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クリミア攻略戦の指揮を執る直前に戦死したリッター・フォン・ショーベルト将軍について

 OCS『Crimea』のヒストリカルコメンタリーを訳していまして、クリミア攻略戦の指揮を執る直前に戦死したというリッター・フォン・ショーベルト将軍(ドイツ軍の将軍で第二次世界大戦中に最初に(前線で?)死亡した。また、その後任がフォン・マンシュタインでクリミアを攻略した)について興味を持ったので、調べてみました。


Eugen von Schobert

 ↑リッター・フォン・ショーベルト将軍(Wikipediaから)


 簡潔で分かりやすかったので、日本語版Wikipedia「オイゲン・フォン・ショーベルト」の記述をまず挙げてみます。

ヴュルツブルクにバイエルン王国軍少佐の息子として生まれる。1902年7月にバイエルン王国軍に入隊。1904年に少尉に格別の優秀な成績によりルイトポルト・フォン・バイエルン王太子に賞されて任官。第一次世界大戦では全期間を通じて西部戦線に従軍、塹壕戦や浸透戦術に格別の能力を示し、負傷すること数回。その功によりバイエルンの最高軍事勲章であるマックス・ヨーゼフ勲章 騎士章を受章し、騎士(Ritter)の称号を叙された。第一次世界大戦終了後もヴァイマル共和国軍に留まることができた。1929年にベルリンに転属となり、高級参謀教育を受ける。1933年12月に歩兵総監に就任。第17歩兵師団、第33歩兵師団(ドイツ語版)長を経て、1938年2月に歩兵大将に昇進し、直後に第7軍団司令官に任命された。

1939年9月のポーランド侵攻時には南方軍集団に所属した第7軍団を指揮し、フランス侵攻時にもA軍集団の第16軍に所属した同軍団を指揮した。1940年6月29日に騎士鉄十字章を受章。1940年9月に第11軍の司令官に就任した。1941年6月のバルバロッサ作戦では第11軍は南方軍集団に所属した。

しかし、作戦偵察中に搭乗していたシュトルヒ偵察機がソ連軍の地雷原に墜落し、パイロット共々戦死した。1941年9月15日に葬儀が執り行われた。

フォン・ショーベルトはナチズムの信奉者として知られており、第11軍司令官当時にはソ連軍の政治将校や政治活動をする占領地の民間人を即時処刑するよう命じた「コミッサール指令」を下達している。


 ドイツ語版Wikipedia「Eugen Ritter von Schobert」によると、ナチズムの信奉者として活動していたことから恩恵を受けて出世が早くなったそうです。ただし、1939年10月に第16軍の司令官に同輩のエルンスト・ブッセが任命された時に、挫折を味わったとか(ブッセも同様にナチズムの信奉者でしたが、フォン・ショーベルトの方が先任?であったので)。


 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』の第7軍団司令部ユニット。

unit8481.jpg



 ↓OCS『The Blitzkrieg Legend』キャンペーンの初期配置上の第7軍団司令部の位置。

unit8480.jpg




 バルバロッサ作戦中にフォン・ショーベルトの第11軍司令部は、ルーマニアの名目上の最高司令官アントネスクの参謀として機能したとかなんとか……ってことも少し興味深いのですが、そこらへんはOCSでゲーム化されていないので無視しまして(おい)、OCS『Crimea』のマップ上の出来事としましては……。


 ↓OCS『Crimea』のシナリオ1の初期配置。

unit8477.jpg



 8月12日、フォン・ショーベルトはドニエプル川に向かって進撃し、クリミアへ入るためにそこに橋頭堡を確立するようにという新たな命令を受け取りました。ソ連軍とは後衛との局的な小競り合いがあっただけで、ドニエプル川北岸のBerislav(Beryslaw)にはすぐに到達することができました。

 Berislavは赤い○のF17.35の北側のヘクスだと思われます。スターリンはドニエプル川の線を何としてでも保持するよう命令していたため、8月30日から9月5日までこの地域で激しい戦闘が展開されましたが、その間にフォン・ショーベルトはドニエプル南岸に橋頭堡を形成することに成功します。そして9月10日までにはソ連軍をメリトポリ方面に押し返しました(赤い破線の矢印)。

 さらにフォン・ショーベルトが投入した第54軍団の偵察部隊はクリミア半島への入り口にあたるペレコプ地峡まで進みました(赤い実線の矢印と、赤い□)が、そこで激しい抵抗に会い、小兵力の急襲だけでは突破できないと思われると報告します。

 その同じ9月12日、フォン・ショーベルトはフィーゼラー・シュトルヒに乗り込み、先遣師団の司令部へと飛びました。理由は不明ですが、おそらくはソ連軍の機関銃による対空射撃のために着陸せざるを得なくなってソ連軍の地雷原に突っ込み、直後に機体は爆発。フォン・ショーベルトとパイロットの両名は死亡したのです。

 1941年9月16日、ブク河口の軍港ニコラエフの第11軍司令部では、前任司令官リッター・フォン・ショーベルト上級大将の葬儀が執り行われていた。ショーベルト将軍は、空中偵察の際にソ連軍地雷原に不時着、爆死してしまったのだ。葬儀はしめやかな弔意にみちていた。
 しかしその一方で、参謀長ヴェーラー大佐の以下の第11軍首脳部は不安を禁じ得なかった。新任司令官【フォン・マンシュタイン】は第11軍の担当している東部戦線の南端、最右翼の部隊という重圧に耐え得る人物だろうか? 前任者のショーベルトはバイエルン人らしい率直さで軍の信頼を勝ち得たものだった。プロイセン人だという新任司令官はうまくやれるか? 第11軍の指揮下には山岳猟兵(ゲビルクスイェーガー)が多い。彼らの多くはバイエルン人なのである。
『灰緑色の戦史 ドイツ国防軍の興亡』P162

 ショーベルトが干渉しないタイプの司令官だったのに対し、マンシュタインはすぐにあらゆる作戦立案の中心となっていった。
『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』上P352,3


 ショーベルトは第二次世界大戦で亡くなった最初のドイツ軍の将軍であり、ヒトラーの命令によってドイツ国内で盛大な葬儀が営まれたそうです。

 東部戦線における処刑などに関するフォン・ショーベルトの関与等も、前掲ドイツ語版Wikipediaには色々記載されていました。




 フォン・ショーベルトの死後5日目の9月17日に、フォン・マンシュタインは第11軍司令部に到着しました。

 攻撃に先立ち、【第11】軍司令部はロストフとクリミヤの両正面の指揮がしやすいアスカニア・ノヴァ【赤い☆印の湿原地帯】に移っていた。ここには有名な動物園【広大な野生動物保護区】があり、多くの動物が放し飼いにされていた。作戦主任参謀のテオドル・ブッセ大佐が作戦立案に熱中していると、迷い込んだ鹿に突きとばされたなどという珍事も起こったのである。
『灰緑色の戦史 ドイツ国防軍の興亡』P166


(ただしゲーム上では第11軍司令部はヘルソンの方に置かれています)



 OCS『Crimea』の(時期的にも)最初のシナリオであるシナリオ1:「通過儀礼」は、41年9月26日ターンから始まります(12月26日ターンまでの28ターン)。史実では攻撃自体は9月24日に始まり、きわめて激しい戦いで、数百年前にタタール人によって築かれた壕まで前進。そして、26日のその壕と壁への強襲が始まったもののようです。

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