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OCS『South Burma』(仮)製作のために:1月下旬~2月初旬にかけての中国国民党軍について

 戦史叢書『ビルマ攻略作戦』を読んでいたら、1942年1月下旬~2月初旬にかけての中国国民党軍について書かれていたので、地図を作りました。併せて引用して残しておきます。


 ↓青色が国民党軍で、実線が1月下旬の動き。点線は2月初旬に合意した動き。赤色は英印軍。

unit8526.jpg





 ハットン中将は、右のように、インドからの増援を要求したが、それと同時に中国に対しても増援を要望していた。
 当初ハットン中将の受けていた訓令は、中国第6軍の第93師以外の部隊は極東軍総司令部の許可なくビルマに使用してはならぬということであった。
 そして、1月初め、同師の1コ連隊がメコン河の線に進出し、また同師の主力がビルマのシャン州に進出して同方面の防衛に当たるよう処置されたが、1月20日、ハットン中将はウェーベル大将に対し、タイ国の北西国境の防衛にあてるため、さらに次の1コ師を使用する許可を求め、その認可をとりつけた。
 これにより、ハットン中将は、中国の第49師をラシオを経て南シヤン州に進出させ、タカオ付近サルウィン河東方地区を防衛するように処置するとともに、中国第55師をワンチン(雲南とビルマの境にある町)まで前進させて、訓練および装備を完了させることにした。
 ハットン中将は以上の処置を行なうとともに、中国第49師の主力がタカオ付近に進出するに伴い、それまでケンタン、モンパン地区にあった第1ビルマ旅団の主力をへホおよびロイレム地区に移動させ、また第13旅団をパプン付近で第17師団と連接させるため、トングー東方ボーレイク地区に移動するよう命令した。
 第48旅団は1月31日ラングーンに到着、軍予備としての再訓練を行ないながら重隊の到着を待った。
 中国軍は輜重部隊も衛生部隊も持たなかった。かれらは後方からの補給にたよらず、つねに現地補給を本則とした。
『ビルマ攻略作戦』P155,6


 ↑最後の一文は、OCS的には困った感じですね……。日本軍でさえ、一応後方からの補給はいくばくか受けて戦っていたのに、中国軍は後方輜重なし!? 「中国軍は負傷者は現地に全部置き去りにする」というのは今までにも読んでいたんですが……。


 以上の間、ハットン中将は2月3日ラシオで蒋介石総統と会見したが、この時同総統は、中国軍をハットン中将の指揮下に入れることを明言し、第6軍をもってすみやかに北部泰緬国境の防衛を引き継がせ、かつ、第22、第96および第200師から成る第5軍をビルマ公路防衛のためトングー地区に進出させることに同意した。
 右により、第6軍の第49および第93の両師を依然シャン州にとどめ、第55師をトングー東方カレン山中の国境防衛のためワンチンから南下させる協定ができた。
『ビルマ攻略作戦』P157


 中国第5軍がどこから来るのか(第6軍と同じ場所からか、あるいはビルマ公路からとか)とかは、私はまだ良く分かってません。一応『South Burma』(仮)上でもキャンペーンシナリオ上ではそこらへんは必要な情報になってきますから、今後分かったらまた追記していこうと思います。


 あと、英印軍(「英連邦軍」という呼び方よりも「英印軍」の方が良いかのようなので、今後この呼び方で)の第1ビルマ旅団は、ある資料地図では『South Burma』(仮)の初期配置時にはトングー南方にいたかのように描かれていたので、とりあえず初期配置に置いて「移動不可」にしてあったのですが、少なくともその主力はもっと北方にいたようですね。そこらへんまた、今後調整で。


<2023/10/13追記>

 ミト王子さんにコメントいただきました! 参考になります。大変ありがとうございます<(_ _)>

 ルールとしては、中国軍が米どころにいるならば……とか、わずかながらもいくらかは補給があったならば、日本軍と同様に1Tで10ユニットに一般補給できるという風にするとかいう案もありかもなのです。

 こちらに引用追記しておきますね。

 中国遠征軍は第5軍、第6軍、第66軍、直轄部隊がありますが、手元の「抗日戦争図誌」からの複写と思われる(昔過ぎて記憶が曖昧)紙片によると、中国軍増援方向という矢印が昆明から2本出ているので出所は昆明で良いと思います。
 簡単な図で矢印がどの部隊を指しているのかは記載がありませんが、1本は保山を経てビルマ深くまで侵入し、もう1本はやや南寄りルートで保山までしか延びていません。
https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%BF%9C%E5%BE%81%E5%86%9B
 でも昆明からビルマ公路を経てビルマに出てきているので地図のマップの範囲にもよりますが左翼防御の第6軍も大元は昆明だったのでしょう。。


 大雑把な資料ですが「民国軍事史略稿」によると中国軍の1939年型編制だと軍に1個の輜重営がありますが師にはないようです。これは支那事変緒戦の損害による再編が原因と考えられます。
 1940年型編制だと軍に1個輜重営がある他、師にも1個輜重営が設けられています。
 衛生部隊である野戦医院は師に各1個、衛生隊は師に1個、団(連隊)にも各1個があったようです。(中国軍輜重営は、稀に第3連として自動車中隊がある)
 
