を与えられたそうです。



 ホルンはライプツィヒの戦いでも特に大きな功績を挙げました。その断固とした勇猛さと同時に、たぐいまれな粗野さでこの「老紳士」(当時51歳)は解放戦争で最も人気のある将軍達のうちの一人となりました。ライプツィヒの戦いの功績により、プール・ル・メリット勲章に柏葉を付与されます。

 1814年戦役では、ラン、パリでの戦いに参加。

 1815年時には彼は戦争には関与しなかった第6軍団の旅団を率いており、ナポレオン戦争終結後にはミュンスターに本拠を置く第7軍団の司令官に任命され、1829年に亡くなるまでその職を務めました。

 アルゲマイネ・ドイツ伝記によれば、「ホルンはプロイセン軍の最も優れた旅団長の一人であった [...] その勇気、その粗暴さは民衆に好かれており、また心の優しさと高貴な気質によりこの「老紳士」は愛され、兵士達からだけでなく国民からも尊敬されていた。」

 また、フォン・ホルンはその晩年に、新兵への予防接種の義務化を導入したり、子ども達が「夜間であっても工場の雇い主によって大量に使われている」という悪を非難したそうです。


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