fc2ブログ

OCS『Beyond the Rhine』のマップ上にBCS『Arracourt』のマップを重ねてみました

 アメリカ軍戦車が活躍して、アメリカ人のミリタリーファンにとっては非常に有名らしい「アラクールの戦い」について私は何も分かってないので(多分、日本ではそれほど有名ではないのでは……一応、ドイツ軍の装甲旅団というのがうまくいかなかった話だというくらいの知識です)、ふと思いつきまして、OCS『Beyond the Rhine』のマップ上にBCS『Arracourt』のマップを重ねてみました。



 「アラクールって、ルール工業地帯の周辺あたりなのかなぁ~」と思って探していたら、全然違いました(>o<)


unit8394.jpg


 ↑が『Beyond the Rhine』のフルマップ4枚全景で、その南の方に赤い□で囲んだ部分がBCS『Arracourt』の範囲です。
(両作品とも北が上ですが、『Arracourt』のマップを少し傾けた方がより地形に一致しそうだったので傾けました)




 ↓BCS『Arracourt』のマップ周辺をより拡大したもの。

unit8393.jpg


 メッツ(Metz)、ナンシー(Nancy)などが近くにあります。

 見ていて気付いたのが、プランサンセット5号のOCS『Beyond the Rhine』の記事に書いていた、日系2世アメリカ軍部隊の第442連隊戦闘団が苦闘した「ブリュイエール(ブリエア)」や「失われた大隊(Lost Battalion)救出作戦」の場所が近いのではないかということで、確認してみたら前者がB、後者がLの場所でした。おおおお……。

 前者が1944年10月20日、後者が10月30日の話で、一方で「アラクールの戦い」は9月18日頃からの話らしいので、それより前の話だということになります。





 ↓BCS『Arracourt』のマップ部分をアップにしたもの。

unit8395.jpg


unit8396.jpg


 BCS『Arracourt』マップの南側にリュネヴィル(Luneville)の街がありますが、そこしかOCS『Beyond the Rhine』に地名が記されている場所がなかったので苦労しました(>_<) BCS『Arracourt』のマップ中央より少し上あたりにヘクスが赤く囲まれているのがアラクールの小村で、その北の方にシャトー・サラン(Château-Salins)の町、またマップ北東端にデューズ(Dieuze)という村があります。

 OCS『Beyond the Rhine』は1ヘクス3.5マイル(約5.6km)で1ターン3.5日ですが、BCS『Arracourt』は1ヘクス1kmで1ターン1日です(9月18日ターンから30日ターンまで)。




 手持ちの資料で、アラクールの戦い周辺の事情についてある程度記述のあるものを探してみた(アラクールの戦いだけを扱った本は当然ながら持っていないので(^_^;)ところ、『Atlas of the European Campaign 1944-45』に1ページ弱ほど、周辺事情について書かれていました。

 で、それを和訳してみつつ、数ページある関係地図に目を通していて、気付いたのが……。

「あれ、アラクールの戦いって、OCS『Beyond the Rhine』のキャンペーンゲームが始まって割とすぐの戦いじゃないか!?」

 ということ(気付くの遅すぎ……?)。


 OCS『Beyond the Rhine』は1944年9月5日ターン(メッツの攻略戦が始まった日)から始まります。しかも……。

 9月5日ターン(メッツ攻略戦開始)
 9月8日ターン(ナンシー周辺へのアメリカ軍攻勢)
 9月12日ターン(アメリカ軍のナンシー包囲への動きに対して、ヒトラーがマントイフェルに反撃を命じる)
 9月15日ターン(マーケット・ガーデン作戦開始/アラクールの戦い開始)
 9月19日ターン(アラクール周辺でのドイツ軍装甲旅団による反撃、そして失敗)
 9月22日ターン(マーケットガーデン作戦中止/米軍はアラクール周辺で防御しやすいラインまで撤退)
 9月26日ターン
 9月29日ターン(アラクール周辺の戦いが終わる)



 って、完全にマーケット・ガーデン作戦と同時期の戦いだったのですね……! 私はもっともっと後の、もしかしてバルジの戦いより後の話だと思ってました(^_^;(だって、アメリカ軍戦車部隊がパンター部隊に対して大活躍っていうし……)


 でもそうすると、OCS『Beyond the Rhine』のキャンペーン開始すぐの目玉として、北方ではマーケット・ガーデン作戦、南方ではメッツ攻略戦とアラクール周辺の戦いというのが、完全にあったわけですね(アメリカ人大歓喜!?)。私はメッツ攻略戦というのは一応ある程度理解していたものの、アラクールの戦いというのはまったく理解していませんでした……。


 しかも、以前少しやったOCS『Beyond the Rhine』のキャンペーンで、私はまさにメッツやナンシー周辺のパットン第3軍を指揮していたという……(そして、ナンシー周辺で戦っていたのですが、ライン川近くへ米軍戦車部隊を突進させてドイツ軍装甲旅団に壊滅させられかけていたのです……バキッ!!☆/(x_x))。

 例えば……
OCS『Beyond the Rhine』フルキャンペーン第2ターン後攻 (2019/05/04)
OCS『Beyond the Rhine』フルキャンペーン第4ターン先攻連合軍 (2019/06/23)

