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太平洋戦争自体がそもそも大博打なのだから、インパール作戦が大博打でも、それはやるのが当然だった?

 『戦慄の記録 インパール』を読んでいましたら、↓という記述が出てきてハッと思い出したことがありました。

 河辺中将は、ビルマ方面軍司令官としてラングーンに赴任する直前に、東條首相に面会していたのである。その席で、東條首相から切り出されたのが、インド進攻であった。
 東條首相は、「日本の対ビルマ政策は対インド政策の先駆に過ぎず、重点目標はインドにあることを銘記されたい」と語った。
『戦慄の記録 インパール』P44




 思い出したというのは、そもそも太平洋戦争は勝算がほとんどない「大博打」であることが日本側にも(程度の差はあれ)明らかだったわけですが(連合国側は、そもそも勝算がないのだから日本側が宣戦してくるとは思っていなかったし、最終的に日本を敗北させられるのは明らかだったのでまずは対ドイツ戦に集中して太平洋戦域は後回しにした)、薄い勝算の中でも少しでも可能性があるものとして目指されていた一つの方策が、「イギリスの戦争からの脱落」であった……という話をここ1年くらいの間に複数の資料で読んでいたことでした。イギリスを戦争から脱落させることができれば、即勝利とは言わずとも講和などの点でかなり有利に運ぶことが見込めるということでしょう。

 そのために、インドやインド洋戦域で勝利を挙げることが初期には一応目指されたものの、さまざまな要因で(やっぱり)それがとりあえずうまくいかなかった……。

 一方でイギリス側はどうだったかというと、少なくともインド統治に関してはマジにやばい状況で、対日戦が始まっているにもかかわらずインド(人)を抑えておくことのためにものすごい大部隊をインドに駐留(あるいは警備?)させておかなければならなかった……というのもどこかで読んでいました。具体的に100の桁の部隊を張り付けておかなかったというような記述を見たような気がしてまして、ものすごく驚いた記憶があるのです。100個大隊だとすると、10個師団くらい? ちなみに1942年にビルマで戦った英連邦軍は、総計2.5個師団くらいでしょうか。

 以前、↓で書いてましたような理由で、インド東部を日本軍が支配すれば、少なくともイギリスのインド統治はガタガタになって天秤がガタッと傾く……という可能性はあったのかもです。

1942年のビルマ戦で、なぜインド軍部隊は日本軍を歓迎せずにイギリス側に立って戦い続けたのか? (2023/06/22)



 とすると、太平洋戦争自体がそもそも大博打であったことを考えると、ガダルカナルなどで太平洋戦域の敗勢が明らかになってきたならば、日本(東條首相)としては当然、他のいくらかでも可能性のある場所(ビルマ・インド戦域)で大博打をせざるを得ない、というか大博打をするのが当然、という考え方は、それはあるだろうかなと。

 命がかかった麻雀(その時点で大博打)で、点数的にかなり負けてきているのに役満を狙わないのか、いやそりゃ狙うでしょ、という話だと考えれば分かりやすいような……。


 『戦慄の記録 インパール』の記述だと、「イギリスを屈服させるために」という表現なんですが、「屈服」というのは具体的な程度が分かりにくいとも思います。東條首相などが具体的に狙っていたのは、インド侵攻作戦という大博打にもし勝てれば(もし役満が出れば)、イギリスが現在四苦八苦しているインド統治を崩壊させて少なくとも対日戦から脱落させられ、負けがこんできた(麻雀の)点数をもしかしたら五分以上に戻せるかもしれない、という感じの話だったのではないかと思いました。


 もしそうだとすると、東條首相がこの時期にインパール作戦の実行を望んだのは、結構納得がいくなと(もちろん、そもそも太平洋戦争という大博打を始めるべきでなかったのでしょうけども)。


 ただ、例えば配牌時に手牌がバラバラでもはや役満なんか狙えるはずがないのに「できるできる!」と主張しまくったり、もうおりるべき局面に入ったのにズルズルとおりる決断ができずに最終的に超高めに振り込んでしまう……とかってのが牟田口廉也中将のやったことなのではないでしょうか。

 そう考えると、東條首相にしても牟田口廉也にしても、麻雀マンガにおけるダメな一般人(私なんかも全くその内の一人ですね)の代表という感じとも言えるのでしょうか……。



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ウォーゲーム

戦争とゲームは違うけれど、敢えてウォーゲームに喩えてみます。メイアタック制ということで。
地図上の接敵可能な場所(ヘクス)の全部で、自軍の戦力を分散し、戦闘結果表に照らして明らかに不利なことが判っている低戦力比の戦闘を、仕掛けますか。
常識的には、仕掛けない、そんな博奕はやらないのでは。
十分な戦力を集中して相応の高戦力比を確保できる場所では攻撃し、戦力に余裕のない場所では防御し、敵の攻撃で撃破されそうな場所では自軍部隊を後退させますよね、普通は。
インパールに限らず、日本軍は「見境なく攻撃しすぎ」で非常識だった、と思います。「博奕だから」と正当化できるものではない、かと。

日米開戦

日米開戦については、開戦前に昭和天皇が「100%勝てるか」と問うたのに対して永野修身軍令部総長は「100%の保証はできないが、70%の勝算はある」旨を答えました。
「日本に不利な戦い、大博奕だ」ではなく、「日本に分のある戦い、堅い勝負だ」という認識でしょう。
永野が「勝算は30%です、70%は負けます」と答えていれば、昭和天皇の慎重な性格ゆえに「開戦しない、博奕は打たない」となっていたのでは。
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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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