fc2ブログ

OCS『South Burma』(仮)製作のために:中国軍第200師団長であった戴安瀾将軍について

 中国(中華民国)軍第200師団長であった戴安瀾(たいあんらん?)将軍についてのWikipediaを少し見てみたら、興味深そうだったで、ちょっとまとめてみることにしました。

中国語版Wikipedia「戴安澜」
英語版Wikipedia「Dai Anlan」


Dai Anlan

 ↑戴安瀾将軍(Wikipediaから)



 英語版Wikipeidaの記述より中国語版Wikipediaの方が記述は豊富ですが、勇壮な話に満ちているためにむしろ、話が装飾されているのではないだろうかという疑いも持ちます。ただまあ、英語版のみを元にすると話があっという間に終わってしまいますし、多くを中国語版を元にして一応まとめておいて、後で検証するという方向性で行こうかと思います。



 1904年に安徽省の農民の家に生まれ、最初の名前は戴揚功だったそうです。学校で優秀な成績を収め、1924年に黄埔陸軍士官学校に入り、1926年に国民革命軍の小隊長に任命されました。彼は祖国が危機に瀕していることを感じ、中国を死守する決意を表明するため、名前を「波を静める」という意味の「安瀾」に変更したそうですが、その時期について、英語版では1924年?、中国語版では1926年以降だという風に記述しています。

 北伐、済南事件で日本軍と戦います。1938年の魯南の戦いでは、部隊を率いて中愛山で4昼夜にわたって日本軍と戦い、その功績が認められて第89師団副師団長に昇進。 同年8月、武漢の戦いに参加し、35歳で第5軍第200師団長に昇進。1939年12月、広西チワン族自治区の崑崙峠で日本軍第5師団と激戦を繰り広げ、自身が重傷を負いながらも優れた指揮で崑崙峠での有名な勝利を獲得。

 太平洋戦争が勃発してビルマルートが脅かされると、国民党政府(蒋介石)はビルマ戦線に10万人の軍隊を派遣します。戴安瀾は第200師団を率いて雲南からビルマへ西進し、単独で進む危険を厭わずにトングーへと南下して、英連邦軍の守備を次々と引き継ぎました。


 ↓OCS『South Burma』(仮)製作のために:中国国民党軍の初動について、スティルウェル関連本から (2023/10/15)に挙げていた地図です。

unit8517.jpg


 英連邦軍の安全な退却を掩護し、戦闘の準備を万全にするために、戴安瀾は部隊を指揮して昼夜を問わず陣地の修復を行い、敵の前進を阻止するために3つの防衛線を敷きました。妻に宛てた手紙の中で、彼はこのように書いていたそうです。
「私はトングーの守備を命じられた。上の計画はまだ決定されておらず、後方との連絡はあまりにも遠く、敵の動きが早く、今私は一人で、祖国が育ててくれた恩に報いるため、すべてを犠牲にする決意をした。祖国のための戦いで死ぬことは、極めて名誉なことだ。」

 彼は部下達にこのように告げたそうです。
「兵士が一人でも残っている限り、最後まで持ちこたえなければならない。師団長が戦死した場合は副師団長が後任となれ。副師団長が戦死すれば参謀長が、参謀長が戦死すれば連隊長のうちの一人が後任となるのだ」

 師団のあらゆるレベルの指揮官もこれに倣うことを誓いました。

 3月25日、日本軍精鋭第55師団【と中国語版Wikipediaに書かれていますが、第55師団は標準レベルではあったかもしれませんが、第33師団などと比べると精鋭とは言えなかっただろうと思います】の20,000名以上の攻撃に8,000名で抵抗し、トングー防衛の緒戦で勝利を収め、中国内外から賞賛を集めました。トングーの戦いは12日間続き、第200師団は高い戦意を持って敵と激戦し、800名が犠牲になりつつも20回以上の日本軍の襲撃を撃退し、4,000名以上の敵を死傷【原文では殲滅、全滅っぽいですが、誇張でしょう】させ、200名以上の捕虜を獲得しました。

 トングーの戦いの終盤には、右翼の英連邦軍は逃げることしか考えなかったため、日本軍の進撃を許し、結果として三方を敵に囲まれ、第200師団は包囲殲滅の危機に陥りました。最後の手段として、第200師団は北への脱出を命じられました。