 「陳誠先生従軍史料選輯 整軍紀要」によれば、輜重営(大隊)は基本的に2個連(中隊)からなり、各連は将校6、下士官兵210、駄輓馬127、輜重車66。

 日本軍師団の輜重兵連隊は任務によってかなり異なり2~6個中隊からなりますが、輓馬中隊1個が馬匹296、輜重車240(連隊本部の数を幾分含むか?)を持ちますから、馬匹で2倍、輜重車で4倍弱もの差があったことになります。
 中国軍には輜重車を約2倍上回る数の馬匹がいますから、2匹で輜重車を曳いたか駄馬で輸送力を補っていた可能性もあります。
 日本軍の基準では輓馬1匹で225kg、2匹450kg、駄馬1匹94kg、自動貨車1台1.5tの輸送力。
 中隊種別では輓馬中隊45t、駄馬中隊23t、自動車中隊45t。

 中国軍輜重連を上記基準で試算すると輜重車66×225kg+駄馬61×94kg≒20.6t。
 1個師が2個輜重連を持つと41t程度の輸送力になり日本軍の1個中隊程度です。
 日本軍師団の輜重兵連隊が多種多様の編制を持つとはいえ、多くは輓馬乃至自動車2~3個中隊ですから中国軍の輸送力はその1/2~1/3だったことになりますね。
 もっとも師団の規模が定数で2倍前後違うことも考慮の必要があります。

 日中共に現地調達を重視する軍隊ですが、ビルマ侵攻作戦での中国軍は昆明から1,400km以上のビルマ公路という長大な補給線になっていたことを考えると、やむを得ない点があるように思われます。
 陸戦史集「ビルマ進行作戦」でも、連合軍は米どころを放棄すると米を主食とする中国軍の補給を悪化させるという懸念をもっていたとの記載がありました。



<追記ここまで>

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No title

 中国遠征軍は第5軍、第6軍、第66軍、直轄部隊がありますが、手元の「抗日戦争図誌」からの複写と思われる(昔過ぎて記憶が曖昧)紙片によると、中国軍増援方向という矢印が昆明から2本出ているので出所は昆明で良いと思います。
 簡単な図で矢印がどの部隊を指しているのかは記載がありませんが、1本は保山を経てビルマ深くまで侵入し、もう1本はやや南寄りルートで保山までしか延びていません。
https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%BF%9C%E5%BE%81%E5%86%9B
 でも昆明からビルマ公路を経てビルマに出てきているので地図のマップの範囲にもよりますが左翼防御の第6軍も大元は昆明だったのでしょう。。


 大雑把な資料ですが「民国軍事史略稿」によると中国軍の1939年型編制だと軍に1個の輜重営がありますが師にはないようです。これは支那事変緒戦の損害による再編が原因と考えられます。
 1940年型編制だと軍に1個輜重営がある他、師にも1個輜重営が設けられています。
 衛生部隊である野戦医院は師に各1個、衛生隊は師に1個、団(連隊)にも各1個があったようです。(稀に第3連として自動車中隊がある)
 
 「陳誠先生従軍史料選輯 整軍紀要」によれば、輜重営(大隊)は基本的に2個連(中隊)からなり、各連は将校6、下士官兵210、駄輓馬127、輜重車66。

 日本軍師団の輜重兵連隊は任務によってかなり異なり2~6個中隊からなりますが、輓馬中隊1個が馬匹296、輜重車240(連隊本部の数を幾分含むか?)を持ちますから、馬匹で2倍、輜重車で4倍弱もの差があったことになります。
 中国軍には輜重車を約2倍上回る数の馬匹がいますから、2匹で輜重車を曳いたか駄馬で輸送力を補っていた可能性もあります。
 日本軍の基準では輓馬1匹で225kg、2匹450kg、駄馬1匹94kg、自動貨車1台1.5tの輸送力。
 中隊種別では輓馬中隊45t、駄馬中隊23t、自動車中隊45t。

 中国軍輜重連を上記基準で試算すると輜重車66×225kg+駄馬61×94kg≒20.6t。
 1個師が2個輜重連を持つと41t程度の輸送力になり日本軍の1個中隊程度です。
 日本軍師団の輜重兵連隊が多種多様の編制を持つとはいえ、多くは輓馬乃至自動車2~3個中隊ですから中国軍の輸送力はその1/2~1/3だったことになりますね。
 もっとも師団の規模が定数で2倍前後違うことも考慮の必要があります。

 日中共に現地調達を重視する軍隊ですが、ビルマ侵攻作戦での中国軍は昆明から1,400km以上のビルマ公路という長大な補給線になっていたことを考えると、やむを得ない点があるように思われます。
 陸戦史集「ビルマ進行作戦」でも、連合軍は米どころを放棄すると米を主食とする中国軍の補給を悪化させるという懸念をもっていたとの記載がありました。
 

No title

>(稀に第3連として自動車中隊がある)

 この部分の記載は中国軍輜重営に対する部分になります。
 誤った位置になってしまいました。お詫びします。
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DSSSM(松浦豊)

Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

 尼崎会では、OCSに興味のある方を常時募集しております。OCS初心者の方にも分かりやすい、やりやすいところからお教えいたします! VASSALでのオンラインインストも大歓迎です。ブログのコメント等で、気軽にご連絡下さい(*^_^*)

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