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『ビルマ 絶望の戦場』読了:ビルマ戦末期にラングーンの上級将校達が芸者遊びしていたことについて

 ようやく『ビルマ 絶望の戦場』を読了しました。


 途中、ビルマ戦末期にラングーンの上級将校達が芸者遊びしていたことについて結構詳しく書かれていまして、とりあえずその場所が気になったので調べてみてました。



 ラングーンの上級将校が芸者遊びに励んでいた場所が、先述した料亭「萃香園(すいこうえん)」である。萃香園は、もともと福岡県久留米市にあった高級料亭が、芸者ら数百人をつれて、ラングーンに出店。上級将校専用の慰安施設となっていた。
『ビルマ 絶望の戦場』P167



 ラングーンの中のどこにあったのかですが、最初は「ペグークラブ」という洋風の建物の中で営業していたそうですが、1943年末に「雰囲気が合わない」という理由で、ヴィクトリア湖畔に移された(P175)のだとか。


 ↓OCS『South Burma』(仮)のラングーン周辺。ラングーンの北東に「Pegu」という町がありますが。

unit8417.png



 ペグークラブの場所は、↑で言えばラングーンの港湾マークの上の頂点あたりでしょうか。

 ヴィクトリア湖というのはラングーン市内に描かれている湖です。当時萃香園は、ビルマ方面軍司令部が接収して使用していたラングーン大学の隣にあったそうで、ラングーン(ヤンゴン)大学は湖の南西にあるようなので、その辺という感じでしょうか。



 上級将校らがどれくらい遊んでいたかについて、「自動車が常に二、三十台は集り賑を極めている」(P169)とあったので、なるほどなかなかかと思いました(営業時間は夜9時から午前2時)。芸者さんは「久留米から約100名、大牟田と福岡を合わせて約30名」がビルマへ行ったそうですが、そのほとんどは家が借金を抱えていて、ビルマへ行けば借金が返せるという話で行った人達だろうとのことです(P173)。

 また、ある芸者さんの話としてこういうのが挙げられていました。

「自分を美化していう訳ではありませんが、私は軍人なら誰かまわず寝るような芸者ではありませんでした。そのためには、パトロンを持つのが大事なのです。あの芸者は誰々の彼女だ、となると他の軍人さんは手を出さない。それに私達には入らないような煙草などの品物も差し入れてくれるんです」
『ビルマ 絶望の戦場』P174




 前線の兵士達が言語に絶するほどの苦難に喘いでいたビルマ戦末期にも、この萃香園で上級将校達が享楽にふけっていたことが、当時の方面軍上層部の退廃の象徴として、この本で描かれていました。



 ただ、この本だけを読んだ人(あるいは、このNHKスペシャルを見た人)は、「こういう慰安所はラングーンだけにあって、上級将校らだけの特権であった」という風に思うのではないかなぁと思ったのですが、実際にはそうでなくて、兵士向けの慰安所がビルマ各地(あるいはインドや中国領内にまで)にあったわけです。しかも、こういう慰安所にものすごく反対したのが、あの悪名高い辻政信だったのですが、まあ話がややこしくなりすぎるのでそこらへんの話には触れなかったのでしょうね~。


 あと、当然ながらビルマ戦における英連邦軍側にも慰安婦はいました(上級将校専用とかって枠があったかどうか、興味のあるところですが……)。

インパール戦洋書をちょっと読んだ感想(慰安婦、日本軍兵士の強さへの記述等) (2020/03/06)



 ビルマでどこらへんに日本軍の慰安所があったかについては、↓のような地図がありました。

日本軍慰安所マップ ミャンマー連邦共和国




 あの玉砕した拉孟にも慰安婦はいて、一緒に玉砕しているので、ものすごく悲劇的なわけです……。

 木下中尉の報告により、とりのこされた女性部隊の約二十名も戦禍にまき込まれたことが判明した。彼女らは髪を下ろし、軍服を着用して男姿に身をやつし、准看護婦 (?)となって、傷病兵の看護に、弾丸運びに、あるいは炊事にと、かいがいしく働き、最後は大部の者が玉砕部隊と運命を共にしていったことが明らかにされて、なんとも痛ましく聞くにたえなかった。
『回想ビルマ作戦 第三十三軍参謀痛恨の手記』P237



 第33軍(北ビルマと雲南が戦区)の参謀となっていた辻政信が前線の慰安婦を全員引き上げさせるべきだと主張して、最終的に第33軍ではそのようにしたという経緯が興味深いので、長いですが引用してみます。