 ↑の部分、文が良く分からないので大幅にはしょってます。「右翼の英連邦軍は逃げることしか考えなかったため、日本軍の進撃を許し」というのは、蒋介石がプローム方面の英連邦軍が攻勢に出て、トングーへの日本軍の圧力を弱めるように要求したのに、それがなされなかったことを意味しているのかもしれません。今後、『ビルマ 遠い戦場 上』の記述を使って調べる予定です。



 英語版Wikipeidaの参考文献を見ていると、『The Imperial Japanese Army: The Invincible Years 1941–42』という本の戴安瀾の登場する1ページがGoogle Booksで見られるので、そこを翻訳しますと……。

 ラングーンが陥落したのと同じ3月8日、中国第5軍の部隊の1つである戴安瀾少将率いる第200師団がトングー(タウングーとも表記される)に到着した。この陣地は、竹内寛の第55師団が2週間前に第17インド歩兵師団から奪取したシッタン川渡河地点から約150マイル北のシッタン川沿いにあった。

 戴の部隊がトングーでシッタン川渡河部を防衛するために掘り進むと、竹内の部隊はそれを掘り起こすために北上した。最初の交戦は3月18日に行われたが、主攻撃は3月24日に行われた。

 竹内は第112連隊で市街を正面から攻撃し、第143連隊で中国軍の陣地を包囲し、北へのアクセスを遮断し、戴の陣地を背後から攻撃した。後方の兵力が蹂躙されると、戴は過剰反応し、全指揮官をトングーの中心部の防衛境界線に撤退させた。

 3月25日早朝、竹内の2個連隊は南、西、北から攻撃を開始した。東側はシッタン川であったため、戴安瀾は1ヶ月前のジャッキー・スミス【第17インド歩兵師団長】と同じ状況、つまりシッタン川を背にした状況に陥った【スミス師団長は2月23日にシッタン鉄橋を過早に爆破してしまった咎も受けて解任されてしまっていました】。状況は、スミスのインド人部隊が農村地帯にいたのに対し、戴安瀾は都市【トングー】周辺の入り組んだ地形にいた点で異なっていた。このため日本軍は、日本陸軍が好んで用いた敵陣に潜入する戦術を比較的容易に用いることができた。一方、両軍とも大砲を使用することが難しくなったため、戦闘は多くの場合、近接戦闘となった。

 戦闘は3月26日まで続き、日本軍がトングーの西側を占領したため、大きな損害が出た。翌日には小康状態となり、両軍とも傷を癒すために後退したが、この離脱は日本軍が大砲を使用し、航空優勢を利用して空爆を行うことができることを意味するだけであった。
『The Imperial Japanese Army: The Invincible Years 1941–42』P279


 この本のこの文章、なかなかに分かりやすい感じにまとめられていて好感を抱くのですが、すでに資料が多すぎて管理能力を超えているのと、値段も割と高いので、手を出すのはやめておいて……(^_^;



 閑話休題。


 英語版Wikipeidaによると、第200師団はシッタン川を渡って北へ後退し、第22師団と合流。彼らはシッタン川を北上する日本軍の進撃を阻止し、4月25日にはビルマ中部のタウンギーを日本軍から奪ったとあります。

 その後の撤退中、5月16日に第200師団司令部が敵の待ち伏せに遭い、包囲を突破するも18日の戦闘で戴安瀾は腹部に重傷を負います。

 ビルマ北部の複雑な地形と降り続いた雨のせいで治療を受けられず、5月26日までに傷口は重度の感染症により侵食され、化膿し、穴が空いていました。死が近づいていることを感じた戴安瀾は衛兵に左右から抱き起こすよう命じ、北に向けて「反撃! 反撃! 中華民国万歳!」と叫び、モガウン【ミートキーナの西】で38歳で亡くなりました。

 遺体は火葬され、第200師団の残りの兵士達と共に中国に引き揚げられました。中国に戻った時、戴安瀾の棺を数万人が出迎え、国葬が行われました。1942年10月28日、フランクリン・ルーズベルト大統領は戴安瀾にレジオン・オブ・メリット勲章を授与し、アメリカから軍事勲章を受章した最初の中国軍人となったそうです。


関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

Twitter
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR