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アウエルシュタットの戦いは、どの場所で始まったのか?

 先日ミドルアース大阪で、『La Bataille D'Auerstaedt』の初期配置をし、少し戦闘をやってみました。


unit8537.jpg



 ところがその初期配置が、持っていっていた洋書による記述と合わないので、ちょっと疑問に思ってました。で、調べてみようと。






 ↓『La Bataille D'Auerstaedt』の初期配置(何ヘクス以内というのが多いので、大体です)。

unit8536.jpg




 ハッセンハウゼン(ハッセンハウッセン)村というのがあり、その周辺でプロイセン軍の前哨騎兵と、フランス軍のバーク大佐隷下の前哨騎兵および第25連隊の部隊が衝突寸前という感じになってます。

 『La Bataille D'Auerstaedt』のヒストリカルノートを見ると、このハッセンハウゼン村の周辺で最初の衝突が起こったと書かれています。

 バークは前哨騎兵や前哨部隊に遭遇することなく前進していたが、ハッセンハウゼン村周辺でプロイセン軍騎兵を発見した。霧が濃くて敵から見つかっていないようだったので、バークは自分の率いる前哨騎兵に、プロイセン軍を動揺させるために発砲するよう命じた。驚いた敵のおおよそ2個騎兵大隊は立ち直ると、やや無秩序に突撃してきた。バークは数人の捕虜を獲得することに成功して任務を達成したが、敵ははるかに優勢であり、またより秩序立った攻撃を仕掛けてきたため、急いで撤退した。ギャロップで戻ると、彼は幹線道路の右側で隊列を組んで前進している第25連隊に遭遇したので、その後ろで自分の騎兵部隊を再結集させた。道路の左側では第85連隊も隊列を組んで前進していた。この2個連隊はギュティエ【Guthier。他の資料ではGauthierとも】准将の旅団の指揮下にあり、バークは彼に敵騎兵の接近を報告した。ギュティエは第25連隊に方陣を組むように命じ、これらは敵の2個騎兵大隊を撃退した。しかし、彼らの後ろには、ハッセンハウゼンからの道路に沿って、ブリュッヒャー将軍の指揮下にある約600の騎兵、擲弾兵1個大隊、1個軽砲兵中隊からなるプロイセン軍の前衛部隊がいたのである。
『La Bataille D'Auerstaedt』のヒストリカルノートの2ページ目



 つまり、ハッセンハウゼン村の周辺(方向は良く分かりません)で最初の衝突が起き、そしてその最初の衝突の後、ハッセンハウゼンの東側に前線があったかのように感じられます。


 ハッセンハウゼン周辺が最初に衝突が起こった場所であったという記述は例えば、日本語版Wikipedia「イエナ・アウエルシュタットの戦い」でもそうなっています。

 ところが、英語版Wikipedia「Battle of Jena–Auerstedt」ではペッペル村周辺が最初の衝突場所であったという風になっています。


 ペッペル村説は、私がミドルアース大阪に持っていっていた『Jena, Auerstaedt: The Triumph of the Eagle』でもそうでしたし、チャンドラーの『ナポレオン戦争』でもそうなっていました。試しに『ナポレオン戦争』の記述を引用してみます。

 14日の早朝、微小のものさえ見分けがつかない程の霞が立ち込めた夜明けを迎えたとき、事態はそのままであった。しかしダヴーの部隊は午前4時過ぎからずっと行動中であった。ダヴー自らが同行する、ギュダン将軍の師団に先導されて、第3軍団はハッセンハウッセンの村落を難なく進軍した。ちょうどそのとき、道路探索をしていたバーク大佐の前哨騎兵が、突然ペッペル村の近くでプロイセン軍の騎兵4個大隊と砲兵1個中隊と出くわしたのである。いまや7時を回り、ギュダンは前進を続ける前に歩兵隊に方陣を作る予防措置をすぐに講じた。ハッセンハウッセンを過ぎたときに霧が一時的に消え、約1000ヤード離れた場所にプロイセン軍の騎兵隊が姿を現したので、ギュダンは時を失せず射撃を開始した。これが即座にプロイセン軍の大砲を無力化し、騎兵隊をあわてて逃走させた。そしてギュダンはリスバッハの小川沿いへと押し寄せたが、そこでフリアンとモランの後続師団がやって来るのを待つことにして、兵員に停止を命じた。実際には、フリアン将軍は8時にコーゼンの橋を渡ったに過ぎず、一方モランはまだはるかに遠い所にいたのである。このことは、ギュダンの兵員が増援軍の到着まで相当長い時間孤立していなければならないであろうことを意味したのであった。
 そのうちに報復をねらうプロイセンの軍勢がリスバッハ川に次々と集結しつつあった。その第2および第3師団の東進は、北へ移動中の輸送隊とひどく縺れ合ってしまったが、プロイセン国王やブランシュヴァイクに伴われたシュメッタウ将軍の師団は午前8時までに位置に着き、ブリュッヒャーの騎兵12個大隊はシュピールベルクの側面部に配備された。この重大局面においてギュダン軍は歩兵9個大隊、24門の大砲、さらに騎兵16個大隊に直面していたのだ。戦闘は双方の側の前哨軽歩兵による小競り合いで開始され、その間に両主力軍が展開を完了したが、凌駕されていたギュダンにとって幸運なことに、プロイセン軍の攻撃の際の協調が絶望的なほどうまくいかなかったのである。
『ナポレオン戦争 第3巻』P74




