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『Fighting Rommel: The British Imperial Army in North Africa during the Second World War, 1941-1943』の全5章の内容

 『Fighting Rommel: The British Imperial Army in North Africa during the Second World War, 1941-1943』を読み始めてみましたら、「はじめに」に全5章の内容が書かれていて、それだけで非常に興味深かったので引用してみます。





 この本は5章で構成されている。第1章では、バトルアクス作戦における連合軍地上部隊の限界と、第4インド師団が西方砂漠部隊【第8軍の前身の組織】の他の構成部隊と共にそれらをどのように克服しようとしたかを分析する。空軍と野砲の、歩兵との不十分な協調は、西方砂漠部隊の作戦を特徴づけるものであった。イギリス軍の機甲部隊はそれぞれがバラバラに戦闘を行い、諸兵科連合戦術によって防御された枢軸軍の陣地に対し、バラクラヴァのような無益な突撃を行ったのである。

第2章では、バトルアクス後に第8軍がどのような教訓を得たのか、そしてそれらの教訓がクルセイダー作戦の時期に連合軍によってどこまで反映されたのかを描いている。第8軍の学習過程は不完全だった。その結果、ロンメルは敗北したものの、彼の部隊は壊滅しなかった。連合軍の歩兵部隊と機甲部隊はバラバラに戦った。第8軍は諸兵科連合戦術の必要性を認識していたが、実行はできなかったのだ。その一因は、大英帝国軍が異質な性格と伝統を有する様々な連隊を集めて戦っていたことにあった。また大英帝国軍のさまざまな兵科における島国根性は非常に強く、諸兵科連合戦術は訓練マニュアルや情報分析で繰り返し強調されていたにもかかわらず、実践されることはなかった。

 第3章では、1942年半ばの砂漠での大失敗の理由を説明しようと試みている。ドクトリンの混乱はオーキンレック、ニール・リッチー中将、A.H.ゲートハウス少将、メッサーヴィー、トゥーカーら第8軍の指揮官達の不和を招き、第2次ガザラの戦いでの連合軍敗北の重要な要因となった。アフリカ装甲軍が繰り広げた流動的な機動戦に対して、連合軍の指揮官達は開けた砂漠で堅固な直線的防御を行ったが、それは不適切だということが証明された。リッチーは、連合軍の機甲部隊は高速で分散して走るドイツ軍の装甲部隊にはかなわないことに気付いていた。その反動で、静的で防御重視の旅団「ボックス」が登場した。だが、オーキンレックによる革新的なコンセプトであった旅団サイズの「ボックス」をジョックコラムと共に使用する方策は、アフリカ装甲軍に対しては効果がなかった。しかし一方で、この「ボックス」は1943年から1944年にかけてのビルマ戦で軽武装の日本軍に対して有効であることが証明された。つまり、すべての戦術的革新がすべての戦場で効果を発揮したわけではないのである。技術革新には、有効な地域や、有効な敵というものがあったのだ。第1次アラメインの戦いでの連合軍の勝利は、補給問題に悩まされていたロンメル軍の疲弊によるところが大きかった。

 第4章は、第2次、第3次アラメインの戦いにおける連合軍の勝利は、数的、物的優位に裏打ちされた高度な陣地戦戦術によるものであったと論じている。アラメインの陣地の地理的制約から、アフリカ装甲軍は側面からの突進を伴う機動戦が不可能であった。しかし、イギリス軍機甲部隊の学習スピードは十分ではなかったようだ。モンティの幕僚達は、砲兵戦術の革新、航空写真の活用、パトロールと偵察などを目撃した。しかし、機動戦を遂行するための歩兵-砲兵-機甲-地上攻撃機を含む親密な協力関係は、第8軍ではあまり発展しなかった。例えば、機甲師団と機甲旅団は、歩兵や野砲兵との密接な協力に反対していたのである。モンティの厳格な指揮システムと、ゲートハウスのような一部の師団長達の保守的な態度が、ドクトリンと戦術の分野における革新を妨げた。つまり、軍司令官と師団長達の態度が、戦場の革新のプロセスを加速させることもあれば、減速させることさえあったのだ。そして、これらの要因が、数で劣るアフリカ装甲軍のアラメインからマレトラインへの撤退を成功させたのである。

 第5章では、第8軍によるチュニジアでの戦闘が描かれる。ここでは砂漠戦のパラダイムが山岳戦のパラダイムに取って代わられた。チュニジアの地形を利用して、枢軸軍は山岳地帯を中心とした防衛線を次々と構築した。そしてインド歩兵は、イギリス歩兵に比べて山岳戦に秀でていた。マレト、アカリト、エンフィダヴィルの3つの戦いにおいて、インド第4師団は、丘陵地帯での夜間戦に関して、イギリス第50師団と第51師団に対する優位性を証明した。これは、インド師団が北西辺境でパタン族【パキスタン西北部とアフガニスタンとの国境地帯の部族】と戦いながら培った戦闘技術と、エリトリアにおいてイタリア軍と戦った経験によるものであった。技術的に後進的なパタン族や軍事的に「軟弱な」イタリア軍を相手にした山岳戦と、重火器を装備したアフリカ軍集団の冷徹なドイツ軍の「殺し屋」を相手にした山岳戦は別物だった。中東参謀学校、軍団長や師団長達、インド軍事訓練局との意見交換のおかげで、インド歩兵は荷馬車、迫撃砲、大砲を潜入や小競り合いの技術と統合することができた。第8軍のインド人部隊は、近代的条件下での山岳戦のパラダイムを開発し、それは1944年のイタリア戦で大きな効果を発揮したと断言できる。

『Fighting Rommel: The British Imperial Army in North Africa during the Second World War, 1941-1943』P6




 北アフリカの英連邦軍がバラバラに戦っていたことに関しては、↓でも書いてました。

北アフリカ戦時のイギリス軍は、なぜ諸兵科で連携せずに戦車だけで突っ込む戦い方をしていたのか? (2021/05/05)

 『Fighting Rommel』では、↑とはまた違ったことも色々書かれているようで、興味深そうで楽しみです。



 前掲ブログ記事でも少し書いてましたが、OCS『DAK-II』では英連邦軍ユニットが何の縛りもなく連携して?戦えるため、強すぎるという印象を個人的に抱いています。で、↓でも少しハウスルール案を書いてましたが、うまく機能しなかった感があります。

OCS『DAK-II』7.5「ロンメルの第1次攻勢からのキャンペーン」のサマリーと改造ハウスルール案 (2021/12/02)



 そこらへん、うまく再現しているゲームはあるんでしょうかね……?



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