 現在、慰安婦のことが大問題になり、にぎにぎしく報ぜられているが、あの当時は公娼制度があったので、いまのような罪悪感は比較的少なく、必要悪ぐらいに考えている者が多かった。戦場は、男性の戦う場で、女性はいないはずであったが、事実は慰安婦と称して多くの女性が進出していた。彼女らはたくましく、じつに勇敢で、どんな辺鄙なところでも、どんな危険なところでも、軍隊の征くところにはどんどん進出していた。
 拉孟のような最前線で危険なところにも、日本人、朝鮮人あわせて約二十名の慰安婦が進出していたが、敵の総反攻時に取り残されて戦火にまき込まれた彼女らの大部が、玉砕した将兵と運命を共にしたことは、すでに述べたところである。
 その衝撃は大きかった。なかでも辻【政信】参謀の受けたショックは大きかった。
 辻参謀の女嫌いは有名で、戦場に女性を連行するなどもってのほかと大反対であったが、南京では料理屋征伐のため、料亭の焼き打ち事件までひき起こしたことは有名で、その噂は遠いビルマの涯(はて)のわれわれの耳にも入っていた。ラングーンの方面軍では、翠香苑という料亭を抱えており、軍【第33軍】でも翠明荘という料亭をかかえていた。辻さんは、ここに絶対に足を踏み入れたことはなく、かねてからこれを白眼視していた。拉孟守備隊が玉砕したとき、慰安婦たちが将兵と運命を共にしたことを知って、婦人部隊は即時かつ全面的に後方に送り返すべきだと強く主張した。
 辻参謀の論拠は、「戦局は今後ますます深刻苛烈となり、第二、第三の玉砕部隊が出ることも予想される。戦闘員でもないか弱い女性を戦火のまき添えにすることは、余りにも残酷だ。犠牲はわれわれ軍人だけで沢山だ。今さら女にうつつを抜かしているときではあるまい」ということであった。

 これに対して、山本【清衛。第33軍】参謀長は絶対に反対だった。参謀長は、酸いも甘いもかみ分け、人情の機微にも通じた豪放磊落の将軍で、酒を愛し、みずからもよく遊んだが、
「戦局が苛烈になればなるほど婦人部隊が必要なのだ。明日をも知れぬ運命にある将兵に、せめて一時なりとも苦しい戦いを忘れさせて、安らぎの場を与えてやりたいものだ。この戦争は国家総力戦で、戦闘員も非戦闘員もない。老若男女がことごとくその分に応じて、力を尽くさなければ勝ち目はないのだ。婦女子といえども戦力だ。
 いよいよというときは軍属として処遇し、准看護婦その他の面で戦力化すればよい。死なせることは気の毒だが、戦死した場合は、後の救恤、栄典の授与、遺族の生活の補償など、軍人に準じて取り扱ってやればよい。靖国神社にもまつり、その遺烈を顕彰してやればよいではないか」と主張した。
 こうして二人の意見の対立はエスカレートして、ついに感情的なものにまで発展した。辻参謀は、山本参謀長に "祇園藤次〟というニックネームをつけて、軽蔑の色をあらわにした。“祇園藤次"とは、当時広く読まれていた吉川英治原作の小説『宮本武蔵」に出てく酒と女に身をもち崩した遊蕩児である。
 一方、山本参謀長は、「辻の顔は北面の鬼瓦だ。あの御面相では女にもてないので、僻(ひが)んでいるのだろう。辻は人情の機微がわからない朴念仁だ。しかし、子供が五人もいるところを見れば、満更でもないね」と、冷笑していた。
 こうして二人の対立は高まるばかりであった。私も、二人の論争にまき込まれて、少なからず迷惑した。この問題は、後方主任参謀の所管だということで、その尻ぬぐいをさせられる羽目になり、後方主任参謀の筆者をはさんで、二人の間に綱引きがはじまったからである。
 辻参謀からは、「早く後方に送り返せ」と、毎日のように矢の催促があった。一方、参謀長はこれに反対して、「野口参謀は辻の参謀でないから、辻の言うことを聞く必要はない」とまで極言されて、要求を拒否するように言われた。
 参謀長の言うように絶対必要とも思われないが、その考え方にも傾聴すべきものがある。辻参謀の意見にも一理があるが、あまりにも潔癖すぎる。ただし、正面切って争うとなると、辻参謀の意見に分があった。私は考え抜いたすえ、辻参謀の意見に同意して、全部の女性を後方に退げることに決心した。
 それは、直接作戦に関係のない事柄で論争をつづけて部内の対立を深め、エネルギーを費消してはならぬ、女性が存在する限り、この論争は片づかないと思ったからであった。
 私はまず翠明荘を後退させるとともに、第一線の部隊にも全部の女性を後退させるように指導した。
 しかし、私のとった処置に対しては、山本参謀長をはじめ一部の者から、
「野口参謀はなんと無粋な奴だ」と陰口をたたかれている声を耳にして、後味が悪かった。
 また、私の指導に対して面従腹背で、陰でひそかにコソコソと温存していた部隊もあった。遠くて近きは男女の仲とかで、この問題は理屈どおりに割り切れないものがあった。
 私のとった処置が適切であったかいなかは別として、その後の敗戦につぐ敗戦での敵中突破や、終戦後の混乱の中で、女性を抱えていなかったので、面倒くさいことに煩わされなかったのは事実であった。
『回想ビルマ作戦 第三十三軍参謀痛恨の手記』P238~241




 ビルマ方面軍でもし、辻政信が主張したような方策が実現していたら、美談になっていたかもですけども……。





 
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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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