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OCS『South Burma』(仮)製作のために:パアン周辺での戦闘でのインド人部隊の様子

 『歩兵第二一五聯隊戦記』を入手して読んでいて、パアン周辺での戦闘でのインド人部隊の様子がいくらか書かれていて興味を持ったので、抜き書きしてみたいと思います。



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 第33師団の第215連隊がパアン(Pa-an)から対岸のKuzeik(『歩兵第二一五聯隊戦記』の表記はクンゼイク)を確保しようとした一連の戦闘中の記述からです。

 敵は呑気に大きな薪をたいて、身体を温めている。歩哨は居眠りの最中。「突込め」の号令で突込むと、十五、六名のインド兵は銃を捨ててバンザイした。英印軍とはいうものの、最前線にいるのはインド兵ばかりだ。生れて初めて戦いをしたのだろうか。体格は五尺六寸【約170cm】から六尺【約182cm】近い者ばかりだが、度胸のない連中だ。わたしたちもインド兵は初めてなので、ちょっと胸がどきどきしたが、これを見て自信がついた。十五、六名を捕虜にして、三木小隊長は得意の英語で小哨の位置や兵力、装備などを聞く。
『歩兵第二一五聯隊戦記』P227

 夜が明けて撤収して本部に帰ろうとしたら、森の中から敵の敗残兵が30名近くでてきた。インド人部隊だったが、英国の大尉が一人いた。戦闘開始前、原田聯隊長が英軍将校の捕虜がほしいと言われたことを思い出し、これ幸いと手真似で投降を呼びかけた。インド人大尉とインド兵は全員手を挙げて投降しようとしたが、英人将校だけは敢然と抵抗してきた。その上、彼は友軍であるインド人大尉を我々の目前で射殺してしまった。結局は、この英軍大尉を捕虜にしたが、このことで民族の異なった混成部隊というものは、こうしたことから破綻をきたすものだと思った。しかし、【後に日本の】敗戦というかつてない惨めさを味わった時、日本人の目に彼等を見る甘さがあったことをしみじみと感じたものであった。
『歩兵第二一五聯隊戦記』P231


 ↑の例では、イギリス人大尉とインド人大尉の2人の大尉がいたことになってます。大尉は主に中隊長、中隊は約200人とネット検索では出てきました。


 【日本軍の】夜襲だ。敵か味方か近寄らないとわからない。闇の中であちこち銃弾が乱れ飛ぶ。奇襲作戦に驚いた敵のうろたえぶりは大変だった。夜が明けて掃討戦が行われた。わが分隊は敵陣地の裏側斜面に回った。あちこちに敵の戦利品が散らばっている。舗装道路に出た。一人の白人兵が手を挙げて近寄ってきたので、後手にしばり身体検査をすると本国兵であった。彼の胸のポケットから恋人らしい女の写真が出てきた。瞬間、いまごろ、この彼女は何をしているのだろうか、ふと思ったりした。
 戦利品は小銃、機関銃、食糧品などであった。敵の歩兵は日本兵と違い歩かない。自動車で行進するので何でも持っている。メリケン粉にフライパン、チーズに砂糖、バターなど……。横文字のわからないわれわれは、バターの一缶を持ってきて「よい保革油があった」と乾ききった軍靴に塗りつけ、いささか効果があったと喜んだ。
 進撃は続く、ぽつぽつ敵空軍が攻撃に飛んでくる。昼は木陰を歩き仮寝、夜は行軍、舗装道路あり、山道あり、田圃ありであった。敵機が頭の上で爆弾を落とすのがよく見える。斜めに落ちてくるので真上なら安心だ。歩け歩けで、敵を追って追撃した。
『歩兵第二一五聯隊戦記』P231,2


 ↑の記述では、「イギリス人の兵」とあります。恐らくインド兵大隊だとイギリス人は士官クラスしかいないと思うのですが、当時ビルマにあったイギリス人大隊のうちの一つの兵かもです。イギリス人士官を「兵」と誤認した可能性もあるかもですけども、イギリス軍の軍服は階級章でしか士官と下士官が区別できないとえはいえ、兵隊さんは階級にものすごく敏感だと思うので、そういうことは考えにくいかなあ? と。

 中段の「敵の歩兵は日本兵と違い歩かない。自動車で行進するので何でも持っている。」という記述も興味深いです。他の資料でも、当時のビルマの英印軍は移動をあまりに自動車に依存していたため、日本軍部隊に後方の道路を封鎖されてしまうと、ジャングルを車は通行できないため、道路封鎖を攻撃して何とか突破するか、あるいは物資を捨てて徒歩でバラバラに逃げるしかなくなってしまったという話がありました。これは1942年のビルマ戦が終わった後に英連邦軍側の深刻な反省事項となり、その後改善が図られていったのでした。

 1942年のビルマ戦で得られた戦利品(チャーチル給与)のリストを作るとものすごい膨大なものになるでしょうし、英連邦軍の物資が豊富なことに関しては、他の資料でも、イギリス人士官?が捕虜になってまず最初に言った言葉が「ウイスキーをくれ」というもので、日本兵は感覚の違いにとまどったという話がありました。

 後段の爆撃の様子も興味深いですし、あるいはまた「舗装道路」という話はこのパアン戦の回想録に何回も出てきまして、想像していたよりもかなり広範囲がアスファルトで舗装された道路であったり、あるいは村の通りがアスファルト舗装されていたようです。

 敵の大部分はインド人であったという。多勢と優勢な火力を頼む敵の真正面から攻める不利を知っている友軍は、横へ横へと回り込んで銃剣を振るってあばれ回ったので、インド兵はすっかりおびえきって逃げ回ったという。彼等は、発砲もせずにいつどこから突っ込んで来るかわからない命知らずの日本軍に、すっかり震え上がってしまった。この一撃でインド兵に与えた恐怖心はその後の作戦を有利にした。一方友軍の損失も大きかった。
『歩兵第二一五聯隊戦記』P233


 こういう話は他の資料にも出てきます。実は最近、最初にとりあえずレーティングしていたアクションレーティングの数値が、「あまりに極端すぎるかな?」と思って、少し英印軍のアクションレーティングを上げようともしていたのですけども、この奇襲効果の強さを考えると、差はあって良い(攻撃側奇襲が成立しやすく、日本軍はそれを頼りに戦闘をやっていく)ということかもと思ったりも。


 ↓現状でのユニット。グルカ兵はあまりアクションレーティングを下げるわけにはいかないかなと3にしてますが、これでうまくゲームが回るかどうか……。

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 サルウィン河西岸道に沿い南下中、突如、敵幕舎数個を発見した。右往左往する敵兵を縦横に刺突して突進した。戦闘司令所とおもわれる幕舎に突入したところ、数名の部下とともに、負傷した指揮官(英国人中佐)が端座していて「われを撃て」の意志を示した。轟然たる銃声の下に従容として死に就いた。その態度は、まさに英国軍人の面目を示したもので、敵ながら天晴れ、われもまたこうありたいと思った。
『歩兵第二一五聯隊戦記』P234


 ネット検索すると、中佐は主に大隊長を務めるとあり、大隊規模でユニット化してあるので、もしかしたらその大隊長なのかもです。このパアン~クゼイク戦で英印軍側で主に戦ったのはインド人部隊の第10バルーチ連隊第7大隊で、「7-10 Ba」とあるユニットです。今後また英印軍側の資料も調べていく中で、詳細が分かるかもしれません。

 この話は別の資料でも見た記憶があるのですが、今見つけられませんでした。また継続して探してみますが、まったく同文であった可能性もあります。



 『歩兵第二一五聯隊戦記』は「発刊のことば」を見ていると、1969年にようやく同連隊の慰霊祭を行うことができてほっとしていたら、遺族達から「どんな状況で死んだのかが知りたくてやってきたのだが」という声をかけられ愕然として、作られることになったということが語られており、他の聯隊史本よりも各人の死んだ時の状況が詳しく語られている感じがします。

 例えば印象的なものとして、傷が大きくもう助からないと殺してくれる事を頼む兵が多くいて、ある人の場合上官が命じて他の兵士が空へ向かって銃を一発撃つと、その重傷の兵士が事切れた、という話がありました。あるいはまた、「天皇陛下万歳!」と叫んで死ぬ兵士もいて、中国戦線ではそういう叫びは聞かなかったのだが、という記述も興味深く感じました。


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 ボードウォーゲームの中でも、OCS(Operational Combat Series)だけをひたすらプレイしたり、第二次世界大戦やナポレオン時代関係情報を集積したりしてます。自宅(尼崎会)でOCSを置きっぱなしプレイしたり、VASSALでOCSをオンラインプレイしたりですが、時々はゲームクラブのミドルアース大阪などに行ったりも。

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