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牟田口廉也が非難する三人の師団長にも問題はあった?

 今回『都道府県別 陸軍軍人列伝』を読んでいて、もう一つ「ほお?」と思ったことがありました。


 著者の藤井非三四(ひさし)氏が、「牟田口廉也が非難する(インパール作戦時の)三人の師団長にも問題はあった」と書かれていたことです。これまで読んできた本では、とにかく牟田口廉也が非難される超悪役であり、罷免された3人の師団長は皆「善人」側とされるのが当たり前であったと思われましたので。

 司令官の牟田口廉也は、戦後の回想を見ても、それほど悲劇だとは感じていないようだ。すべての責任は、隷下三人の師団長にあり、もう少しで勝てた作戦であったと強弁し、あれほど凝り固まる人は佐賀県人でも珍しいと評された

 もちろん、牟田口廉也が非難する三人の師団長にも問題はあった。抗命して独断退却した第31師団長の佐藤幸徳(山形、25期)は政治色が濃く、自分が東條英機(岩手、17期)の後釜に座るという妄想にかられていた。作戦中に作戦中止を具申した第33師団長の柳田元三(長野、25期)は、陸大恩賜の秀才だが、本来は情報畑育ち。第15師団長の山内正文(滋賀、25期)は、駐米武官もした米国通だが、どう見ても野戦向きではないし病気がち。そんなことで三人とも作戦中に罷免されるという珍事となった。
『都道府県別 陸軍軍人列伝』P611




Kōtoku SatōGenzou YanagitaMasafumi Yamauchi

 ↑佐藤幸徳(第31師団長)、柳田元三(第33師団長)、山内正文(第15師団長)(Wikipediaから)




 3人についてそれぞれ詳細を調べるのは大変なので、これまで収集していた情報から、3人の「悪い面(?)」と思われるような記述だけを抜き出してみようと思います(もちろん、「良い面」の記述も大量にあるわけですが)。

 佐藤幸徳の場合は、その性格の激しさにおいて、牟田口と四つ相撲を引き分けるほどのものを持っていたのだから、意見が合えばその力は2倍になるが、そうでないときは、逆に大変なマイナスに転ずる危険性が潜在していたのだ。コヒマの戦闘では、後者の方が悲運を招来してしまったのであった。
『陸軍参謀 エリート教育の功罪』P360,1

 偶然、この師団【張鼓峰事件での第19師団】には長【勇】、佐藤幸徳、田中隆吉と札つきの荒武者が連隊長にいたため、日本軍の徴発か陰謀と疑われたが、これはヌレギヌだったようだ。
『昭和史の軍人たち』P196

 高野手記に出てくる佐藤幸徳は、のちにインパール作戦で抗命退却を強行した異色の人物だが、このころは広島連隊付として統制派の拠点づくりに熱中、福山連隊にいた皇道派の相沢中佐を孤立させ、あわよくば統制派に引きこもうと工作していた。
『昭和史の軍人たち』P468

 中【永太郎参謀長】は佐藤を「豪放と小心とを兼有する人物であり、政治に興味を持ち、よく大言壮語したものである」と手厳しい。
『牟田口廉也とインパール作戦』P265

 中佐時代に始まる牟田口との関わりからか、佐藤には上司指揮官を指揮官とも思わない発言や、命令を軽く見る兆しが見られた。後の危機存亡の中、これを更迭することは、むしろ牟田口が軍紀を守ったという見方もできる。
『牟田口廉也とインパール作戦』P293

土門周平によるとインパール作戦時には、上司の牟田口中将とだけでなく、部下の第31歩兵団長である宮崎繁三郎少将とも折り合いが良くなかった。宮崎は、食糧が十分でない前線部隊にまで佐藤が慰安所を設けようとしたことや、宴席で率先して猥談をしたこと、公然とインパール作戦の失敗を予言していたこと、テント暮らしの兵士を尻目に数寄屋造の豪華な師団長宿舎を造らせていたことなどを不快に感じていた。
日本語版Wikipedia「佐藤幸徳」





 第33師団長の柳田元三中将と参謀長田中鉄次郎の激しい反目がそれであった。そもそも二人の性格は氷炭相容れなかった。柳田はすべてに慎重で消極的にさえ見られるのに対して、田中は猪突猛進の積極型であった。
『陸軍参謀 エリート教育の功罪』P359

 彼【中永太郎参謀長】は柳田を生一本の「正義の士」と表現する。理屈に合わないことが大嫌いと言い、時に柳田は偏狭とさえ見られると心配する。ソ連関係の権威だけに、物量に重点を置き過ぎると警鐘も鳴らす。
『牟田口廉也とインパール作戦』P264

 そして、インパール作戦となる。柳田ほどの情報センスがあれば、インパール作戦の行く末も予測できる。そのため、「危ない、危ない」と及び腰になっているから、思いもよらぬ錯誤を犯す。
 敵の頭を押さえていた第一線から、「玉砕覚悟で奮闘す」との報告が来ると、「大変だ玉砕させてはならぬ」と包囲を解かせてしまった。それからはさらに慎重になり、インパールに向けての突進を渋り
、軍司令部に「即刻、作戦中止」の意見具申をするまでになった。
 インパール作戦と言えば、牟田口廉也ばかりに非難が集中して来たが、彼が柳田元三に激怒する気持ちもわかる。猛烈な譴責電が発信されるが、柳田も負けてはおらず、作戦構想そのものを批判し、ほかの二個師団に同じ過ちをさせてはならないとまで言い切った。
 こうして柳田元三は、師団長に着任してからわずか二ヵ月、しかも作戦中に更迭された。理路整然と説けば、だれでも納得するはずとの信州人の思い込みが、こまた偏屈で理屈が多く、しかも感情激発型の佐賀県人には通じなかったということになる。
『都道府県別 陸軍軍人列伝』P292,3





 中【永太郎参謀長】は山内を「実に穏やかな人柄」と言い、真面目な米国通で中国語も堪能と評価する。山内は「うちの兵団(第15師団)はご承知のとおり、支那戦線から押っ取り刀で駆けつけてきたので、様子も皆目わからず準備も未だ十分ではない」と正直に話す。【……】山内はご命令通り一生懸命やると言うが、自信はあまりなさそうだったと中は感じている。参謀長の岡田菊三郎少将は往々夫人を亡くしたばかりだったが、そんな素振りは一切見せず、張り切って作戦準備に専念していた。山内が岡田を信頼しきっている様子も看守されたという。
 後日のことだ。メイミョーの兵站病院に重篤となった山内中将を中参謀長は見舞った。その時でさえ、山内は自分が既に罷免されたことを知らされていなかったらしい。後送されて床にいることもわからず、死相も呈していた。顔面を緊張させ、頻りに「申し訳ない」と繰り返す。また高熱にうなされ、うわごとのように戦場の地名を呼び、何やら命ずるように言ったかと思うと、眠ってしまうという状態だった。この数時間後に山内は絶命した。中は「自分が山内に最後にあった知己ではなかったか。実に見上げた人格であった」と述懐している。
『牟田口廉也とインパール作戦』P265



 私は、どんな人物も長所と欠点の両方を持っているものだと思うので、いわば「善人」側だとされていたであろうこの3人の欠点についても、検証されなければ牟田口廉也に対して不公平だという気はします。

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