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1814年戦役に出てくる指揮官で、今までに拙ブログで調べていた人達一覧

 ひでさんと、コマンドマガジン52号『赤い夕陽のナポレオン』の解読プレイをしていました。






 私は1814年戦役についてまったく理解できていないのですが、指揮官系の話が好きなもので、プレイしていて「出てくるそれぞれの指揮官について知りたいものだ……」という知識欲がムクムクと……。


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 ただ、一部の指揮官についてはこれまでに拙ブログで調べたことがあったので、そこらへんをまとめてみようと思いました。


 これまでに拙ブログで取り上げたナポレオン関係の投稿は、↓でカテゴリ毎にアクセスできます。

ナポレオン戦争関係




 あと、↓で多数の指揮官についての記述をまとめていたので、そこから取り出してもみます(引用の□の中に書きます)。

『Great Generals of the Napoleonic Wars and Their Battles:1805-1815』序論から、ナポレオン戦争期の将軍達の色々な話 (2020/01/18)




■フランス軍

 フランス軍の指揮官については、ウジェーヌとかごく一部を除いては一人単位で調べたことがないので、ある程度のまとまりの中になりますが……。


 ネイ

Shakos『Napoléon 1806』に出てくるフランス軍指揮官の人物像まとめ (2018/08/23)

 貪欲さと大志は最も大きなモチベーションだった。ランヌ元帥〔仏:日W〕を褒めた人にナポレオンは言い返した。
「ランヌをそんな風に言うのは間違っている。ランヌとネイ〔仏:日W〕は、もし君の腹をかっさばくことが有利になると思えばそうする奴らだ。だが戦場では、それが無上の価値なのだ」

火のような赤髪のネイ、

 ネイは活力溢れる激励の言葉を多用した。
「躊躇するやつにのみ、死神が手を伸ばしてくる!」
 と彼は1814年のモンミライユの戦いで叫んだ。
「見ろ! 死神は俺には触ってこないぞ!」
 1年後、カトル・ブラで彼は言った。
「将軍、フランスは危機に瀕している。超人的な努力が必要だ。騎兵を率いて、イギリス軍の土手っ腹に突っこむんだ。やつらを倒せ! やつらを足下に踏みにじるのだ!」

 将軍達は、他の者とは超越した存在であるというイメージを作ろうとする傾向にあった。
 ネイ元帥は幕僚達と大きな距離を取っていた。行軍中も部隊の先頭よりさらに先におり、必要ない限り幕僚達に話しかけることもなかった。食事も一人で、自身の副官とさえ一度も一緒に食べはしなかった。彼は超然とした態度からのみ尊崇の念は得られると思っていたのかもしれないが、時にその度が過ぎていた。




モルティエ

モルティエ〔仏:日W〕は身長が2m近くあった。

 モルティエは1805年のデューレンシュタイン〔英W〕の戦いの時、兵士達を見捨ててボートでドナウ川を渡って逃げられるチャンスを拒絶した。
「ダメだ! 我々はあの勇敢な仲間達と離ればなれになってはならない。彼らと一緒に助かるか、あるいは一緒に死ぬかだ。」






■プロイセン軍


 プロイセン軍の指揮官については、↓で少しまとめたことがあったので、その中のものも引用で記します。

『戦争と平和』(AH)のプロイセン軍指揮官達 (2013/06/30)




ブリュッヒャー

ブリュッヒャーとフリードリヒ大王の喧嘩 (2012/07/28)
『ブリュッヒャーとプロイセン』第1回 (2012/10/08)
『ブリュッヒャーとプロイセン』第2回:スウェーデン軍の兵士となる (2013/03/22)
『ブリュッヒャーとプロイセン』第3回:1757年のブリュッヒャーとカール (2013/03/23)
1815年にブリュッヒャーが選ばれた理由 (2013/07/13)
ブリュッヒャーはなぜ最高司令官になれたのか? など (2014/01/23)
オラニエ公やブリュッヒャーの容姿について (2014/03/31)

 ブリュッヒャー〔普:日W〕は兵士達をやる気にさせる才覚がむっちゃあったタイプの指揮官。





ヨルク(ゲーム上ではヨーク)

 ヨルクはナポレオンによる1812年のロシア侵攻に、しぶしぶながら(フランス同盟軍とされていた)プロイセン軍団を率いて参加。しかしナポレオンの敗走の時に、プロイセン王の許可なしにロシア軍と協定を結んで独断でフランス同盟国から離脱。当初プロイセン王は激怒しましたが民衆はヨルクを歓呼し、後に王もそれを認めました。1813~14年戦役で活躍するも、1815年時には現役から遠ざけられて怒って引退(←だったと思うのですが、今ぱっと確認できず)。

 動じなさも賞賛されるべきだろう。ヨルク〔普:日W〕は1814年3月30日のパリ郊外で、自分のすぐ側に立っていた兵士が銃弾を受けて自分に倒れてくるのを見て言った。
「なんでこいつは、俺にこんなにひっついてくるんだ?」




クライスト

 クライストは1813~14年戦役で活躍。Laonの戦いではナポレオン自身に対して勝利を収めたとか? 1815年当初は西方ドイツのプロイセン軍を指揮し、ナポレオンと戦うことになるはずだったのですが、プロイセン王がその任をブリュッヒャーに任せることに決めたため、激怒したとか。なんかここらへんそういうの多い?(また調べます……)





ビューロー

ビューロー将軍について、まとめ (2016/02/18)

 ビューローも1813~14年戦役で活躍……しかし1815年戦役では、多くの将官がグナイゼナウより序列が上にならないようにするために外されていて、ビューローは唯一のグナイゼナウより序列が上の指揮官として1個軍団を指揮するも、グナイゼナウと仲が悪く&グナイゼナウがビューローの機嫌を損ねないように命令を丁寧に書きすぎて意図が良く伝わらず、ビューロー軍団の行動が遅れリニーの戦いに間に合わず。しかしそれが後に幸いして? ワーテルローの戦いにビューロー軍団を振り向けることができました。1816年死去。




ホルン(ゲーム上ではホーン)

ナポレオン戦争で戦ったプロイセン軍のフォン・ホルン将軍について (2024/04/04)





■オーストリア軍

シュヴァルツェンベルク

シュヴァルツェンベルク将軍について (2016/12/31)

シュヴァルツェンベルク〔墺:Biography: シュヴァルツェンベルク元帥〕は複数の国を協力させるという点で、他の指揮官にない能力を持っていた。





ヴレーデ(ゲーム上ではヴァーデ)

フェルトヘルンハレに顕彰されたヴレーデ元帥 (2015/03/28)
『ナポレオンとバイエルン』から、ヴレーデ元帥について (2018/07/14)



 あと、ヴュルテンベルクというのは、↓の同名の長男?

オイゲン・フォン・ヴュルテンベルク公について、まとめ (2018/09/02)




■ロシア軍

ランジュロン(ゲーム上ではランジェロン?)

ランジュロン将軍について (2014/09/09)

 ↑を見ていると、ザッケンやヨルクについても少し出てきていました。




バルクライ

バルクライ〔露:日W〕やクトゥーゾフも、多種兵科に通じていた。








 他の指揮官についても、軽く調べて、簡潔で面白い一覧とかにできたらなぁ……とも思いますが、手間がかかりますからどうなるか……(^_^;

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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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