 当時のキャンペーン序盤プレイへのリンク集は↓こちら。
OCS『Beyond the Rhine』6.1 キャンペーンゲーム





で、OCS『Beyond the Rhine』のキャンペーンのセットアップ画像に、『Atlas of the European Campaign 1944-45』のマップ画像による戦線や地名を記入したものを作ってみました。

unit8392.jpg

 9/5?が実線、9/15が少し破線(突破されてて戦線に隙間あり)、9/20がかなり破線(同前)、9/25は戦線が下げられた状態で濃紺でむっちゃ破線になってます。


マップ82:ナンシー周辺での第12軍団橋頭堡 1944年9月

 【麾下のアメリカ第3軍の】北側のメッツ近郊での戦いに苦戦していたため、パットンは【第3軍麾下の南側の】第12軍団にナンシー近郊での渡河を試みるよう指示。9月10日から11日にかけて、米第35歩兵師団がナンシーの南でモーゼル川を越える足掛かりを得たため、独第15装甲擲弾兵師団が反撃。米第4機甲師団の戦闘司令部Bはバイヨン(Bayon:『Beyond the Rhine』のB25.09?)運河の浅瀬を発見。この地域のモーゼル川の流れは戦車を押し流すのに十分なほど浅く、戦闘司令部Bはすぐにこの橋頭堡から移動しました。9月11日夜、米第35師団隷下の第137歩兵連隊は戦闘司令部Bと合流し、橋頭堡から押し出し始めました。ナンシーの包囲を完成させるため第4機甲師団は9月13日早朝、米第80歩兵師団が以前に占領したデュールアール(Dieulouard:『Beyond the Rhine』の38.11? )橋頭堡で川を渡河。この橋頭堡はドイツ軍の激しい攻撃を受けていましたが、戦闘司令部Aはドイツ軍の攻撃を撃退し、ナンシーの北、シャトー・サラン(Château-Salins:BCS『Arracourt』マップ北端)方面への進攻を開始しました。

 米第4機甲師団によるナンシー包囲の可能性はベルリンで大きな警戒を引き起こし、ヒトラーは独第5装甲軍にパットンの先鋒を粉砕するよう命令。これは、ヒトラーの計画したヴォージュ県(ナンシー南部の、エピナル(Epinal)を中心とする県)への装甲攻勢のために蓄積されていたリソースを利用したものでした。この攻勢に投入されるはずだった2個旅団は、すでにこれまでに米第3軍に対する局地的な反撃で浪費されていました。第108装甲旅団は9月8日のメイリー(Mairy:場所特定できず)近郊での第90師団との戦闘で、第112装甲旅団は9月13日、ドンペール(Dompaire:EpinalとVittelの中間地点。20.11辺り)近郊でフランス軍第2機甲師団との戦闘で。9月18日、第5装甲軍はリュネヴィル(Luneville)近郊で第4機甲師団の側面を攻撃するために3個装甲旅団の一部を派遣。第111装甲旅団はその市街への進路中で米第42騎兵中隊と衝突し、他の2個旅団が目標に到達できなかったため、攻撃は頓挫。

 9月19日、第113装甲旅団はアラクール周辺で第4機甲師団戦闘司令部Aへの攻撃を開始しましたが、この攻撃は大きな損害を出して撃退されました。翌日も戦闘は続き、第111装甲旅団は一連の激しい戦車戦に参加。アラクール周辺の戦闘司令部A部隊を制圧することができず、9月22日にはデューズ(Dieuze:BCS『Arracourt』マップの北東端)方面に攻撃の焦点を移しましたが、結果は芳しくありませんでした。これらのバラバラな攻撃はこの2個装甲旅団を焼き尽くし、攻撃が再開されたのは9月24日のことで、独第11装甲師団が南東から、独第559歩兵師団が北からアラクールを攻撃しました。

 9月23日、ブラッドレーはパットンに、補給の問題から米第3軍は守勢に転じざるを得ないので、これ以上ザール方面(独仏国境地帯)への進攻を中止するよう指示。その結果、9月25日、第4機甲師団戦闘司令部Aはアラクールに近い、より防御しやすいラインまで撤退。ドイツ軍の攻撃はアラクール周辺に沿って数日間続きました。9月29日、アラクールの東の丘陵地帯で戦闘が激化する中、G軍集団の新司令官ヘルマン・バルク大将はバート・クロイツナッハ(Bad Kreuznach)の司令部にフォン・ルントシュテット西方総軍司令官を訪問。バルクはルントシュテットに、少なくとも140両の戦車とより多くの砲兵の増援を受けなければ、ロレーヌ地方(メッツ、ナンシー、エピナルなどを含む地方)でパットンに対する攻勢行動を継続することは不可能であると告げました。フォン・ルントシュテットは、いかなる増援も問題外であると答え、ヒトラーの目的を達成することなくロレーヌ地方の装甲攻勢が終了することを黙認。2300時、バルクは第5装甲軍に攻撃中止を通達。ボロボロになった第11装甲師団は戦線から離脱し、防御陣地を確保。

 その結果、アラクールの戦闘は膠着状態に終わり、ヒトラーのヴォージュへの装甲攻勢のために蓄えられたリソースの大半は、パットン率いるアメリカ第3軍に対するバラバラの攻撃のために浪費されてしまったのです。
『Atlas of the European Campaign 1944-45』P180





関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

今までの訪問者数(2011/9/17以降)
プロフィール

DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

 ブログで書いた物のうち、

 OCS関係の記事は

「OCSの物置2」



 戦史物の記事は

「戦史物の物置」


 で、アクセスしやすいようにカテゴリ毎にまとめてありますのでそちらもどうぞ。

Twitter
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
オススメ本
バナーで応援コーナー
ぜひ見て頂きたいページへのリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR