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第二次世界大戦前のインド等でイギリス人(白人)が人種的優越感を持っていた理由を探して

 ↓でイギリス人の人種的優越感らしきものについて書いていましたが、どうやってそういうものが醸成されたのかが気になって最近本を探したりしてました。


『アーロン収容所』から:ビルマ人が日本軍に好意的であった理由について (2023/06/28)


 そんな中で、↓という本を見つけていくらか参考になるかもと思って買って読んでみまして、少し理解が深まった気がしました。





 1810~1820年代以降は、ヨーロッパ文明の絶対的な優越性と、インド社会の後進性がさらに強調されていく。この背景には、他のヨーロッパ諸国を排斥しイギリスがインドで独占的な地位を占めたこと、産業革命の進展による一等国としての自信などが働いていたであろう。さらになによりも、数千マイル離れた国土を支配する状況を正当化する必要性があった。ここに、「文明化の使命」がインド支配を正当化するイデオロギーとして登場し、【……】
『イギリス支配とインド社会』P10


 これは「マニフェスト・デスティニー」的な考え方なわけですけども、それで「人種的優越感」を持ってインド人を支配することには直結しないかと思います。

 しかしその後、インド人の中に英語知識を持つ者が増えてきつつ、1877年にヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねるようになると……。

 イギリス直接統治への移行がもたらした心理的影響として重要なのは、インドが一介の商社【東インド会社】の領土としてではなく、イギリス国家の所有物としての位置づけが与えられたことである。インド統治は、イギリスの国威に直結するという意識が生まれたのである。インド総督カーゾン卿によるつぎの発言は、こうした意識を明確に示している。「インドを支配するかぎりわれわれは世界最強の勢力である。インドを失うならば、われわれはただちに三流の勢力に転落するであろう」。帝国支配の永続が暗黙の了解事項となるとともに、当初の「文明化の使命」イデオロギーは後退していった。マコーリが望んだような英語知識をもつ現地人中間層が台頭してくれば、当然のことながら「文明化」の意義は色あせてくる。19世紀後半以降は、むしろ支配「人種」としての優越性、インド社会を構成するさまざまな集団の利害を「公平に」調停するアンパイアとしてのイギリスの存在の意義が、支配を正当化する論理として利用されるようになる。また、インド人知識人層からの、統治への一層の参加要求にたいしては、彼らはインドの「一般民衆」を代表していない、むしろイギリスこそが、インド大衆の擁護者であるという主張によって対抗するようになるのである。
『イギリス支配とインド社会』P14,15




 そして、むしろ「人種差別意識」「人種的優越感」が必要とされ、それが強められていく……。

  「人種」問題は、ことに1883年に起きたイルバート法案をめぐる論争で表面化した。この法案は、刑事訴訟法に修正を加え、インド人判事にもヨーロッパ人犯罪者を裁く権限を与えることを内容としていた。これにたいして、インド在住のヨーロッパ人コミュニティから予想をはるかに上回る反対があり、最終的な法律は、ヨーロッパ人には、過半数をヨーロッパ人が占める陪審員による審理を受ける特権を残したかたちで落ちつくことになる。この論争の過程で、ヨーロッパ人系の新聞・雑誌では歯止めのない「人種差別」的な言論が繰り広げられた。19世紀後半、「ニガー」といった蔑称がヨーロッパ人コミュニティのあいだに浸透した事実に明らかなように、ヨーロッパでの人種理論の発達と平行して、「人種差別」意識は19世紀をつうじてむしろ強まったのである。イルバート法案をめぐる議論を典型とする、露骨な人種的優越性の誇示は、イギリス支配の善意、ヨーロッパ思想文化の「啓蒙性」を信じる知識人の意識に冷や水をかけることになった。
『イギリス支配とインド社会』P59



 ここらへん、もし日本という国家(例えば豊臣政権とか?)がイギリスと同じようなことをしていったとしたら、同じ様な経過をたどった可能性も……?



 他にも、『黒人と白人の世界史――「人種」はいかにつくられてきたか』という本の著者は、人種差別意識が元々あったから黒人が奴隷にされたのではなく、黒人を奴隷としていこうという経済的必要性から人種差別意識が必要になったのだ、というようなことを言っているらしいです。






 もちろん、他にも色々な要因があるだろうこととも思えますけども、個人的にはこういう、「誰でもがそういう風になる可能性がある」という理由付けは割と好みです(誰でもが牟田口廉也のようになりうる、というような)。

牟田口廉也の失敗は、誰にでも起こりうる。ただし、そうなりやすい人と、なりにくい人がいる? (2023/01/28)




