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OCS『South Burma』(仮)製作のために:ラングーン陥落後の英印軍の作戦計画

 陸戦史集『ビルマ進攻作戦』を読んでましたら、ラングーン陥落後の日本軍、英印軍、中国軍の作戦計画についてまとめられていたので、それぞれを引用し、地図にしておこうと思います。まずは、英印軍の作戦計画について。






 ↓今回、記述から作った地図。トングーとプロームは赤い□で囲ってあります。その北方にマンダレーやエナンジョンがあります。

unit8503.jpg



 このような状況をみたアレキサンダー大将は、日本軍の引き続く大規模攻勢を可能かつ必然と考えた。攻勢に対し、果たして連合軍がいつまで中北部ビルマを持ち得るかの見とおしを立てることが、アレキサンダー大将の目下の問題であった。

 当時連合軍がビルマに持っていた兵力は、手傷を負った第17師団、第1ビルマ師団、第7機甲旅団の計7個旅団基幹の英印軍と、中国2個軍(実兵力約2個師団相当)の実質総計約四個師団で、これを支援する航空機は約150であった。しかも、中国第6軍は連合軍の左翼を掩護するため、タイとの国境付近に張りついており、自軍を犠牲にしてまで、中部ビルマで生起する次の作戦に直接参加しそうになかった。結局劣勢の3個師団で日本軍に当たることになり、ビルマを保持できる期間は、一に日本軍が集中使用する兵力のいかんによって決まるであろうと思われた。

 そこで、アレキサンダー大将は、カルタッタでウェーベル大将から受けた口頭指令を念頭におきながら、日本軍を最大限遅滞させることによって、日本軍が他の方面に使用するかも知れない兵力と資源を、なるべく多くかつ長く、ビルマに吸いつけておき、できる限りそこで消耗させようと考えた。

 このため、ラングーンからエナンジョンおよびマンダレーに通ずる2つの河谷を掩護するように、イラワジ河谷には英印軍を、またシッタン河谷に中国軍を使用し、中国軍はそのままシャン州方面の左翼掩護に当てることにした。

 ところが、中国第5軍は、それがいかなる理由によるかアレキサンダー大将には当時分らなかったが、やはりトングー以南に前進することを強く拒んだ。種々努力はしたが致し方のないアレキサンダー大将は、全般の戦線をそろえるため、ラングーンからプロームに至る約200キロの地域をむなしく捨て、プロームとトングーを結ぶ東西の線を一般防御線として選ばなければならないと考えた。

 このことは、同大将が、ビルマを利用して日本軍を引きつけ、かつ、消耗させようとした作戦目的と、そのため広く地域を利用して時間をかせぐという戦いの原則に照して考えるとき、約200キロの地域を利用する縦深遅滞の時の利は失われ、逆に日本軍に、より早くエナンジョン油田や、マンダレー等の緊要な地点に迫る可能性を与えることになると思われた。すなわち、トングーの早期失陥の可能性は大きく、そこを失えば、トングーからシャン州に通ずる作戦路を日本軍に開放し、その結果、日本軍のこの方面からの迂回前進を許し、包囲される態勢になるからである。

 また、多量の貯蔵米があるカレン地区を早く放棄する結果、米を主食とする中国軍は一層苦しくなり、その持久がむづかしくなって、結局連合軍の持久日数を減らすことになろうと予測された。

 しかし、中国軍と連合を政戦略上の前提とし、かつ、当時状況が差し迫っていたので、アレキサンダー大将には何とも方法がなかった。そこで、シッタンで中国第5軍の南方にいた第1ビルマ師団と、サラワジー付近で集結中の英印第17師団とを、中国第5軍の第200師団がトングー付近の陣地に着き次第、西方のプローム方面に移動転進させるように決定した。結局第17師団、第1ビルマ師団および第7機甲旅団等の英印軍はイラワジ河谷で、また、中国第5軍はシッタン河谷で、作戦することに最終計画が決定された。

『ビルマ進攻作戦』P104~6



 まずびっくりしたのが、「航空機が150機であった」という記述。15機で1ユニットにしているので、10ユニット程度ということになりますが、現状ユニット化してあるのは5ユニット程度しかありません(^_^; まあ、可動機が150機あったのかどうか分かりませんが……。今後また情報収集で。


 それから、トングーとプロームを結ぶ線から第二段階が始まったということに関して、おおまかには知っていたものの、その詳しい理由については理解していなかったので「なるほど」と思いました。

 「カレン地区(カレン州)」というのは調べてみると薄く緑色で塗った領域で、カレン諸族が住んでいる地区のようです。この近くであれば中国軍の一般補給は楽なのだけども、そこから離れていくと苦しくなってくるということですね。


 それから、英印軍はイラワジ川沿いの線を守ることになり、第1ビルマ師団は西へ移動したわけでしょうけども、その際、トングーからプロームへ通ずるような道(小道)が、これまで見てきた地図には描かれていなかったようですし、マップ上にも描いてませんでした。ただ、その少し南に、赤い矢印で描いたようにして小道があるので、たぶん第1ビルマ師団はこの道を通ってイラワジ川沿いに移動したのではなかろうかと想像しました。

 多分史実でもそうであったように、ゲーム上で英印軍と中国軍は一緒には戦えないようにすべきでしょうし、そうすると、もし本当にトングーとプロームの間にまともな道がなかったならば、第二段階が始まる前に第1ビルマ師団は西に移動しなければならないでしょうし、また英印軍と中国軍とで戦区を完全に分けることが切実に必要だということになるだろうと思われました。そこらへんから考えると、現状のマップはこれはこれで良いと思われました。

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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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