 で、さらに他の資料での記述も探してみたところ……。

ハッセンハウゼン説:『1806 The Coming Storm』(OSGのSpecial Study Nr.5)、『A Military History and Atlas of the Napoleonic Wars』
ペッペル説:オスプレイ『Jena 1806: Napoleon Destroys Prussia』(チャンドラー)


『1806 The Coming Storm』に関しては↓こちら。
ナポレオン関連本3冊、他 (2012/04/30)








 オスプレイ本は『ナポレオン戦争』と同じチャンドラーが書いているので、同じ説を採るのは不思議ではないですがチャンドラー本と並んで権威とみなされているであろう『A Military History and Atlas of the Napoleonic Wars』と、そしてウォーゲーム界におけるナポレオニックの権威であろうザッカー率いるOSGの『1806 The Coming Storm』がハッセンハウゼン説を採っているわけです。

 そうすると、素人たる私なんかでは、どうしたものかさっぱり分かりませんね……(^_^; 一応、『1806 The Coming Storm』の記述は、ものごとの進行が『La Bataille D'Auerstaedt』と酷似しているものの最初のうちは地名が全然出てこず、しばらくしてからハッセンハウゼンなどの名前が出てきて、「フランス軍がハッセンハウゼンを確保した……」というような記述が現れるので、ハッセンハウゼン説とペッペル説を合わせたような理解の仕方が不可能ではないかも、という気はしました。



 『La Bataille D'Auerstaedt』(バタイユシリーズルール第3版で)をちょっとやってみての感想なんですが、反応突撃とか臨機突撃とか戦闘前後退とか、採りうる行動の種類が(他の版より少ないらしいとはいえ)やっぱりある程度以上あるので、そこらへんの把握が必要だなぁという気がしました(大学生時代にはシミュレーションゲーム研究会でバタイユのモスクワやアイラウは何回かやりましたし、その後も大阪で中村皇帝陛下と『La Bataille D'Auerstaedt』をやったことはあるのはあるので、当時は把握していたのだと思うのですが、もう25年以上が経って全然忘れてしまっているということですね~)。

 また、初期配置でフランス軍散兵がプロイセン軍騎兵の目の前にいまして、どうしたらいいのか良く分からないものの散兵で近づいて射撃してみたところ、1ダメージは与えたものの臨機突撃されて、戦闘前後退ができず(ここらへんひたすらルールブックとにらめっこしてました(^_^;)、プロイセン軍騎兵が攻撃側になる白兵戦に対する士気チェックにフランス軍散兵が失敗して(兵力数に圧倒的差があったので)、散兵は混乱して退却してしまいました。

 ヒストリカルノートの記述を読んでみると、フランス軍の歩兵連隊(大隊?)でとりあえずは方陣を組むのがセオリーなんでしょうか(散兵は逃げる?)。セオリーが分からないもので、ちょっと前にKimataka氏と『Ney vs. Wellington』をやった時なんかでも「何をすれば良いか分からない」状態になってしまってました。ナポレオニックの戦術級ゲームをやる上では、史実を調べて「こういう場合には大体こうしていた」というセオリーも頭に入れていきつつ……というのが、割と史実を読むのが好きな私としては良いのかなとも思われました。




<2023/09/21追記>

Bernadotte66さんがコメントを下さいました、というかブログ記事として書かれておられました!

こんにちは。
次の本ではp674に次の記述があり、ハッセンハウゼン説です。
Campagne de Prusse, 1806
https://www.amazon.co.jp/Campagne-Prusse-1806-Archives-Classic/dp/1390094251

”この前衛(*1)は霧の中にフランス軍分遣隊(*2)を発見し、ハッセンハウゼン付近で停止した。”
*1 上記の前に記載された文章内容からブリュッヒャー将軍の前衛のこと。
*2 上記の前に記載された文章内容からバーク大佐の分遣隊こと。

こんばんは。
散兵は逃げるのが基本です。
https://sbataille.berjisan66.com/sbataille_blog/2023/09/20/skirmish-target-of-cavalrycharge/



 大変参考になります。ありがとうございます!(^^)

<追記ここまで>

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アウエルシュタットの戦い開始位置

こんにちは。
次の本ではp674に次の記述があり、ハッセンハウゼン説です。
Campagne de Prusse, 1806
https://www.amazon.co.jp/Campagne-Prusse-1806-Archives-Classic/dp/1390094251

”この前衛(*1)は霧の中にフランス軍分遣隊(*2)を発見し、ハッセンハウゼン付近で停止した。”
*1 上記の前に記載された文章内容からブリュッヒャー将軍の前衛のこと。
*2 上記の前に記載された文章内容からバーク大佐の分遣隊こと。



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Author:DSSSM(松浦豊)
 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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