<2023/07/13追記>

 もう一冊、『帝国主義と世界の一体化』という本も買ってまして、こちらにも参考になりそうな記述を見つけました。





 すなわち、デカルト的合理主義に象徴される西洋近代のアイデンティティはじつは「大航海」以来搾取し、従属させてきた他の世界の「野蛮の発見」をつうじて形成されたのであった。このことは16世紀から19世紀までヨーロッパ人がもっぱら奴隷として接触したアフリカ黒人との関係でとくにきわだっており、そこでは白人は生まれながらの主人であるのにたいし、黒人はあらゆる否定的な性質を集めた下僕、いや家畜並みの存在であった。
 これにたいし、古い文明と「静止」した政治・社会制度をもつ褐色ないし黄色のアジア人ははじめ、「文明化」され、改善・再生が必要にせよ、まったく異質で、下等な人種と見下されていたわけではない。たとえば18世紀にインドに長期滞在する東インド会社のイギリス人社員がインド人の妻をめとるのはごくあたりまえであったし、もしラジャ(藩王・貴族)の娘とでも結婚できればもうけものであった。同様に18世紀、王侯貴族をはじめヨーロッパ人は中国や日本の華麗な陶磁器に熱中し、その背景となる東洋文化の豊かさにあこがれをいだいた。東洋は西洋と別の世界ではあれ、まだ「野蛮」ではなかったのである。
 しかし19世紀にはいって西欧が産業革命の結果近代工業を発展させ西と東の技術=生産力格差が開くにつれ、またヨーロッパ人が進歩や変化を善しとする価値観になじむにつれ、停滞するアジアはしだいに「野蛮」視され、西洋の「文明」によって救済されねばならない哀れむべき存在に変わったのであった。とくに19世紀半ばイギリスがインドで支配を確立し、また中国が阿片戦争やアロー戦争の敗北をつうじ従属的な条件で「世界システム」に組み込まれるにつれ、西洋の東洋蔑視は普遍的な確信の域に達した。そしてこの蔑視での、「進歩」対「停滞」、「文明」対「野蛮」、「男」対「女・子ども」、「白」対「有色」といった割り切りはヨーロッパ人のアイデンティティを支える柱となり、それは相手の価値や要求に一切眼を閉ざす傲慢を育てるとともに、己の側の実態や欠陥を真剣にかえりみる謙虚さを失わせた。

▼「白」対「有色」 人間を皮膚の色で差別する偏見はヨーロッパ人だけのものではない。たとえばインド(ヒンドゥー教)のカーストにおける四姓(ヴァルナ)はもともと肌の色を意味し、バラモン(白)、クシャトリア(赤)、ヴァイシャ(黄)、シュードラ(黒)と明るい色が暗い色より優位にたった。またある人種の肌色をどうみるかもときと事情によって変わり、ヨーロッパ人は中国人や日本人を18世紀には「白」とみていたが19世紀後半には「黄」とみなすようになった。
『帝国主義と世界の一体化』P54~56

 この変化【進化論を根拠として、白人の生物学的優位を強調する社会ダーウィニズムが代表的思潮になったこと】の背景には当時、世界分割競争の激化にともない、列強の国民のあいだに対抗意識が強まり、それとともにジンゴイズム【自国の国益を保護するためには他国に対し高圧的・強圧的・好戦的な態度を採り脅迫や武力行使を行なうこと(=戦争)も厭わない、あるいは自国・自民族優越主義的な立場を指す言葉】やショーヴィニズム【熱狂的愛国感情が生み出す排他的思想態度のこと】と呼ばれる偏狭な愛国心や白人と有色人種の差異を決定的なものとする人種差別がヨーロッパ人の心に深く根をおろすようになった事情があった。

 たとえば、上述のように19世紀中葉まで - 1857年の「大反乱」(セポイの反乱)後もなお - イギリス本国では、インドの「文明化」とその後に訪れる自治ないし独立の可能性を漠然とではあれ予想する人びとがかなりいた。しかし【18】80年代以降、列強の通商や植民地の拡大を求める動きが活発になり、イギリスの覇権がゆらぎはじめると流れが変わり、インドの「文明化」よりも統治の強化を求める声が主流になった。すなわちイギリス=ヨーロッパ文明の普遍性への信頼、その結果としてインドの「文明化」への期待ではなく、インド人の癒しがたい後進性・弱さが強調され、帝国主義的支配の強化・継続が主張されたのであった。
『帝国主義と世界の一体化』P59,60


 確かに、幕末(1850~60年代)頃の外国人との接触が結構描かれている『風雲児たち』というマンガを読んでいると、(ジョン万次郎がアメリカ本土で差別されたという話もありましたが)日本人が差別されているという感じは受けません。

 しかしその後、欧米では人種差別意識が強まっていって、インド人やビルマ人、日本人らにとってもそれらが堪えがたくなっていったという流れがあったわけですね。


 あるいはまた、太平洋戦争の終盤にはそれまでよりも日本人に対する欧米人の差別意識が強まり、極限にまで達したというような話もあったようです。現在進行形で戦争している相手ですからある意味では当然ではありますけども、ドイツ人やイタリア人に対する見方に同じ様なことがあったかというと……ではありますね。




<追記ここまで>


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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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